本稿は、日本市場に「配当先物」が事実上存在しない状況を前提に、指数先物と現物(ETFまたはバスケット)を組み合わせて、先物価格に内包されるインプライド・ディビデンド(期待配当)を抽出するための実装ガイドです。単なる概念説明に留めず、式、データパイプライン、執行、検証、運用ルール、失敗例までを一気通貫で提示します。
1. 戦略コンセプト:DIY配当先物とは
指数先物の理論価格は、連続複利近似で F = S × e^{(r - d)T}
と表されます。ここで r
は資金調達コスト(無担保金利やマージン利率等)、d
は配当利回り(連続配当近似)、T
は年換算の残存期間です。現実の日本株は離散配当かつ3月・9月に偏った分布を持つため、実務では各銘柄の権利落ち日・金額・ウェイトを反映した「指数配当パス」を積み上げ、先物限月に対応する累積配当(D(T)
)を見積もります。
先物に織り込まれているインプライド・ディビデンド(以下、IMPDIV)が自前の推定配当合計と乖離した場合、現物ロング+先物ショート(あるいは逆)で「配当キャリー」を取りに行くのがDIY配当先物の中核です。
2. 数式の骨格:連続配当近似と離散配当補正
連続配当近似では、理論ベーシスは B = F - S = S (e^{(r-d)T} - 1)
。離散配当では、F = (S - PV(D(T))) × e^{rT}
が実務的です。PV(D(T))
は限月までに支払われる配当の現在価値合計です。したがって、観測された先物価格 F_obs
から逆算されるインプライド配当は次式で求まります。
IMPDIV(T) = S - F_obs × e^{-rT}
この IMPDIV(T)
と、我々の配当予想合計 hat{D}(T)
の乖離 Δ = IMPDIV - hat{D}
がシグナルになります。
3. 日本市場特有の前提
- 配当集中:3月・9月決算企業が多く、権利落ちが特定月に集中しがち。
- 指数の違い:日経225は価格加重、TOPIXは時価総額加重。配当寄与のばらつきが大きく異なる。
- 貸借制度:信用売り・貸株の需給により、個別銘柄の逆日歩・貸株料が配当アービトラージのリターンを侵食し得る。
- 先物限月:TOPIX・日経225ともに主限月は3,6,9,12月。配当集中と先物残存の組み合わせでベーシスが大きく動く。
4. 収益源泉:どこからお金が生まれるか
収益は大きく3つの差から生じます。
- 配当予想と先物のインプライド配当の乖離(ミスプライス):市場コンセンサスが遅い/粗い局面で機能。
- 資金調達コストと担保運用利回りのスプレッド:先物証拠金の余力運用や米ドル/円の短期金利差に由来。
- 貸株・逆日歩・手数料の最適化:借株・貸株のネットコストを抑える設計がアルファの死活要因。
5. 実装A:ETFロング × 先物ショート
例:TOPIX連動ETF(1306等)をロングし、同額デルタのTOPIX先物をショート。理論上、価格変動はヘッジされ、ETFからの分配金と先物ショートのベーシスが収益源泉になります。
実務フロー
- シグナル生成:限月ごとに
Δ = IMPDIV - hat{D}
を算出。閾値(例:指数に対し年率20bp以上)を超えたらエントリー。 - サイズ決定:先物の乗数とETFのNAVを合わせてデルタ中立に。
- 執行:流動性の高い時間帯(引けの板/出来高)を優先し、スリッページを最小化。
- 保有・ロール:配当イベントを跨ぎつつ先物を主限月にロール。ロール時はIMPDIVを再評価。
- クローズ:乖離縮小、残存短縮、コスト増でクローズ。
長所・短所
- 長所:実装容易、バスケット構築不要、リバランス負荷低。
- 短所:ETF特有のトラッキング誤差・信託報酬・分配タイミングの不確実性。
6. 実装B:現物バスケット × 先物ショート
指数構成銘柄の加重でミニバスケットを組み、先物でヘッジ。配当見込みは銘柄単位で積算するため精度が上がります。
実務フロー
- 上位ウェイト(例:上位80%の寄与を占める銘柄)でバスケットを構築。
- 各銘柄の配当予想、権利落ち日、貸借区分、逆日歩リスクを管理。
- 貸株・信用区分を考慮し、コスト最小の実行手段(現物/信用/貸株)を選択。
バスケットは精度・手間・コストのトレードオフ。資金規模が大きいか、指数の歪みが顕著な局面で有効です。
7. データパイプライン設計
- 配当予想:コンセンサス(アナリスト集計)+自前モデル(決算周期、ガイダンス、過去実績、特殊要因)。
- 指数ウェイト:最新のウェイト・入替を反映。
- 先物価格と金利:限月別の板/出来高、短期金利(無担保コール、T/N、GCレポ近似)。
