本稿では、日本のPTS(私設取引システム:SBI PTS/ジャパンネクスト)で形成された夜間価格と、翌営業日の東証寄り付き価格との「ギャップ」を用いた統計裁定(Statistical Arbitrage)を、個人投資家でも実装できる具体的な手順で解説します。目的は、小さな優位性(エッジ)を高頻度・規律的に積み上げることです。難しい理論は最小限に抑え、データ収集から検証、日々のオペレーション、そして実戦上の注意点まで、手順通りに進めれば形になる構成にしています。
対象読者は「株式投資初心者~中級者」。チャートの基本操作や板・気配の概念がわかる方を想定しますが、用語は本文中でかみ砕いて説明します。内容は再現性重視で、翌日1日で完結するデイトレ/1~2日の短期スイングを中心に設計しています。
戦略の要点(先に結論)
- 夜間PTS終値や終盤価格が、当日東証終値から一定以上乖離した銘柄を抽出します。
- 乖離方向とニュース有無、夜間出来高、板の厚み、信用規制などのフィルタで「歪みの質」を見極めます。
- 翌日寄り付きの板寄せ(オープン・オークション)で、「乖離の平均回帰」もしくは「過熱の継続」のどちらかに賭けるルールを選択します(2系統)。
- エントリーは寄り成り・寄り指の2択、エグジットは当日VWAP・固定リミット・時間決済のいずれかで規律化します。
- ニュースの質と夜間流動性が最重要のノイズ判定。材料の強弱で「逆張り」か「順張り」を切替えます。
PTSとは何か(30秒で理解)
PTS(私設取引システム)は、取引所外で有価証券の売買を行う市場インフラで、代表例としてSBI PTSとジャパンネクスト(JNX)が挙げられます。東証の立会時間外でも板が立ち、投資家の需給や速報ニュースへの初期反応が価格に反映されます。夜間に形成された価格は翌朝の寄り付き価格形成に影響することがあり、ここに統計的な歪みが生じます。
一般に夜間は流動性が薄く、価格インパクトが過大になりやすい一方、情報の質次第では翌日も継続します。この二面性が、本戦略の利得源です。
なぜ儲かる可能性があるのか:メカニズムの分解
- 流動性の偏り:夜間は板が薄く、少量の成行で価格が動きやすい。翌朝の厚い板で平均回帰しやすい。
- 情報の非対称:夜間のニュースが限定的な投資家にしか届かない。翌朝に情報が拡散し、方向が再評価される。
- オークション特有の需給:寄り前の指値集約(板寄せ)で、前夜の価格に引きずられた気配が過大調整されるケースがある。
- 裁定の遅延:機関のアルゴが薄い銘柄・低時価総額では、翌朝に裁定が効きづらく、短時間だけ歪みが残る。
銘柄抽出:前夜のスクリーニング手順
前提として、当日終値 C0、夜間PTS終盤価格(例:20:45~23:59の加重平均)PPTS を集計します。次に下記条件で抽出します。
- 乖離率:
gap = (PPTS - C0) / C0
。閾値は±2%~±5%を起点に、ボラと流動性で可変。 - 夜間出来高:当日立会い出来高の0.5%~2%相当以上(極端な薄商いは外れ値になりやすい)。
- 価格帯:500円以上 or スプレッドが狭く約定しやすい価格帯を優先。
- ニュース分類:決算、業績修正、開示(適時開示TDnet)、材料不明のSNS起因などで強弱を判定。
- 信用規制/貸借:信用新規停止・日々公表・逆日歩注意喚起などの有無を確認。
これらをスプレッドシートで管理し、前夜23時のスナップショットを残すと翌朝の検証が容易です。
2つの基本ルール:平均回帰 vs 継続
ルールA:平均回帰(逆張り)
夜間で+3%以上上がった銘柄を翌朝に「売りから入る」/-3%以上下がった銘柄を「買いから入る」逆張りルールです。材料弱(ノイズ)×薄い流動性を狙います。出口は当日VWAP回帰、または前場引け・固定幅(+1.0%)などで機械的に処理します。
ルールB:継続(順張り)
夜間の乖離が強い材料(好決算、上方修正、明確な新規受注)に伴っており、かつ夜間出来高が厚い場合は、翌朝も継続しやすい傾向があります。このときは上方向ギャップは買い、下方向ギャップは売りで追随します。出口は寄り後30~90分のモメンタム消失、またはトレーリング・ストップ。
ニュースの強弱を具体化する:実務チェック
- 強い材料:通期上方修正、サプライズ大型受注、増配・自社株買い開始、ガイダンスの質的改善。
- 弱い/ノイズ:アナリスト目標株価の小幅変更、SNSでの噂、材料不明の薄商い高騰。
- 注意:バイオ、創薬、材料開発などの二値性が高いテーマ株は、平均回帰が効かない場合が多い。
エントリーと執行:板寄せの攻略
寄り前は板寄せ方式で、気配値と気配数量が集約されます。実務では下記の順で確認します。
