本稿では、ボラティリティ指数(VIX)とその先物の期限構造(Term Structure)を用いたイベントドリブン型のトレーディング手法を、基礎から実務レベルまで一気通貫で解説します。対象は株式・先物・オプション・ETFを扱う個人投資家であり、特に初学者でも実行できるよう、指標の読み方、売買ルール化、検証、執行、リスク管理の順に整理します。
VIXとVIX先物の基礎
VIXはS&P500オプションのインプライド・ボラティリティ(予想変動率)を年率換算で表す指標です。現物VIXは取引対象ではなく、実際の売買はVIX先物(期近・期先の複数限月)や、それに連動を目指すETF/ETN(例:短期先物へのエクスポージャー)で行います。ここで重要なのは、VIX先物は現物VIXと恒常的に乖離しうるという点で、価格の絶対水準よりも期限構造の形状が収益源になることです。
期限構造(Term Structure)とは
VIX先物の限月ごとの価格の並びを期限構造と呼びます。一般に平時はコンタンゴ(順ザヤ)になり、期近が安く期先が高い曲線を描きます。一方、市場がストレスに晒されるとバックワーデーション(逆ザヤ)となり、期近が急騰して期先との差が縮小・逆転します。
ロール・イールドの発生メカニズム
コンタンゴの下では、短期先物に連動する商品は毎日のロールで「高い期先を買い、安い期近を売る」ことになり、構造的なコスト(負のロール・イールド)が発生します。逆にバックワーデーションではロールが有利に働く(正のロール・イールド)可能性があります。このロール・イールドの符号と大きさが戦略の主たる収益ドライバーです。
この戦略が狙うリターンの源泉
- コンタンゴ期の負のロール・イールドをショート側で収穫(例:短期VIX先物エクスポージャーのショート)。
- バックワーデーション期の正のロール・イールドをロングで捕捉(急騰局面のヘッジや短期トレード)。
- 限月間スプレッド(カレンダースプレッド)の収斂(期近と期先の曲率変化を狙う相対価値取引)。
実務で見るべき入力データ
- 期近/期先の先物価格(第1限月と第2限月を最低限)。
- 期限構造の勾配(例:M1/M2比、あるいはM2−M1の差、パーセンテージ・スプレッド)。
- 現物VIXと先物の乖離(現物が先物を大きく上回る/下回る局面)。
- リスクイベント・カレンダー(雇用統計、CPI、FOMC、地政学)。
- 流動性・建玉・出来高(執行コスト・スリッページ評価)。
代表的な売買ルールの設計例
ルールA:コンタンゴ順張りショート(構造劣化の収穫)
条件:M1/M2比 < 0.98(または M2−M1 > 一定閾値)かつ現物VIXが20以下の平常モード。
ポジション:短期VIX先物エクスポージャーのショート(先物の直接売り、あるいは対応ETFのインバース・ポジションで代替)。
手仕舞い:M1/M2比が1.00を超える、もしくは現物VIXが急上昇し日次で+30%超のスパイクが観測された場合。
狙い:負のロール・イールドを日々回収し、平常時のボラ低下でキャリー獲得を目指します。
ルールB:バックワーデーション逆張りロング(ショック吸収)
条件:M1/M2比 > 1.03(逆ザヤ)かつ出来高急増。
ポジション:短期VIX先物エクスポージャーのロング(期近を中心)。
手仕舞い:M1/M2比が1.00付近へ回帰、または現物VIXがピークアウトして陰線連続。
狙い:ショック局面の短期反射(正のロール・イールド)とボラ上昇のモメンタムを捕捉します。
ルールC:カレンダースプレッド(M1ショート×M2ロング)
条件:コンタンゴで曲率が急で、M2−M1が統計的に高水準。
ポジション:M1を売り、M2を買うデルタニュートラル寄りの相対価値取引。
手仕舞い:スプレッド縮小(一定閾値到達)またはイベント通過。
狙い:期限構造の緩和方向への収斂から利益を得ます。総合ボラの絶対水準よりも形状変化に賭けるため、方向リスクを抑制しやすいのが利点です。
ポジションサイズとリスク管理
VIX関連のショートはテールリスクに極めて脆弱です。必ず以下をルール化してください。
- 損失制限:初期証拠金に対する最大許容損失を明文化(例:口座残高の0.5〜1.0%/トレード)。
