本稿では、日本株の立会外分売(以下、分売)を利用したアービトラージ(以下、本戦略)の実務を、初心者にも再現可能なレベルまで分解して解説します。分売は既存株主(主に大株主や創業者、VCなど)が保有株式を市場外で機関投資家・個人投資家へディスカウントして売り出す施策です。個人投資家は証券会社を通じて事前に申込を行い、抽選で配分を受け、翌営業日の寄付以降に売却して差益を狙います。
本戦略の魅力は、①エントリー価格がディスカウントされる、②スケジュールが事前に可視化される、③需給ショック(浮動株増加)由来の短期パターンが比較的読みやすいの3点です。一方で、公募価格割れ、地合い急変、出来高不足といったリスクがあるため、期待値設計と執行手順が重要です。
立会外分売の基本構造
分売は、発表から実施までの期間において、発行体のIR・証券会社告知・取引所開示を通して市場に情報が供給されます。主なパラメータは以下の通りです。
- ディスカウント率(
d
):通常1%〜5%程度。希少性や地合いで変動。 - 売出数量(
Q
):浮動株に対する割合(Q/FreeFloat
)が需給に効く。 - 実施日程:申込日(夜間含む)、割当(抽選)結果、受渡日、売買可能開始タイミング。
- 申込上限(口数・株数):個人の配分期待値に直結。
- ロックアップ・継続保有条件の有無:大株主の将来売却圧力の手がかり。
個人投資家の基本動線は「発表確認 → 銘柄評価 → 申込 → 配分 → 当日寄付〜前場での手仕舞い」です。初学者は「当日寄付〜前場での売却」に限定したシンプル戦術から始めるのが現実的です。
収益源の分解:どこで優位性が生まれるか
- 価格ディスカウント:前営業日の終値(または基準価格)に対して数%安で取得可能。
- 初値ギャップ:当日の寄付は前日終値に対してギャップを作ることが多く、分売価格との差で期待値が生じる。
- ボラティリティの収縮/拡張:分売後は浮動株増&ホルダー分散により短期的な価格伸びが抑制されるケースがある一方、需給イベント消化でリバウンドが出るパターンもある。
- コスト最適化:売買手数料、貸株料、税コストの最小化でネットP/Lを底上げ。
初心者はまずディスカウント+寄付執行のコンボだけに集中し、反転狙いのスイングは慣れてからにします。
銘柄選定:勝ちやすい案件のフィルタ
全件参加は非効率です。以下の定性的フィルタを組み合わせます。
- 流動性:平均売買代金が十分(例:1億円/日以上)で、板の厚みがある。
- 規模:極端に小粒だと需給ショックが大きく、初値が弱含みやすい。
- 割引率:2%未満は妙味が薄い一方、5%を超える場合はネガティブ情報の可能性も吟味。
- 売出比率:浮動株に対する売出比率が高すぎると、需給悪化懸念で重くなりやすい。
- 地合い:指数が急落中、または当該セクターの悪材料ラッシュ時は回避も選択。
数値データが取れない場合でも、売買代金と板のスカスカ度合いを目視でチェックするだけで精度は上がります。
配分期待値のモデル化:いくら申し込むべきか
配分ロジックは証券会社ごとに異なりますが、個人向けには概ね抽選です。簡易モデルを定義します。
申込数量(自身) = A 総申込数量(市場全体推定) = S 売出数量 = Q 当選確率 ≒ min(1, Q / S) 配分期待株数 E[alloc] ≒ A × Q / S(上限調整あり) 期待利益 E[P/L] ≒ E[alloc] × (初値想定 - 分売価格) - コスト
実務では、Sの推定が難所です。過去の同業他社案件、SNSの盛り上がり、板気配、割引率、売出比率から概算します。初心者は「資金拘束と抽選上限に合わせて等比的に口座分散」する方法が現実的です。
当日の執行アルゴリズム:寄付・板寄せの扱い
基本方針は「寄付で機械的に手仕舞い」ですが、以下の判断ツリーを用意します。
- 寄前気配が分売価格を十分上回る(例:+0.8%以上):寄付成行または分売価格に対して0.3%下の逆指値付指値。
