「ボラが大きい現物は怖い。でも“方向”を張らずに年率を取りたい」——そんなニーズに合致するのがベーシストレード(キャッシュ&キャリー)です。仕組みはシンプルで、現物ロングと先物ショートを同数量建て、ベーシス(先物の上乗せ分)をインカムとして確定的に取りに行く裁定です。ここでは、暗号資産市場の構造を踏まえ、実装・計算・リスク・運用オペレーションまでを実務レベルで整理します。
1. ベーシスの正体:先物価格=スポット×(1+r−y)×時間
先物は理論上、資金調達コスト(r)と保有コスト/利回り(y)の差分を織り込みます。暗号資産の典型は保有利回りが小さいため、r>yとなりやすく、期先がスポットより高い(順ザヤ=コンタンゴ)が常態化しやすい。
理論近似:F ≒ S × (1 + (r − y) × T)
(年率ベース、Tは年換算)
実務での読み替え
- 期限付き先物:期先価格とスポットの差(年率化)を狙う。
- パーペチュアル:資金調達率(Funding)が正ならショート側に受取フロー。
2. 代表的スキーム
2-1. 期限付き先物のキャッシュ&キャリー
手順:
(1) スポット(例:BTC)を現物で購入(USDT/JPY換金が必要)
(2) 同数量を期先先物で売り
(3) 満期に先物がスポットに収斂して差益が確定。
期待収益(年率):APR ≒ (F − S − 全コスト) / S × (365 / 残存日数)
2-2. パーペチュアル×現物の“擬似キャリー”
手順は同じ。ただし利回り源泉はFunding受取。8時間毎/1時間毎の支払いスケジュールを年率化。
期待APR:APR_funding ≒ (平均Funding率 × 回数/日 × 365) − コスト年率
3. 数字で腹落ち:BTCの具体例
条件(仮定):
・S=10,000 USDT、3か月先のF=10,600 USDT(+6%プレミアム)
・残存日数=90日、手数料往復=0.06%、資金コスト=年3%、出金等雑費=0.2%
粗APR:6% × (365/90)=約24.3%
コスト年率換算:手数料0.06%×(365/90)=0.24%、資金3%、雑費0.8%(0.2%×(365/90)≒0.81%)
ネットAPR≒ 24.3% − (3%+0.24%+0.81%) ≒ 20.3%
ポイント:プレミアムの“年率化”で錯覚が起きやすい。残存が短いほど見かけのAPRは跳ねるが、ロールの摩擦(手数料・スリッページ・税)を必ず差し引く。
4. 実装オペレーション(所要USDTと証拠金管理)
4-1. 建付け資金
1BTCあたりの必要概算:
・現物購入用:S相当のUSDT
・先物証拠金:取引所の維持率に応じて(例:初期証拠金10%なら1,000USDT)
合計資本効率は、現物側にレバレッジをかけられない点で限定されやすい。エクスチェンジ間で現物を借りる選択肢がない個人は、自己資本×先物ショートが基本形。
4-2. リスク指標の日次チェック
- 先物-現物のベーシス曲線(全限月)
- Fundingトレンド(プラス/マイナスの継続性)
- 建玉・証拠金維持率、清算距離(破綻値)
- ボラティリティ上昇時のヘアカット規則変更告知
5. どこで勝つか:“構造”と“摩擦”の分解
5-1. 構造優位
暗号資産はレバレッジ投機の比率が高く、買い持ち志向により期先が上振れやすい。これがキャリーの源泉。
5-2. 摩擦の最小化
- 手数料:VIPレベルやメイカー手数料の最適化。
- 資金移動:ネットワーク手数料の安いチェーンを活用(USDTの移動はL2/他チェーンを比較)。
- スリッページ:板厚い時間・板の厚い通貨ペアを選ぶ。
- 税計算:期中決済の頻度設計。決済の回数=税務イベントの回数になり得る点に留意。
6. 期限先物とパーペチュアルの使い分け
