本稿は、現物ETFと先物ETFの構造差から生じる価格の歪み(トラッキング差・コスト差・期近ロールのベーシス)を、市場中立のペア構築で収益化する手順を、実務レベルで解説します。対象例としてはビットコイン(BTC)の現物ETFと先物ETFですが、コモディティや債券先物型ETFにも水平展開できます。裁定は「方向性リスクを抑えつつ、費用と時間を収益源に変える」設計が肝要です。
1. 何が「歪み」か:定義とメカニクス
現物ETF(以下、Spot ETF)は原資産をカストディに保有し、創造・償還の仕組みで基準価額(NAV)に価格が収斂します。一方、先物ETF(以下、Futures ETF)は先物(多くは期近中心のロール型)でエクスポージャーを保つため、先物カーブの形状(コンタンゴ/バックワーデーション)とロール頻度・コストにより、恒常的なトラッキング差が蓄積します。ここに、(i)経費率の差、(ii)先物建玉・限月配分、(iii)キャッシュマネジメント(担保運用)等が重なり、Spot vs Futures の相対的な割高/割安が生まれます。
2. 歪みの主要ドライバー
- 先物ロール・コスト:コンタンゴで期近→期先へ乗り換える度にロール損が発生。
- ボラティリティと滑り:ロール日・リバランス日に出来高集中でスリッページ増大。
- 経費率・キャッシュ運用差:ETFごとに費用・担保運用利回りが異なる。
- 創造・償還の機動性:Spot ETFは流入時に原資産の実需が発生しやすい。
- 税・会計の設計差:分配方針や内部実現の扱いがパフォーマンスに反映。
3. 取引ユニバースの設計:流動性と借株可能性
実装では、取引所上場の流動性・板厚・建玉・借株可否(ショートのしやすさ)を優先します。現物ETF側はカストディ上の正確な現物裏付け、先物ETF側は先物限月とロール方針の開示・実績を確認します。借株がタイトな銘柄にショートを置くと逆日歩・品貸料率で収益を食われます。
4. 基本ストラテジー:市場中立ペア
コンタンゴが優勢なとき、Futures ETFの期待劣後が見込まれます。そこで、Futures ETFをショートし、Spot ETFをロングする組み合わせがベースケースです。バックワーデーション局面では逆の組み合わせが有効になることもありますが、平時の構造的不利(ロールコスト恒常負け)を捕まえる設計が扱いやすい。
5. 建玉比率(ヘッジ比)の決め方
- β近似:過去60–180営業日の回帰で、Spot ETFを説明変数、Futures ETFを被説明変数にとり、
F = α + β·S + εから β を推定。ポジションサイズはNotional_Spot : Notional_Futures ≈ β : 1。 - ボラターゲティング:日次損益の標準偏差が目標(例:年率10%に換算し日次σを逆算)に合うように総ノーションを調整。
- 為替ヘッジ:円建て評価の場合、USDJPYの寄与度(為替β)を推定し、必要に応じてFXでヘッジ。
6. 実行手順(T+0~T+2)
- ユニバース確定:複数のSpot ETFとFutures ETFを候補化し、ロールカレンダー・経費率・借株コストをスクリーニング。
- 事前コスト見積:手数料、貸株料(年率)、先物ETFのロール頻度・想定コスト、資金調達コスト(証拠金金利)を年率化。
- エントリー:同時成行ではスリッページ増。指値+スマートルーティング(TWAP/VWAP/POV)で板を崩さず約定。
- リバランス:βドリフトや価格乖離の拡大で日次または週次に微修正。
- クローズ:ロール直前・イベント前(CPI/FOMC)でのポジ解消、またはロール越えを前提に継続保有。
7. 損益分解:何で稼ぎ、何で削られるか
総損益は、(A)相対パフォーマンス(Spot−Futures)、(B)費用差(経費率・ロール・調達金利)、(C)執行コスト(スプレッド・スリッページ)、(D)資金効率(証拠金・レバレッジの可用性)で構成されます。単純化すると、
PnL ≈ (ΔSpot − ΔFutures) × 価額調整後ノーション
− ロールコスト差 − 経費率差 − 借株料 − 手数料 − FX影響
多くの環境で ΔFutures < ΔSpot(ロール負け)になりやすく、ショートFutures/ロングSpotのキャリー型がベースになります。
8. 数値例(概算)
想定:総ノーション1,000万円相当。β=0.98。Futures ETFの年間ロールコスト想定=3.0%、経費率差=0.4%(Futures高め)、借株料=年率2.0%、売買往復コスト=0.10%。
