資金調達レート(Funding Rate)と先物ベーシス(現物と先物の乖離)を原資とした裁定運用は、価格方向に賭けずに収益を積み上げる構造的な戦略です。ここでは、個人投資家でも実装できるレベルまで、口座設計、建玉フロー、担保運用、KPI、バックテスト、障害対応、ケーススタディに至るまで、具体と数式で徹底解説します。単なる概念紹介ではなく、日々運用の現場で迷わない手順と判断基準を明示します。
- 戦略の目的と到達点
- 用語と数式の最短整理
- アーキテクチャ:7階層の設計図
- 初期口座設計:担保とヘアカット
- 建玉フロー:順序と同時性
- Funding型(現物ロング+Perpショート)の詳細
- 期先型(現物買い+期先売り)の詳細
- カーブ戦略:カレンダースプレッド運用手順
- レジーム判定:配分ロジック
- KPIとモニタリング設計
- バックテスト:実装ギャップを埋める設計
- 台帳(ブック)設計:監査可能性と再現性
- オペレーションSOP:日次・週次・月次
- 障害時対応:同時クローズと資金導線
- ケーススタディ:3つの市況を数値で比較
- よくある失敗と回避策
- チェックリスト
- 付録A:損益式と閾値の具体計算
- 付録B:アラートと自動縮小の擬似ロジック
- 付録C:日次レポート雛形
戦略の目的と到達点
目的は、相場の上げ下げに依存せず、取引制度が生む支払・受取フローを継続的なキャッシュフローへ変換することです。期待する到達点は次の通りです。リスク当たり収益(CalmarやSortino)の安定化、回転コストと清算リスクを抑えたデルタ中立の維持、期先ロールと担保運用の二階建てによる利回りの底上げ、そして障害時の同時クローズ体制の確立です。
用語と数式の最短整理
Funding Rateは無期限先物の価格乖離修正メカニズムで、一定間隔(例:8時間)ごとに多くの場合でプレミアム側がディスカウント側へ支払います。1期間のレートをf、1日あたりの期間数をnとすると、日率はf×n、単純年率はf×n×365で近似します。
先物ベーシスは現物価格Sと満期Tの先物価格Fの比率で、年率化ベーシスは((F/S) – 1) × (365/残存日数)で近似します。キャッシュ・アンド・キャリー(現物買い+先物売り)は、この年率化ベーシスがほぼ期待利回りの源泉になります。
アーキテクチャ:7階層の設計図
運用全体を以下の7階層で設計します。上から順に固めると迷いが減ります。
① 資金配分:担保バスケット(現金・短期債・ステーブル)の比率、ヘアカット、安全余力の定義。
② 市場選定:対象銘柄、先物の期先、建玉上限、清算制度、保険基金の規模。
③ シグナル:Fundingと現先スプレッドの期待値推定、分散特性、レジーム判定。
④ 執行:指値/成行の配分、TWAP/Iceberg、板厚に応じたサイズ分割。
⑤ リスク:デルタ逸脱、清算距離、集中度、相関変動、流動性崩落。
⑥ オペレーション:入出金導線、為替換金、送金カットオフ、ロール暦。
⑦ 監視/レポート:KPI、しきい値、アラート、障害時の同時クローズ。
初期口座設計:担保とヘアカット
担保は「価値の安定」「換金の速さ」「所有権の明確性」を重視します。現金・短期国債ETF・MMFなどの低ボラ資産を中核にし、必要に応じてステーブル資産を補助的に用います。口座間をまたぐ運用では、追証導線の時間軸(銀行営業日・チェーン混雑・出金カットオフ)をタイムライン化し、ヘアカットを余裕側に設定します。
項目 | 推奨初期値 | 狙い |
---|---|---|
安全余力 | 想定最大ドローダウン+出金ラグ×2 | 急変時の同時クローズ資金の確保 |
担保分散 | 現金/短期債/ステーブル=60/30/10 | 換金性と金利の両立 |
取引所集中 | HHI 0.35以下 | 制度リスクの分散 |
建玉フロー:順序と同時性
デルタ中立の建付では、現物→先物(またはPerpショート)の順序が基本です。先に板の薄い方を動かすと価格が滑りやすいため、一般に現物から着手します。大型サイズはTWAPで時間分散し、建付直後にデルタ偏差(名目差/総名目)を測定して±0.5%以内へ収めます。
