本稿では、個人投資家が現実的に取り組めるマーケットメイク(以下、MM)について、抽象論ではなく実装レベルの具体策を提示します。株式・FX・暗号資産(CEX/DEX)に共通する「板・スプレッド・在庫(インベントリ)・手数料・ボラティリティ」の5要素を軸に、最小構成のMMから段階的に機能を拡張する手順を解説します。裁定や超高速処理が前提のHFTとは切り離し、個人向けの現実解にフォーカスします。
- マーケットメイクの到達点と前提
- 収益構造の分解:何で稼ぎ、どこで失うか
- キュー優先度と「並ぶ位置」がすべて
- 銘柄選定:5つの定量フィルター
- 最小構成のMM:ワンレンジ・両面クオート
- スキュー(傾け)の基本:在庫とマイクロプライス
- ボラティリティ連動のスプレッド設計
- キルスイッチとイベント回避
- 具体的な運用フロー(例:BTC/USDT 現物/CEX)
- 実現スプレッドと有効スプレッドの把握
- 在庫制御のスキーム:線形スキューとバンド型ロジック
- 「レンジ束縛」戦略と「トレンド追従」回避
- 手数料とリベート:収益の第2エンジン
- DEXでのMM:集中流動性の現実解
- モニタリング指標:日次で見るべき8項目
- ケーススタディ:数値で見る日次P/Lの内訳
- よくある失敗と対処
- 実務チェックリスト(導入から1週間)
- まとめ
マーケットメイクの到達点と前提
MMの到達点は「正味の期待値がプラスの見込みで、過度な裁量を排し、安定してスプレッドとリベートを蓄積すること」です。価格方向を当てる必要はなく、むしろ在庫を持ちすぎないことが価値の源泉になります。価格変動で稼ぐのではなく、約定の両側に連続して流動性を供給し、その見返りとしてスプレッドとメーカーフィー(あるいはリベート)を回収するイメージです。
個人が狙うべきレンジは「流動性が厚い主力銘柄・主要通貨・BTC/ETHなどのメジャーペア」で、ティックサイズ(最小価格変動)に対して気配の厚みが十分であり、かつ取引所手数料が明確であることが条件になります。極端に薄い板や、スプレッドが急変しやすい銘柄は避けます。
収益構造の分解:何で稼ぎ、どこで失うか
MMの損益は概ね次の分解で説明できます。
期待損益 ≒ ①捕捉スプレッド − ②逆選択コスト(アドバースセレクション) − ③手数料 + ④メーカーフィー/リベート + ⑤在庫の平均回帰利益(レンジ相場時)
①捕捉スプレッドは、買い売り両側で成行にぶつけられたときに回収する差額です。②逆選択は、価格が動き出す直前に不利側だけが約定してしまう現象で、ニュース・大口・アルゴのフローに対して避けられません。③手数料は取引所・銘柄ごとに異なり、④メーカーフィー(マイナス手数料)がある市場では大きな寄与になります。⑤在庫の平均回帰は、価格が往復するレンジ環境で顕在化しますが、トレンド環境では逆に在庫が足を引っ張ります。
キュー優先度と「並ぶ位置」がすべて
多くの取引所は価格優先・時間優先(Price-Time Priority)です。同じ価格で並ぶなら、先に並んだ注文が先に約定します。したがって、最良気配の先頭シェアをどれだけ確保できるかが、捕捉スプレッドを現金化する速度を決めます。約定しない見せ玉(キャンセル前提の小口投げ入れ)を繰り返しても、実入りは増えません。重要なのは「キューの先頭にどれだけのサイズで、どれだけの時間、座り続けられるか」です。
銘柄選定:5つの定量フィルター
次の5条件を満たす市場に絞り込むと、個人のMMは急に現実味を帯びます。
- 相対スプレッド:最良買気配と最良売気配の差(bps)が平常時に安定していること(例:5–20bps)。
- 気配厚:最良気配〜±3ティックの累計数量が、自分の提示サイズの20倍以上あること。
- テープの滑らかさ:連続約定の速度(トレードレート)が一定で、ギャップ約定が少ないこと。
- 手数料構造:メーカーフィーが0またはプラス(リベート)で、テイカー手数料が高すぎないこと。