- キャリー期待:+3.0%(ロール)−0.4%(経費差)= +2.6%
- コスト:借株2.0%+往復0.10% ≈ 2.1%
- 理論期待:+2.6% − 2.1% = +0.5%/年 に、相対パフォーマンス変動(スポット優位期の追い風)が上乗せ。
上記は保守的。実地ではロール・需給の波に乗ると年率数%の上振れも現実的です。逆に借株が締まると期待値は容易にマイナス化します。
9. 監視ダッシュボード(最低限)
- プレミアム/ディスカウント:ETFの取引価格と推定NAVの乖離。
- 先物カーブ:期近〜期先の年率化コンタンゴ(例:Front→Nextの年率換算スプレッド)。
- ロールカレンダー:次ロール日・ロール幅の想定。
- 借株残・料率:ショート側ETFの在庫とコスト。
- スプレッド/板厚:執行コストを定点観測。
- 為替β:USDJPY感応度とヘッジ状況。
10. 主なリスクと対処
- 借株逼迫・逆日歩急騰:在庫枯渇時は手仕舞い優先。代替ティッカーへローテ。
- ロールイベントの変調:想定と異なる期先配分でロール幅が拡大。ポジ縮小で対応。
- 創造・償還の停止/制限:Spot側の需給歪みが解けず、乖離が継続。サイズ抑制。
- 流動性ドライアップ:イベント時の板薄で執行悪化。TWAPや氷山注文を活用。
- 相関崩壊:特定イベントでβが大きく変動。日次でβ再推定を徹底。
11. 応用:オプション重ね掛けでテール管理
両サイドの方向性を概ね相殺しても、イベント時のガンマ・IV急伸で妙味とリスクが同時に立ち上がります。代表例:
- OTMプットの災害保険:ショートが踏み上がる極端局面の損失限界を規定。
- コールカバード:Spot側の上振れを一部プレミアム化(ただし上値を限定)。
- カレンダー/ダイアゴナル:ロールイベントの時間差をIV構造で取りに行く。
12. 執行テンプレ(チェックリスト)
- 対象ETFの経費率・先物限月配分・ロールスケジュールを表にする。
- 過去価格からβ推定(60–180日)→ 目標ボラに合わせて総ノーション決定。
- 借株可否と料率をブローカー別に確認(代替銘柄も準備)。
- 指値・TWAP/VWAP・POVでスマート執行。約定遅延は許容。
- ロール週はサイズ半減、イベント日は一時クローズも検討。
- 日次でβ再推定、週次でPnL分解を記録。
13. よくある失敗
- 単純1:1ヘッジ:β無視で相関崩壊時に損。必ず推定し直す。
- 借株コストの過小評価:期待値が即座に反転する要因。
- ロール週の過度なサイズ:スリッページとギャップで実効損。
- 流動性の一点集中:一銘柄に依存せず、代替バスケットを用意。
- 為替放置:円建て評価者はUSDJPYの寄与を軽視しない。
14. 簡易モデル(擬似コード)
# 入力: SpotETF価格S, FuturesETF価格F, USDJPY, 目標年率ボラσ*
# 1) β推定: 回帰でbeta = cov(F,S)/var(S)
# 2) ヘッジ比: Notional_Spot = beta * Notional_Futures
# 3) 為替ヘッジ: w_fx = corr(PnL,USDJPY)に応じて先物/FXで調整
# 4) シグナル: roll_yield = 年率化(期近→期先のコンタンゴ率)
# 5) エントリー条件: roll_yield > 閾値 and 借株料 < 上限
# 6) リバランス: |beta_t - beta_{{t-1}}| > δ で微修正
# 7) クローズ: CPI/FOMC前, ロール週, 逆日歩急騰, 乖離縮小達成時
15. 税引後最適化の考え方(概念)
同一通貨建てでの損益通算、損出しの時期、分配再投資の扱いなどで税引後の効率は大きく変わります。枠・口座区分・通貨で管理台帳を分け、キャリー型収益=長期化、イベント型収益=前後で閉じるの住み分けを徹底します。
16. まとめ:やることは少ない、だが徹底的に
この手法は、相場観に依存しない代わりに、コスト・ロール・借株・為替という「地味な四天王」を管理できるかが勝負です。日次のβ再推定、ロール週のサイズ調整、借株在庫の監視を淡々と回す。それだけで、構造的な差がもたらすリターンを取りにいけます。


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