本稿では、基準価額(NAV)というコア概念を起点に、ETF・REIT・公募投信で日常的に発生するプレミアム(上振れ)とディスカウント(下振れ)の正体を分解し、個人投資家でも現場で使えるレベルの実装手順に落とし込みます。価格乖離は「異常」ではなく、市場構造・時間軸・原資産の価格発見プロセス・流動性の制約から自然に生まれます。重要なのは、その乖離が合理的か、非合理かを見極め、収束確率と収束スピードにベットすることです。
記事の対象は投資初心者ですが、内容は実務寄りです。式・例・チェックリストを豊富に示し、「何を、いつ、どの順で確認し、どこでリスクを切るか」を明確化します。銘柄固有の推奨は行わず、再現可能なプロセスに集中します。
1. NAV(基準価額)の本質
NAV(Net Asset Value)は、ファンドが保有する資産の時価総額 − 負債 + 現金を受益権口数で割った値です。ETFや公募投信の「理論上の一口あたり価値」を示し、原理的にはこれに価格が収束します。ただし観測タイムゾーン、評価タイミング、評価手法の差異により、観測されるNAVと市場で取引される価格にはズレが生じます。
一般式は次の通りです:
NAV = (Σ 保有資産の時価 − 負債 + 現金 ± 未実現為替差損益) ÷ 受益権口数
ここで重要なのは評価時点です。公募投信は通常、1日1回の基準価額算定(T+0/T+1)で、ザラ場の価格を反映しません。一方ETFには、終値NAVに加えてザラ場近似のiNAV(indicative NAV)が配信され、裁定の軸になります。
2. プレミアム/ディスカウントの定義と直感
ETFの乖離率(プレミアム/ディスカウント)は次式で評価します。
乖離率(%) = (市場価格 − iNAV) ÷ iNAV × 100
プラスはプレミアム、マイナスはディスカウントです。直感的には、市場価格 > iNAV なら割高、市場価格 < iNAV なら割安です。ただし、iNAV自体がノイズを含む(遅延・評価手段・原資産の価格発見状況)ため、単一瞬間の値で断定せず、時間平均や出来高と同時観測で信頼度を補強します。
3. ETFの創造・償還と裁定の回路
ETFは指定参加者(AP)が原資産バスケットとETF受益権を交換する「創造(Creation)」と「償還(Redemption)」のメカニズムで理論価格に引き戻されます。価格がiNAVより大きく乖離すると、APは割高・割安の側を売買して裁定を行い、在庫調整を通じて乖離が縮小します。
この回路が効きづらい局面は以下です。
- 原資産市場が休場・薄商い(時差・祝日・夜間など)
- 組入れ資産が分散・非流動的(小型株やオルタナ資産)
- 創造単位が大きい(個人の資金規模では裁定不能)
- 為替の変動が速い(ヘッジ有無でiNAV推定にズレ)
個人投資家はAPのように創造・償還はできませんが、乖離のドライバーと収束の条件を理解すれば、収束方向に同調する取引(現物ETF × 先物/CFD/他ETFのペアリング)で期待値を作れます。
4. REITのNAVと「P/NAV」視点
REITでは「P/NAV(株価÷1口あたりNAV)」が一般的な割高・割安指標です。P/NAVが1を下回ればディスカウント、1を上回ればプレミアムです。PBRに似ていますが、NAVは保有不動産の鑑定評価や時価に依存するため、金利・空室率・賃料改定の想定で大きく変わります。
REIT特有の論点:
- 資本コスト(WACC)が上がるとNAVが低下しP/NAVは上振れやすい(分母低下)。
- LTV(負債比率)が高いと金利感応度が上がり、乖離が拡大しやすい。
- 増資・物件取得サイクルで一時的に需給が悪化(希薄化期待)。
実務では、Cap Rate − 長期金利のスプレッド、エリア別賃料トレンド、テナントの入替え計画とともにP/NAVの推移を時系列で観察し、ディスカウントが合理的か否かを判定します。
5. 公募投信の基準価額と「一日遅れ」問題
公募投信の基準価額は通常、営業日1回の算定で、ザラ場での売買はできません。そのため、海外資産を組み込んだ投信では、為替や先物が動いても当日NAVに反映されないという「遅延」が生じます。積立・取り崩しのタイミング設計では、この遅延と発注締切時刻を理解しておくと、期待と実績のズレを小さくできます。
6. 乖離を狙う実装ステップ(デイリー運用フロー)
- 監視リスト整備:指数連動ETF(国内外)、REIT指数ETF、公募投信ベンチマークを登録します。
- iNAVと市場価格の同時観測:1分足で乖離率を算出し、出来高と板の厚みも併記します。
- 原資産の価格発見状況を判定:先物が主導か、現物か、為替か。休場や薄商いでiNAV精度が低いときは見送ります。
- 収束トリガーの特定:原資産の寄付き、先物の清算、為替のボラ縮小、APのフロー観測(出来高急増)など。
- ポジション設計:乖離が縮小する方向に、相殺構造でエクスポージャーを持ちます(例:割高ETFを売り/原資産先物を買い)。単純な片張りは避けます。
- エグジット定義:乖離率が平常域に戻る、もしくは時間切れ(イベント不発)で撤退。必ず時間損切りを設定します。
- 記録と振り返り:乖離の原因・持続時間・収束スピード・取引コストをログ化し、次回の閾値に反映します。
7. 数式で理解するミニモデル
7.1 ETF乖離の分解
価格乖離 ≒ スプレッド + 評価遅延 + 原資産・為替の未反映分 + 需給要因 − 裁定圧力
需給要因には、大口フロー・貸株コスト・先物限月のロール需要などが含まれます。裁定圧力は出来高増加や板の厚み改善で強まります。
