株や為替に比べると馴染みが薄いかもしれませんが、信用スプレッド(クレジットスプレッド)は個人投資家にとって強力な収益源泉です。価格変動のドライバーが「金利」と「信用」の二軸に分解できるため、構造的に取りに行けるリターン(スプレッド縮小)と、回避すべきリスク(スプレッド拡大)を切り分けやすいのが特徴です。本稿では、難解な理論を最短距離で“使える実務”に落とし込み、ETF×ヘッジで実装する具体手順まで解説します。
1. 信用スプレッドの基礎:まず「何を取るのか」を定義する
信用スプレッドとは、同じ満期構造の社債と国債の利回り差のことです。代表的な定義は次の通りです。
- G-spread:国債カーブに対する単純な利回り差。
- I-spread:金利スワップ(IRS)カーブに対する利回り差。
- OAS(Option-Adjusted Spread):社債固有の埋込オプション(繰上償還など)を調整したスプレッド。実務ではこれが最も多用されます。
- Z-spread:ゼロクーポン国債カーブに対する一定上乗せスプレッド。
価格要因は大きく2軸です。(1)基準金利(国債・スワップ)の変動、(2)信用スプレッドの変動。
したがって「金利方向は極力中立化し、信用部分だけを取りに行く」設計が王道になります。
2. スプレッドが動く本質:景気・流動性・レバレッジ
スプレッド拡大(悪化)は、景気後退のシグナルや金融ストレスに反応して起きやすく、逆に景気が安定し流動性が潤沢な局面では縮小(改善)しやすいです。投資適格(IG)とハイイールド(HY)では敏感度が異なり、HYは景気悪化に対するベータが高いのが通常です。
経験則(実務の勘所)
- HYのスプレッドは拡大時にオーバーシュートしやすく、改善局面では急速に縮小しやすい。
- IGはディフェンシブで、金利影響(デュレーション)が大きめ。金利ヘッジの有無がP/Lを左右します。
- イベント(格下げ、M&A、バイバックステップアップ)で個別債のidiosyncratic riskが顕在化。ETFで分散するのが初手。
3. 個人が使えるプロキシ:ETFで「信用」だけを近似する
個別債やCDSは敷居が高いため、まずは流動性の高いETFで近似します。
- LQD:米投資適格社債(IG)エクスポージャ。
- HYG / JNK:米ハイイールド社債(HY)。
- IEF / TLT:米国債(7–10年 / 超長期)。金利ヘッジに使用。
- VCSH:短期IG。デュレーション短めのIGプロキシ。
ETFは「金利+信用」の合成商品なので、金利要因をヘッジしてやると、より純粋な「信用」収益を狙えます。
4. 戦略①:IG/HYスプレッド・リバーション(ペアトレード)
発想:景気ショックでHYが売られすぎ、IGとの差が拡大したら、HY売り・IG買いで「差の縮小(平均回帰)」を取りに行きます。逆に差が縮小しすぎたら逆ポジション。
設計手順
- シグナル:HY–IGのリターンスプレッド、あるいはOAS差のローリングZスコア。
例:z = (spread_t - μ) / σ
(過去252営業日など)。 - エントリー:
z > +1.5
なら「HY売り・IG買い」。z < -1.5
なら逆。 - サイズ:ボラ等価(各レッグの過去ボラで重み調整)またはデュレーション等価。
- イグジット:
|z| < 0.3
でクローズ。もしくは日次トレーリングで利益確定。 - ストップ:
|z| > 2.5
でカット、または最大ドローダウン閾値で強制退出。
デュレーション調整の近道
LQDの実効デュレーションは概ね8–9年、HYGは3–4年程度のことが多いです。
デュレーション等価で重み付けするなら、おおよそ 重み比 ≒ 1(HYG) : 2(LQD)
から調整を始め、過去60–120日の回帰で微調整します。
数値例(概念)
直近の平均と比べて、HY–IGのOAS差が +120bp まで拡大(z = +1.8)。 -> HY売り(例:HYG空売り)、IG買い(例:LQDロング)。 -> デュレーション等価で LQD 2,000,000円 / HYG 1,000,000円 程度から開始。 -> z が 0 近辺に回帰、またはペアP/L +3〜5% 到達で利益確定。