- 8:30~9:00:寄り前気配の推移(仮想成行約定価格)の安定性を観察します。
- 成行・指値の配分:気配が寄り直前で飛ぶ(大口が出る)場合は、追随ルールで短期勝負に切替えます。
- 執行手段:寄り成行を基本としつつ、スプレッドや板厚で寄り指(限定価格)も活用します。
- ロット分割:初回は1/3で入り、寄り後5分で再評価して追加か撤退を判断。
約定後は、時間ストップ(例:前場引けまで)と価格ストップ(-1.2%等)の二重安全装置で損失を限定します。
出口戦略:3つの標準パターン
- VWAP回帰:当日VWAP±αで利益確定/損切り。平均回帰ルールと相性がよい。
- 時間決済:10:30、11:00、前場引けのいずれかで強制クローズ。過ごし方を固定し、裁量を排す。
- 固定幅+トレーリング:+0.8%で半分利食い、残りは高値から-0.4%でトレール。
検証方法:バイアスを避けた現実的バックテスト
夜間データは取得難度が高いため、まずは代替として米株(プレ/ポストマーケットが豊富)での検証を行い、ルールの頑健性を確認するのが現実的です。その上で日本株の手元データ(自作・証券の履歴CSV)でミニバックテストを重ねます。
基本設計
- サンプル分割:開発期間(過去)と検証期間(直近)を時系列で分割。
- 先読み禁止:夜間最終の決着時刻を厳格に定義(例:23:59)。
- コスト反映:往復手数料・スリッページ(板薄銘柄は広めに)を必ず入れる。
- 極端値除外:乖離>±10%などのアウトライヤーは別カテゴリで評価。
Pine Scriptでの検証サンプル(米株プレ/ポストを例に)
TradingViewで使用できる簡易検証コード例です。米株のプレ/ポストに対する翌日寄りの平均回帰テストとして利用できます。ロジックの妥当性確認用であり、日本株にそのまま適用できるわけではありません。
//@version=5
strategy("AfterHours Gap Mean Reversion (Example)", overlay=true, initial_capital=100000, commission_type=strategy.commission.percent, commission_value=0.01)
// Session filters
isRegular = session.ismarket
isAfter = not isRegular
// Reference prices
var float regClose = na
if (ta.change(time("D")))
regClose := close
// After-hours last price (proxy using session filter)
afterClosePrice = isAfter ? close : na
afterLast = ta.valuewhen(isAfter, afterClosePrice, 0)
// Gap calculation vs. prior regular close
gap = (afterLast - regClose) / regClose * 100
// Parameters
gapTh = input.float(3.0, "Gap Threshold (%)")
useRevert = input.bool(true, "Mean Revert (if false -> Trend)")
exitMins = input.int(90, "Exit Minutes")
// Entry at regular session open
enterLong = ta.change(time(timeframe.period, "0930-1600:1234567")) and gap < -gapTh
enterShort = ta.change(time(timeframe.period, "0930-1600:1234567")) and gap > gapTh
if (useRevert)
if (enterLong) strategy.entry("L", strategy.long)
if (enterShort) strategy.entry("S", strategy.short)
else
if (enterLong) strategy.entry("S", strategy.short) // reverse (trend)
if (enterShort) strategy.entry("L", strategy.long)
// Time-based exit
exitTime = ta.barssince(ta.change(time(timeframe.period, "0930-1600:1234567"))) >= exitMins