同時クローズの仕組みを必ず用意します。障害や急変時に片側だけを先に閉じると、裸の方向性リスクが瞬時に顕在化します。キルスイッチで発火する同時クローズ手順(成行で両建玉を同一スナップショットで解消)をSOPに組み込みます。
Funding型(現物ロング+Perpショート)の詳細
狙いは、受取Fundingの積み上げです。建付コスト(手数料・滑り)と資本コスト(借入利息や担保の機会費用)を超える純受取を継続確保します。
損益近似:PNL日次 ≈ Notional × Funding日率 − 総コスト日次。
ブレークイーブンFunding:総コスト日次 / Notional。この値を上回る時間帯・銘柄・取引所へ配分します。
数値例:名目10万USD、Funding 0.03%/日、建付コスト0.15%、資本コスト年5%。初期5日で建付コストを回収し、その後はFunding−資本コストが純益となります。Fundingが反転してマイナスに傾く局面では、サイズ縮小や期先型へのスイッチで受払を最適化します。
運用上の要点:取引所横断で時間帯分散し、支払い側に回る時間の総量を最小化します。レジーム(強気/弱気/中立)により最大許容エクスポージャーを切り替え、Fundingの分散が跳ねる局面では新規約定を絞ります。
期先型(現物買い+期先売り)の詳細
満期またはロール時にベーシスを収穫します。建付時点で期待利回りが確定的に近い一方、流動性やロールコストの管理が肝心です。
年率化ベーシス:((F/S) – 1) × (365/残存日数)。
総コスト:手数料、滑り、資金移動コスト、借入利息、担保機会費用などを含みます。
ロール設計:残存30→7日の間で段階的にロールし、板の厚い時間帯を狙います。
数値例:残存60日で+0.82%のベーシス(年率5%相当)なら、名目10万USDで粗利820USD。手数料100USDでネット720USD。担保を年4.5%で運用できれば、両立できた分だけ上積みが期待できます(資金拘束を考慮して安全側に見積もります)。
カーブ戦略:カレンダースプレッド運用手順
期近と期先のベーシス差に着目し、割高な期近を売り、割安な期先を買う相対価値を狙います。特にロール直前やイベント前後は歪みが拡大しやすいです。注意点は、同一銘柄でも約定基準やADL/保険基金仕様が異なると相関が崩れることです。制度の差が裁定余地を生む一方、想定外の乖離も生みます。
実装手順:① 期近・期先の年率化ベーシスを同時観測、② 乖離が閾値を超えたら小口で分割構築、③ イベント通過とともに乖離収束を利確、④ 期近の清算距離が詰まる場合はサイズを抑制します。
レジーム判定:配分ロジック
Fundingはセンチメントの反映です。強気ではプラス継続、弱気ではマイナス寄り、中立では低位安定になりがちです。次のように配分を切り替えます。
レジーム | 判定指標 | 運用方針 |
---|---|---|
強気 | Funding平均が閾値上、OI増加、先物プレミアム拡大 | Funding型比率を引き上げ、取引所分散でリスク低減 |
弱気 | Funding平均がマイナス寄り、出来高萎縮 | 期先型へシフト、支払い時間帯を最小化 |
中立 | Fundingの分散が低い | 小口分散、カレンダースプレッドを厚めに |
KPIとモニタリング設計
迷いを減らすにはKPIの可視化が有効です。以下の指標を日次/週次で出力します。
- 総名目(Notional)、デルタ偏差(名目差/総名目)、清算距離(Maintenance比)
- Funding実現額(8h×3枠の集計)、ベーシス実現額(案件別)
- 手数料・滑り・資金移動・借入利息の寄与分解
- 取引所/銘柄集中度(HHI)、担保効率(担保総額に対する最大ドローダウン時余力)
- 日次PNL、週次Calmar、レジーム別勝率
バックテスト:実装ギャップを埋める設計
バックテストでは、データ取得の粒度、約定モデル、想定外コストを重視します。
データ:Funding(8h刻み)、現先価格(複数満期)、出来高/OI、手数料テーブル、板厚から推定するスリッページ、入出金コスト。