- 貸借/逆日歩:日証金データで需給警戒。
- コスト表:売買手数料、信託報酬、貸株料、スリッページ想定。
最終的に「限月別IMPdiv vs 予想配当 vs 総コスト」のダッシュボードで意思決定します。
8. シミュレーション(数値例)
仮定:S=2,400(TOPIX×10の先物換算を便宜上無視した指数値)、r=0.3%年率、残存T=0.5年、観測先物F_obs=2,385。
IMPDIV = S - F_obs × e^{-rT}
≈ 2,400 - 2,385 × e^{-0.003×0.5}
≈ 2,400 - 2,381.43
≈ 18.57(指数ポイント)
自前の配当合計推定が16.0ptなら Δ = 2.57pt
の「先物は配当を厚く織り込んでいる」状態。ETFロング×先物ショートで配当取り優位と評価します。手数料・信託報酬・想定スリッページ・貸株コスト合計が年率で0.7ptなら、ネットで+1.87ptの期待キャリー。
感応度分析:rを±20bp動かしたときのIMPDIV変化、残存Tの短縮によるΔ縮小速度(carry roll-down)を事前に計算し、過度な金利前提依存を避ける。
9. 執行設計
- 時間帯:引け(リバランス需要集中)とナイト・セッションの板厚を比較し、最小コストの時間帯を選ぶ。
- 注文戦術:先物は板寄せ/成行を使い分け。ETFはVWAP/ISアルゴ、バスケットは最良気配・スライス。
- ロール:主限月へのロール時、IMPDIVを再推計。ロール差の中に配当・金利要素が再配分される点に注意。
- ヘッジ精度:β・トラッキング誤差を定期測定。デルタ乖離が有意ならサイズ調整。
10. 主要リスクと対処
- 配当カット/特別配当:個別イベントの影響。バスケット方式は銘柄分散で緩和。アラートは早期に。
- 貸借需給悪化:逆日歩・貸株料急騰で収益圧迫。需給タイト銘柄のウェイトを抑えるポリシーを明文化。
- 先物ベーシス急変:金利・為替・フローで短期変動。ロスリミットを「Δの縮小率」「ベーシス偏差」で管理。
- ETF特有リスク:信託報酬・分配タイミング・創造償還のフリクション。ファンド選定で最小化。
- 税・手数料・レバ規制:制度変更は感応度表で即時反映。
11. コストと税の一般的論点
取引所手数料、先物取引手数料、ETF信託報酬、貸株料、逆日歩、金利差がネット収益に影響します。税務は商品ごとに課税関係が異なるため、取引前に経済価値ベースでの損益内訳(分配金、評価替え、先物損益、金利相当)を明確化し、記録可能な形でジャーナル化しておくと管理が容易になります。
12. 検証(バックテスト)設計
- 入力系列:先物限月別の終値、指数値、短期金利、指数構成・ウェイト、銘柄別配当実績。
- 推定法:離散配当の権利日割引でPV(D)を構築し、各日でIMPDIVを逆算。
- 取引ルール:Δが閾値x bp超でエントリー、y bp未満でクローズ、ロールは主限月のx営業日前。
- コストモデル:実効スプレッド、手数料、信託報酬日割り、貸株料、逆日歩期待値。
- 評価軸:年率化キャリー、シャープ、ドローダウン、コロナ/急落局面の頑健性。
13. 運用ルール雛形
・シグナル閾値:|Δ| ≥ 15bp(指数対比)
・最大エクスポージャ:証拠金÷安全係数k(例:k=3)
・損切:Δの縮小により期待キャリーの50%消失で撤退
・停止条件:貸借コスト急騰(閾値超)/ 構成入替イベント直前
14. 監視ダッシュボード(要素)
- 限月別IMPDIV vs 予想配当の差
- 先物ベーシスのロールダウン曲線
- 貸借/逆日歩アラート
- ETFトラッキング誤差・出来高
- PnL分解(配当、ベーシス、コスト)
15. 失敗例から学ぶ
- 「指数のウェイト更新を反映せず配当合計を過小評価」→ Δ判断を誤る。
- 「タイト銘柄の逆日歩急騰を見落とし」→ 収益が一夜で蒸発。
- 「ロール時のコスト過小見積り」→ キャリーをロールコストが上回る。
- 「ETFの分配スケジュールを誤認」→ キャッシュフロー計画が崩れる。
16. 応用と拡張
- セクター別(高配当セクター)でのDIY配当先物。
- 日経225とTOPIXの配当曲線の相対取引。
- 外株ADRの配当クロス通貨リスクを組み込んだトレード(為替ヘッジ前提)。
17. まとめ
DIY配当先物は、先物に内在する配当期待と自前の配当推定のギャップを収益化する「キャリー+アービトラージ」戦略です。鍵はデータ精度・コスト管理・執行規律。シンプルだが、実装の緻密さが勝敗を分けます。
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