期限先物は収斂の確実性が高く、カレンダースプレッド等の構造取引が取りやすい。一方、パーペチュアルはFundingが反転(プラス→マイナス)すると収益源泉が消えるため、変動金利型と捉えるのが正確です。
7. 実用ツール:APRの即時計算式
期限付き:
APR = ((F − S) − (手数料+借入金利+その他)) / S × (365 / 残存日数)
パペチュアル:
APR = (平均Funding×回数/日×365) − コスト年率
高速見積もりの暗算
残存30日でプレミアム2%なら、年率化はおおよそ2%×12=24%。ここから手数料と金利を引く。
残存90日で4%なら、4%×(365/90)≒16.2%。直感を持つと、スクリーニングが速くなる。
8. ケーススタディ:ETHキャリーを3か月ロール
前提:ETHスポット=2,000、3か月先=2,080(+4%)、手数料往復=0.05%、資金年率=2.5%
単発APR:4%×(365/90)=約16.2%
コスト年率:0.05%×(365/90)=0.20%、+2.5%=2.7%
ネットAPR:約13.5%
これを4回/年ロールする想定では、各期のスリッページと相場局面で実効APRは上下する。プレミアムが薄い期は無理にロールしない(現金化して機会待ち)判断が生き残り戦略。
9. リスク管理:理論デルタ中立は“実務上の非中立”
- ベーシスの縮小/拡大:収益は先物の収斂に依存。途中でベーシスが拡大すると含み損が出ることがある。
- 清算リスク:先物ショート側の証拠金が不足すると強制決済。ボラ急騰時の追証応答速度が生命線。
- 取引所リスク:障害・破綻・出金停止。エクスポージャー分散は鉄則。
- ベーシスの経済学:需給が反転(リスクオフ)するとバックワーデーション化、キャリー源泉が消滅。
10. 実務テンプレ:プレイブック
- 対象通貨の選定(BTC/ETHが王道、板厚と借入/出金動線)
- 限月マトリクスの取得(当月・翌月・四半期・半年)
- ベーシス年率の算出と閾値設定(例:ネットAPR12%以上でエントリー)
- サイズ配分(1回で全ベットせず、3分割投入)
- ヘッジ比率100%厳守(数量ミス防止:注文テンプレ化)
- 日次チェックリスト(Funding/証拠金/告知/出金キュー)
- 利確・損切りルール(想定外のバックワーデーション化時の撤退条件)
11. よくある失敗と対策
- 数量ズレ:現物1.000 BTCに対し先物0.99 BTCショート→デルタが露出。小数点管理と確認フローを標準化。
- 資金移動の遅延:チェーン混雑で裁定が消える。複数取引所に常時USDTを配備しておく。
- 資金コスト軽視:法定通貨調達の金利やステーブルのレンディングコストも年率換算して差し引く。
- 税イベントの多発:短期での頻繁なクローズは事務負荷増。月次バッチや決算期の前倒し整理など運用で吸収。
12. 応用:カレンダー&クロス取引
同一資産で限月を跨ぐカレンダースプレッド、類似ベータの異資産(BTC/ETH)でのクロスベーシスなど、相対価値を獲る応用もある。相関の崩れは損益の源泉にもリスクにもなるため、回帰βの定期再推定が鍵。
13. 監視ダッシュボードの最低限
- スポット/先物価格、限月別ベーシス年率
- Funding履歴(平均・分散・反転検知)
- 板厚・スプレッド・約定速度
- 証拠金維持率・清算価格
14. まとめ
ベーシストレードは方向を張らずに“構造”を収穫する戦略です。勝ち筋は、ベーシスが厚い局面だけを選ぶこと、摩擦を最小化すること、そして破綻しない資金管理に尽きます。数字に落として、狙える時期だけ淡々と回す——この“作業化”がリターンの安定性を生みます。
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