- 寄前気配が分売価格付近:寄付後の初動を30〜60秒観察し、出来高が厚く買い板が埋まるなら成行でクローズ。薄い場合は撤退幅を0.4%に拡大。
- 寄前気配が割れそう:初値割れを想定し、寄付直後の自律反発(1〜3ティック)で機械的に逃がす。反発が無い場合は損切り幅を0.6%まで許容するが引っ張らない。
慣れるまでは「寄付成行」一択で十分戦えます。余計な判断は期待値を毀損します。
PTSの活用:前夜の価格発見を読む
前夜のPTSで出来高が集中し、分売価格より明確に上で引けた場合、寄付でも優位なことが多いです。ただし、PTS参加者の成行投げが寄付に出ると一瞬だけ気配が崩れることがあります。PTSの引け価格と出来高、板の厚みをメモして、寄付判断の補助に使います。
具体例(架空データ)でフルワークフロー
銘柄X(東証プライム)。平均売買代金8億円/日。売出数量Q=1,200,000株
、前日終値1,000円、ディスカウント率d=3.0%
で分売価格は970円。売出比率は推定浮動株の約8%に相当。
- 案件評価:流動性十分、ディスカウント良好、売出比率は許容。
- 申込設計:SBI・楽天・松井の3口座で上限×3。総申込
A_total=3,000株
。 - 配分予想:SNS・板気配から総申込推定
S=2,400,000株
。配分期待E[alloc]=A_total×Q/S ≒ 1,500株
(上限調整後の感覚値)。 - 前夜PTS:出来高増、引け998円。分売価格比+2.9%。
- 寄前気配:1,000〜1,002円。分売価格比+3.1%。
- 執行:寄付成行で売却。初値1,001円、手数料控除前の粗利は
(1,001-970)×1,480株=45,?560円
(実配分1,480株だったと仮定)。 - フォロー:前場の戻り狙いはせず終了。午後は次案件のチェック。
上記は架空例ですが、数字を紙に書いて意思決定を自動化することで、心理的なブレを抑えられます。
初心者向けチェックリスト(前日〜当日)
- 前日:案件告知を確認。割引率・売出数量・上限口数をメモ。
- 前日夜:参加口座で申込。資金拘束を把握。
- 当日朝:配分結果を確認し、約定株数を一覧化。
- 寄前8:50〜:板と気配を確認。寄付成行の注文をセット。
- 寄付:予定どおり手仕舞い。滑ったら追撃成行で処理。
- 約定後:手数料・税引後P/Lをメモ。ルール逸脱の有無を振り返る。
よくある失敗と対策
- 地合い無視:指数急落日は勝ち筋が鈍る。無理に出ない。
- 薄商い銘柄に突撃:板がスカスカだと出口がない。平均代金フィルタを厳格に。
- 判断の引き伸ばし:寄付の迷いはスリッページを拡大。事前に注文を入れておく。
- 分売後のスイング化:予定外の持越しは期待値が崩れる。原則当日完結。
シンプルな資金配分ルール(テンプレ)
案件スコアをscore = w1×割引率 + w2×平均代金スコア + w3×売出比率の逆数 + w4×地合い
で0〜10に正規化し、score ≥ 6
のみ参加。参加案件数に応じて等金額申込、口座分散で配分確率を引き上げます。
用語ミニ解説
- 立会外分売
- 取引所の通常立会の場外で行う売出し。個人も参加可能なディスカウント売出。
- 板寄せ
- 寄付・引け時に注文を一括マッチングする方式。寄前の気配は参考値。
- 浮動株比率
- 市場で実際に流通している株式比率。需給の軽重に直結。
- ディスカウント率
- 基準価格に対する売出価格の割引率。
まとめ
分売は「割引×寄付手仕舞い」の単純戦術だけでも再現性を作れます。ルール化、案件選別、資金配分、寄付の執行。この4点を機械的に運用すれば、初心者でも過度な裁量に頼らずにイベント・ドリブンのリターン源泉へアクセスできます。
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