- イベントリスク:定時経済指標・決算・メンテの事前告知が明確で、回避可能なこと。
これらは1週間程度の日中サンプルで十分評価できます。場帳アプリや板記録ツールを用意し、bps・厚み・約定速度を時系列化してください。
最小構成のMM:ワンレンジ・両面クオート
第一段階では、ベーススプレッドと在庫上限だけを決め、常時両面で同サイズを提示します。ベーススプレッドは「平常時の最良スプレッドの1〜2ティック上」から開始し、埋まりが悪ければ1ティック刻みで内側へ寄せ、埋まりすぎて在庫が偏るなら1ティック外へ広げます。
在庫上限は、日中の想定ボラ(例:5分足の標準偏差を年率換算せずに日中ボラとして利用)に基づき、在庫が±1σで想定損失がベーススプレッド×50回分を超えない範囲に置きます。サイズは、最良気配の厚みの1〜3%にとどめるのが無難です。
スキュー(傾け)の基本:在庫とマイクロプライス
在庫が買いに偏ったら売り側を内側へ、買い側を外側へ寄せるのがスキューの基本です。さらに、板の不均衡(Imbalance)で市場の微妙な片寄りを推定し、短期的に「買われやすい/売られやすい」を織り込んだクオートを提示します。代表的な指標は、最良〜次善気配の数量比(例:Imb = BidDepth / (BidDepth + AskDepth))です。Imbが0.7を超えるなら、買い優勢とみて売り気配は1ティック外へ、買い気配は1ティック内へ寄せ、捕捉スプレッドと逆選択のトレードオフを動的に最適化します。
ボラティリティ連動のスプレッド設計
ベーススプレッドはボラティリティの平方根則で調整できます。短期σ(例:1分足の実現ボラ)を用いて、
提示スプレッド ≒ α × √(σ1min) + 最低ティック数
のように定義し、αは試行錯誤で0.8〜1.5の間を探ります。σが跳ねる時間帯(指標前後・オープン直後)は自動的にスプレッドが広がり、逆選択を抑えられます。
キルスイッチとイベント回避
個人MMで最重要の安全装置は「自動撤退」です。次のいずれかを満たしたら両面クオートを撤回します。
- 1分あたりの実現ボラが直近30分平均の2倍を超えた。
- 在庫が上限の70%に到達した(片側のクオートだけ外側に逃がす)。
- 経済指標・決算・取引所メンテの30分前に入った。
この3条件だけでも、個人MMのドローダウンは大きく改善します。
具体的な運用フロー(例:BTC/USDT 現物/CEX)
実装の流れを、具体的な数値例で示します。数値は理解のための仮定です。
- 平常時スプレッド:6bps、最良気配厚み(±3ティック累計):100BTC相当、トレードレート:毎分120件。
- 自分の提示サイズ:0.02BTC × 両面。先頭シェア確保のため最良から1ティック外の価格に並べ、埋まりが鈍ければ最良へ繰り上げる。
- 在庫上限:±0.2BTC。上限超過の30%手前でスキューを強め、片側だけ2ティック外に逃がす。
- ボラ連動:1分σが平常時の1.5倍になったら、提示スプレッドを+1ティック。
- 約定管理:フィルが入った瞬間、反対側のクオートを即時に1ティック内側へ寄せてスクエア回復を優先(インベントリは短く保つ)。
この運用では、回転速度(フィル率)と在庫偏りのバランスが鍵です。サイズをむやみに増やすと、在庫の平均回帰利益より逆選択が勝ちやすくなります。
実現スプレッドと有効スプレッドの把握
取引ログから、各フィルの「トレード時点のミッド」に対する収益(有効スプレッド)を算出します。約定が買いの場合は(ミッド − 取得価格)、売りの場合は(取得価格 − ミッド)。これをティック数・bpsで日次集計し、平均がプラスであれば、逆選択に飲み込まれていない可能性が高いと判断できます。合わせて、キャンセル率(投げ入れた指値のうち実約定に至らなかった比率)も監視し、無駄打ちを減らします。
在庫制御のスキーム:線形スキューとバンド型ロジック