5. 戦略②:デュレーション・ヘッジでOASを取りに行く(IG単体)
発想:IGのスプレッドが十分に拡大した局面では、IGを買い、国債で金利を売ることで「純粋な信用リスクプレミアム」を狙います。
基本式(DV01中立)
債券価格の金利感応度(DV01)を一致させるように、国債ヘッジ量を決めます。
ヘッジ比率 ≒ DV01(IG) / DV01(Treasury) 近似として デュレーション × 元本 で置換え可。 例:LQD(Dur ≒ 8.8)1,000,000円ロング に対し、 IEF(Dur ≒ 7.7)ショートを 1,140,000円 前後(8.8/7.7倍)
これにより「金利が上がっても下がっても」P/Lは主にOASの変化で決まりやすくなります。
エントリーの目安
- IG OASが長期平均より+1σ〜+2σ拡大。
- HYの急拡大が一服(ボラ縮小)し、システミックな連鎖が弱まっている。
- クレジットイベントの集中(格下げラッシュ等)が落ち着きかけ。
利確・損切り設計
- 利確:OASが平均回帰、または過去高水準から-50〜-100bp縮小。
- 損切り:更なるストレスで+50〜+80bp拡大、または日次トレーリングでピークから-2〜-3%。
6. 戦略③:IGカーブのスティープナー/フラットナー(短期×長期)
発想:同じIGでも、短期(例:VCSH)と長期(例:LQD)でスプレッドの動き方が異なります。景気不安の初期は長期のリスクが先に売られ、回復局面では長期が巻き戻すことが多い——この「形」を取る戦術です。
実装の型
- スプレッド指標:
spread = return(LQD) - return(VCSH)
のZスコア。 z < -1.0
で「LQD買い・VCSH売り」(フラット化→正常化)。z > +1.0
で逆。- ボラ等価 or デュレーション等価で重み調整。
7. 実務の落とし穴(必読)
- 流動性リスク:ストレス局面ではETFのスプレッドが拡大し、NAVから乖離することがあります。
- ヘッジのズレ:IGを国債でヘッジしても、カーブ形状やコンベクシティ差でベーシス残りが発生します。
- イベントリスク:格下げ連鎖、LBO、償還条項行使などは「平均回帰」を無効化し得ます。
- 通貨:外貨建てETFは為替の影響を受けます。為替ヘッジの有無でリスク/コストが変わります。
- 金利急変:DV01中立でも、ヘッジ先(IEF/TLT)の出来高やリバランス遅延でP/Lがブレます。
8. 具体的な運用フロー(チェックリスト)
- データ取得:IG/HY OASの長期平均・標準偏差、対象ETFのデュレーションと過去ボラ。
- シグナル生成:Zスコア、ボラ等価ウェイト、週次のレバレッジ上限。
- 発注:成行は禁止。目安スプレッド内で指値。片側だけ約定した場合は必ず両建て完成まで追随。
- リスク管理:最大レバレッジ、最大ドローダウン、日次・週次の損失限度。
- 出口:Zスコア回帰、時間切れ(例:10~20営業日)、ニュースイベント前の一時解消。
- レビュー:ケースごとに「拡大の原因(マクロ/ミクロ)」を言語化し、再現ルールに反映。
9. ミニFAQ
Q1. HYがさらに売られたら?
A. 逆張りの宿命です。ロットを分割し、シグナルの強度(z)に比例して段階的に組み入れ、最大損失を事前に限定します。
Q2. OASはどこで見られる?
A. 主要ベンダーが提供します。個人はETFと国債の組合せで近似し、相対値(Zスコア)で判断するのが現実的です。
Q3. 金利方向が当たっただけで勝ってしまう…
A. その場合はヘッジ比率の見直し(DV01一致)、または金利イベント前の一時クローズをルール化してください。
10. まとめ:平均回帰とヘッジで「信用」を切り出す
信用スプレッドは、景気と流動性が作る“波”に強く影響されます。①IG/HYペアの平均回帰、②IG+国債ショートでOASを狙う、③IGカーブの形状変化を取る——いずれも金利を極力中立化し、信用だけを抽出する設計がポイントです。小さく試し、ルールを磨き、再現性を高めてください。
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