7.2 REITのP/NAVダイナミクス
P/NAV ≈ f(長期金利, 賃料成長率, LTV, Cap Rate, 増資期待)
金利上昇でCap Rateが拡大するとNAVは下がりやすく、同じ株価でもP/NAVは上にブレます。動的に見ます。
8. ケーススタディ
8.1 海外株式ETF × 日本時間の夜間
日本時間で夜間、原資産の米株現物が閉まっていても先物と為替が動きます。この場合、iNAVは先物・為替を参照した推定値になりますが、現物の価格発見が止まっているため信頼度が低下します。割高に振れたETFを空売りしたくなりますが、原資産が翌朝寄付きでギャップアップすると逆に踏まれる危険があるため、先物・為替と組み合わせたペア構造で臨み、時間損切りを厳格にします。
8.2 REITの大型増資観測とディスカウント拡大
増資観測で一時的に需給が悪化し、P/NAVディスカウントが拡大することがあります。ここで重要なのは、希薄化の規模と調達後の成長率です。調達資金で高利回り物件を取得しNAV成長が見込めるなら、過度なディスカウントは収束余地があります。指標だけでなく、用途・立地・稼働率・DSCRまで読み解きます。
8.3 公募投信の発注締切と為替イベント
為替が大きく動くイベント当日、発注締切時刻と基準価額算定ロジックの差により、期待と実績がズレます。積立の長期戦略でも、ニュースフローと締切の関係を理解しておくことで、短期的な落胆や過度な期待を避けられます。
9. 実務のディテール:コストと執行
- 売買手数料・スプレッド:乖離率が小さい取引では致命傷になり得ます。平均スプレッドの平常値を把握し、異常時だけ参加します。
- 貸株・逆日歩:空売りコストは動的です。突発的な需給悪化で逆日歩が跳ねると、乖離収益を上回ることがあります。
- ロール・ヘッジコスト:先物や為替ヘッジのロールコストを見積もります。保有が長引く前提のポジションは避けます。
- 気配・板の質:見せ板・薄板の時間帯はスリッページが拡大します。板の厚みと約定履歴で実質的な流動性を測ります。
10. リスク管理と撤退基準
乖離は「いつかは戻る」ではありません。構造的に恒久化する乖離(ヘッジ有無、課税差、上場市場の時間差、APの機能低下など)もあります。したがって、価格・時間・シナリオの3軸で撤退基準を事前定義します。
- 価格基準:乖離率が当初想定の2倍に拡大、または原資産と逆向きのトレンド発生。
- 時間基準:イベント(寄付き・指標発表)後、収束が確認できない。
- シナリオ基準:創造・償還の停止、指数の構成変更、為替ヘッジ方針の恒久変更。
11. よくある誤解
- 「NAVより高い=必ず下がる」:裁定コスト・時間差・評価遅延によって、高止まりは起こり得ます。
- 「REITのディスカウント=即買い」:金利上昇局面では妥当なディスカウントが長期化します。
- 「投信はNAVだから安全」:算定は1日1回で、イベントの影響は翌営業日に反映されます。
12. すぐ使えるチェックリスト
- iNAVの算出方法・遅延特性を確認していますか?
- 原資産の価格発見が行われている時間帯ですか?(休場・薄商いは避ける)
- 乖離のトリガー(寄付き、指標、増資、先物ロール)を事前に把握していますか?
- ヘッジ手段(先物・CFD・替わりのETF)の在庫・コストは十分ですか?
- 撤退条件(価格・時間・シナリオ)は明文化されていますか?
- 実現損益だけでなく、未実現のコスト(逆日歩・ロール)も記録していますか?
13. 具体例:数値で見る乖離の収束
ある海外株式ETFで、iNAV=10,000円に対して市場価格=10,150円(+1.5%)とします。先物市場で原資産相当のポジションを+1.0%分買い持ちし、ETFを等価額空売りした場合、先物が寄付きで+0.7%上昇し、ETFが+0.5%上昇にとどまったとします。乖離は+1.5%→+1.3%へ縮小。さらにAPフローで出来高が増加し、終盤には+0.6%まで縮小。この間にヘッジを段階的に外すことで、スプレッド縮小分を利益として固定化できます。逆方向に拡大した場合は、時間損切りです。
14. 小さな実装(Excel式と簡易ルール)
14.1 乖離率のExcel式例
= (市場価格セル - iNAVセル) / iNAVセル
14.2 平常域の推定
過去20営業日の乖離率の平均±2σを「平常域」と仮定し、外れたら監視アラート。戻ったらクローズ。単純ですが、初心者でも運用できます。
15. まとめ
NAVは「理論的な基準点」であり、価格は常にそこへ引き寄せられるとは限りません。しかし、どの要素が、どの時間軸で、どれだけの強さで乖離を生むのかを因数分解すれば、収束に同調する戦術は構築できます。重要なのは、参加条件を厳しくし、撤退を速くすることです。乖離の源泉を特定できない局面は、見送るのが正解です。
付録A:用語の整理
- NAV:ファンドの一口あたり理論価値。
- iNAV:ザラ場での参考NAV。遅延・推定誤差あり。
- AP:指定参加者。創造・償還で裁定回路を担う。
- P/NAV:REITの株価を一口NAVで割った指標。
付録B:ミニQ&A
Q. 乖離が長期化するときは?
A. 原資産が非流動、評価方法が保守的、ヘッジ方針の恒久変更、税制差・費用差が原因のときは長期化します。
Q. 初心者の入口は?
A. まずは乖離率の監視と出来高・板厚の同時表示から始め、平常域から外れたイベント時だけ小さく試すことを推奨します。
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