約定モデル:成行割合をパラメーター化し、指値ヒット率は滞留時間から推定します。板厚に応じてサイズを分割するTWAPを採用します。
想定外コスト枠:ライブ運用で発生し得る障害・遅延・ADL等に備え、収益の5〜20%を安全側で控除します。
評価:実現Funding/ベーシスの寄与、コスト分解、ドローダウン、Calmar、レジーム別の分散を比較します。
台帳(ブック)設計:監査可能性と再現性
日次の取引ログと資金移動ログを突合できる台帳を維持します。推奨スキーマの一例を示します。
列名 | 説明 |
---|---|
ts | UTCタイムスタンプ |
venue/symbol/maturity | 取引所、銘柄、満期 |
side/qty/price/notional | 売買方向、数量、価格、名目 |
delta_dev | 建付直後のデルタ偏差 |
funding_realized | 8hごとの実現Funding |
basis_entry/exit | 期先の建付時/解消時ベーシス |
fees/slippage/cash_movement | コストと入出金 |
liq_distance | 清算距離 |
regime | 強気/弱気/中立 |
オペレーションSOP:日次・週次・月次
日次:データ遅延・メンテ告知・余力・清算距離・Funding閾値の確認、建付/縮小/撤退の実行、日次KPIの自動出力、アラートのテスト。
週次:レジーム判定の閾値見直し、取引所/銘柄集中度の再配分、ロール計画の更新、想定外コスト枠の妥当性評価。
月次:失敗ケースの事後分析、SOP更新、担保構成とヘアカットの見直し。
障害時対応:同時クローズと資金導線
API停止や極端な価格乖離が発生した場合、片側だけの解消は禁止します。事前登録の同時クローズ手順をキルスイッチで発火し、担保口座→先物口座の資金移動を最短導線で実行します。銀行営業日やチェーン混雑を織り込んだタイムラインを予め文書化しておきます。
ケーススタディ:3つの市況を数値で比較
強気相場:Fundingプラス持続。Perpショートの比率を引き上げ、期先は割高なら小口にとどめます。日次の実現Fundingが総コストを恒常的に上回るため、複利効果が効きます。
弱気相場:Fundingがマイナス寄り。支払い時間帯を最小化し、期先のキャリーに軸足を置きます。ベーシス縮小リスクは段階ロールとサイズ管理で抑えます。
レンジ:Funding低位安定。期近期先の歪みと板薄時間の微少アービトラージを積み上げます。最低期待値のしきい値を下回る回転は避けます。
よくある失敗と回避策
- 片側だけ閉じる:裸の方向性リスクを被ります。必ず同時クローズの手順を用意します。
- 担保のオフランプ詰まり:換金・送金の遅延で追証が遅れます。営業日・カットオフ・混雑を織り込みます。
- 過度集中:単一取引所・単一銘柄は制度リスクが集中します。HHIで上限を管理します。
- コスト軽視:数%の収益が蒸発します。VIP階層後の実現手数料で管理します。
- Funding反転の放置:自動縮小のしきい値を明示し、閾値割れでフェードアウトします。
チェックリスト
清算距離と追加証拠金導線、担保の換金タイムライン、集中度、Funding閾値と自動縮小、期先ロール計画、手数料・滑りの見積根拠、障害時の同時クローズ、日次KPIの自動化。
付録A:損益式と閾値の具体計算
PNL日次 ≈ N × f日 − C日、BE_f ≈ C日 / N。
N:名目、f日:Funding日率、C日:総コスト日次。
期先はPNL満期 ≈ N × 年率化ベーシス × (保有日数/365) − 総コスト。
付録B:アラートと自動縮小の擬似ロジック
Funding平均がθを下回れば新規停止、θ−εで縮小、σ(標準偏差)が閾値を超えれば全体サイズを係数kで逓減します。清算距離が閾値Lを割れば即時同時クローズを発火します。
付録C:日次レポート雛形
本日建玉(銘柄、名目、デルタ偏差)、Funding実現額、期先ロール残存日数と含みベーシス、清算距離、手数料合計、前日比PNL、レジーム判定。
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