- トレーリング・ストップ:スプレッドまたはVIX水準の急騰に合わせて自動的に買い戻し。
- イベント前の縮小:CPIやFOMCの前はエクスポージャーを削減またはフラット化。
- 分散:株式や金利、為替など他資産のヘッジと組み合わせる。
- 清算価格の把握:レバレッジ商品を利用する場合はメンテ証拠金・清算水準を常時モニター。
執行(Execution)チェックリスト
- M1/M2比・スプレッドの算出(過去分位点との比較)。
- 現物VIXと先物の乖離を確認(乖離拡大時は逆回転リスク)。
- 当日のマクロイベント(CPI、雇用統計、FOMC議長発言)。
- 出来高・板の厚み・スプレッド(執行コスト推定)。
- 注文種別(指値・逆指値・OCO)とサイズ(逐次分割)。
簡易検証(バックテスト)設計の考え方
本戦略は高頻度の売買を必要としないため、日次データでも有効性を検討できます。以下は疑似的なルールAの例です。
- 入力:日次のM1、M2の引け値、現物VIX、出来高。
- 参入:M1/M2 < 0.98 かつ VIX <= 20。
- 手仕舞い:M1/M2 >= 1.00 または VIX日次+30%超。
- 取引コスト:片道0.10〜0.25%を想定(商品・証券会社に依存)。
- リスク制約:最大ドローダウンが口座残高の10%を超えないサイズに調整。
評価指標は、シャープレシオ、ソーティノレシオ、最大ドローダウン、平均保有日数、勝率よりも損益分布(テールの厚み)を重視します。右側の裾が太く左側の裾が薄い分布が理想ですが、ショート・ボラ戦略は左裾が太くなりやすいため、ヘッジ・プロトコルの強化が最優先です。
ケーススタディ
2017年の低ボラ期
平時のコンタンゴが長期化し、負のロール・イールドを収穫する戦略が機能しやすい環境でした。過度なレバレッジを避け、日々のロールコストの蓄積を静かに取りに行くアプローチが奏功しました。
2018年2月「ボルマゲドン」
短期ボラ関連商品の急騰・価格異常が発生し、ショート・ボラ戦略が壊滅的打撃を受けた局面です。このタイプのテールイベントは定期的に発生しうるため、ショート一辺倒は禁物です。サイズ制御と損失打ち切りを最優先に設計します。
2020年のパンデミック初期
バックワーデーションが持続し、ロング・ボラやスプレッドのリバーサル戦略が機能しました。コンタンゴ復帰を待って順張りショートへ切り替えるフェーズ・マネジメントが鍵でした。
よくある落とし穴
- ショート偏重・過剰レバレッジ:テール一撃で退場になりやすい構造です。
- 現物VIXとの同一視:現物と先物は別物であり、期限構造が核心です。
- イベント前の油断:重要指標前はサイズ圧縮またはノーポジが合理的な場合が多いです。
- 執行コスト軽視:スプレッドの狭さ・板の厚み・約定速度は実現リターンを大きく左右します。
実装テンプレート(擬似コード)
入力:M1, M2, VIX, Volume
if (M1/M2 < 0.98 and VIX <= 20):
size = 資金×リスク許容度×係数
エントリー:ショート(短期VIXエクスポージャー)
手仕舞い条件:
1) M1/M2 >= 1.00, or
2) VIX日次+30%超, or
3) 経過日数>= N(日数上限)
リスク管理:
・OCO(利確・損切)
・トレーリング(スプレッド縮小/拡大に連動)
・イベント前縮小
他資産との組み合わせ
株式ロングのドローダウン期に、バックワーデーションで短期ヘッジとしてロング・ボラを短期活用する、あるいは金利先物・為替と組み合わせてマルチアセットのリスク・パリティに近づけるなど、ポートフォリオ全体最適の観点で設計すると効果が高まります。
まとめ
VIX先物の期限構造は、価格の方向ではなく形状の変化を収益源にできる点がユニークです。コンタンゴでは構造劣化(負のロール・イールド)を収穫し、バックワーデーションでは逆にロール優位を取りに行く。カレンダースプレッドで形状の歪みに賭ける。これらをサイズ制御・イベント管理・執行品質で支えることが、長期的な生存確率と実現パフォーマンスの両立に直結します。
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