if (strategy.position_size != 0 and exitTime)
strategy.close_all()
日次オペレーション:前夜~翌日の具体的動き方
前夜(~23:59)
- PTS終盤の価格と出来高を収集し、乖離率を算出。
- ニュースを一次分類(強/中/弱)。
- 対象銘柄リストと仮説(逆張り/順張り)をスプレッドシートに記載。
翌朝(8:30~9:00)
- 寄り前気配の安定性と方向を観察。
- 「夜間だけの過熱」か「材料に裏付けられた継続」かを再判定。
- 寄り成行/指値、ロット分割、ストップ水準を確定。
寄り後(~前場引け)
- 最初の15~30分で平均回帰の兆候(VWAP接近)または継続の失速有無を確認。
- 決めた出口ルールに沿って部分利確/クローズ。
- チェックリストで実行品質を振り返り、データを記録。
リスク管理:よくある失敗と対策
- 材料の強弱を誤判定:強い開示なのに逆張りして踏まれる → ニュースをテンプレで分類し、例外(バイオ・急騰テーマ)は原則見送り。
- 薄板での過大ロット:スリッページで期待値が崩れる → 前夜出来高と板厚からロット上限を自動算出。
- 寄り前急変:寄り直前に気配が飛んで想定外の約定 → 寄り指値や初回1/3ロットでダメージ限定。
- ニュース後追い:情報が拡散しきった後に参入 → 夜間段階で一次仮説を立て、翌朝は検証と調整に徹する。
- 損切り先送り:時間/価格ストップを二重に設定して機械的に執行。
証券口座の実務:開設~PTS有効化
実際に運用するには、PTS取引が可能な証券口座が必要です。以下は一般的な流れです。
- ネット証券で口座申込(本人確認書類・マイナンバー)。
- 特定口座(源泉徴収あり)を選ぶと損益通算・税務が簡便になります。
- 取引ツールのインストールと初期設定(板表示、ニュースティッカー、PTS気配表示)。
- PTS取引の利用申込(証券会社の会員ページで有効化)。
- 手数料体系(立会い/PTS別の手数料、貸株・信用金利など)を確認。
夜間の執行品質はツール性能に依存します。板の更新頻度、成行・指値のショートカット、指値の一括修正機能の有無を確認しましょう。
実運用のテンプレ:チェックリスト
- 乖離率:±2~5%の範囲で可変。テーマ株は厳しめ。
- 夜間出来高:当日出来高の0.5~2%以上。
- ニュース分類:強/中/弱。強=順張り、中・弱=逆張り。
- 寄り前気配:安定/不安定。急変はロット縮小。
- エントリー:寄り成り or 寄り指。初回1/3ロット。
- 出口:VWAP回帰、時間、固定幅+トレーリングのいずれか。
- ストップ:時間+価格の二重化。
- 事後記録:理由・ルール遵守率・スリッページ・期待値。
用語ミニ辞典
- PTS
- 私設取引システム。取引所時間外に売買が成立する市場インフラ。
- 板寄せ(オークション)
- 寄り付き・引けで行われる価格決定方式。全注文を一度集約して公平価格を算出。
- VWAP
- 出来高加重平均価格。当日の売買の中心価格を表す指標。
- 乖離率
- 基準価格からの変動幅を割合で表す指標。
- スリッページ
- 想定価格と実際の約定価格の差。流動性が薄いほど大きくなる。
ケーススタディ(仮想)
ある中型株で、決算プレゼンの誤解から夜間に+4.2%上昇、出来高は当日比1.1%。ニュースは「強」ではなく「中」と分類。翌朝の寄り前気配はやや不安定。逆張りルールAを採用し、寄り成行で売り、10:45のVWAP回帰で+1.1%利確。11:20に逆行した場合の価格ストップ(-1.2%)にも触れず、時間決済には至らない…といった手順です。重要なのは、事前に決めたルールで動き、後出しで変えないことです。
システム化のヒント
- 抽出~記録はスプレッドシートで半自動化(関数で乖離率算出、App Scriptで記録時刻を固定)。
- ニュース分類はテンプレに沿って単純化(例:正の材料=順張り候補、曖昧=逆張り候補)。
- 日次の改善は1項目だけ実施(同時に複数変更しない)。
まとめ
PTSと翌日寄り付きのギャップは、薄商いに起因する過度の価格移動と、ニュースの質に応じた継続/回帰の二択を明確にしてあげれば、規律的に攻められる領域です。再現性は「銘柄抽出の精度」「ニュース分類」「執行の規律」の3点で決まります。小さなエッジでも、数量を守りながら積み上げれば十分な武器になります。まずは小ロットで検証し、勝てる銘柄属性を自分のデータで掴むところから始めてください。
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