在庫が+Q(買い持ち)に偏ったとき、売り側のクオートを内側へΔ、買い側を外側へΔずらす単純な線形スキューは扱いやすく、Δは在庫量に比例させます。より実運用に近づけるなら、在庫バンド(±Q1、±Q2)を設定し、帯の内側は軽いスキュー、外側は強いスキューと段階づけると、急変時の片寄りを緩和できます。
「レンジ束縛」戦略と「トレンド追従」回避
個人MMは「レンジ前提」に寄せるほど成績が安定します。トレンドが強く出たら、在庫がひっくり返る前に撤退する設計が必要です。短期MAのクロスや、マイクロプライスの偏り(例:Imbが0.8超を3分維持)のようなトレンド兆候でスプレッドを広げ、在庫を縮小し、最終的には両面クオートを撤収します。
手数料とリベート:収益の第2エンジン
メーカーフィーがマイナス(約定ごとに報酬が入る)であれば、スプレッド捕捉が薄くてもトータルでプラスが出やすくなります。反面、テイカー手数料が高い市場ではスクエア回復のために成行を多用すると損益を圧迫します。「約定直後の反対側繰り上げ」を徹底し、成行は在庫上限に迫ったときの緊急避難に限定するのが定石です。
DEXでのMM:集中流動性の現実解
Uniswap v3 型の集中流動性では、価格帯(レンジ)に流動性を置き、そこを通過するスワップから手数料を受け取ります。個人にとって有効なのは、狭いレンジを短時間で張り替える運用です。幅を狭くすると手数料密度は上がる一方、価格がレンジを抜けると稼働率が0%になるため、張り替えコストと無稼働時間の最適化が課題になります。日中のボラとスワップ量を観測し、「想定ボラの1〜1.5σ」幅にレンジを設定、価格がレンジ端に5%近づいたらリバランス、といった単純ルールでも、CEXの在庫制御に近い性質を得られます。
集中流動性ではいわゆるインパーマネントロス(IL)が話題になりますが、短期・狭レンジ・回転重視の設計では、価格の長期ドリフトよりも、通過トラフィックからの手数料収入の寄与が勝ちやすく、実務上は「回転速度>価格ドリフト」の関係を保てるレンジ設定が肝となります。
モニタリング指標:日次で見るべき8項目
- 捕捉スプレッド(bps, ティック数)
- 有効スプレッド(ミッド基準の実収益)
- フィル率(投げ入れに対する約定比率)
- キャンセル率(無駄打ち比率)
- 在庫回転数(1日の在庫総回転/上限)
- 在庫最大偏り(上限比)
- イベント回避遵守率(自動停止のトリガー発火回数と遅延)
- 手数料/リベート寄与(損益分解)
この8項目をスプレッドシートで日次集計し、悪化指標が2つ以上同時に出たら原因を日次レビューで特定します。調整は必ず1箇所ずつ行い、再発防止の仮説と結果を記録します。
ケーススタディ:数値で見る日次P/Lの内訳
想定市場:主要アルト/USDT、平常スプレッド6bps、メーカーフィー −1bps、テイカーフィー +5bps。
- 取引回数:約定片側600回(計1,200サイド)。
- 捕捉スプレッド:平均3.5bps×600回 ≒ +21.0bps。
- 逆選択コスト:−1.8bps×600回 ≒ −10.8bps。
- メーカーフィー:−1bps×600回 ≒ +6.0bps。
- スクエア回復での成行:60回×5bps ≒ −3.0bps。
- 合計:+21.0 −10.8 +6.0 −3.0 = +13.2bps(在庫評価はゼロ近似)。
在庫が平均回帰して+2.0bps寄与すれば、日次は+15.2bpsになります。相場が強くトレンド化して在庫が偏った場合、逆選択が−4bpsまで悪化し、+7.2bpsに低下します。このときは在庫上限を下げ、スプレッドを広げ、キルスイッチ頻度を増やすのが定石です。
よくある失敗と対処
失敗1:在庫上限が大きすぎる — 平常時は利益が伸びても、イベント1回で数日分の利益を焼きます。上限は「平常時に物足りない」と感じる程度が適正です。
失敗2:サイズを増やして回転を求める — 先頭シェアが増えず、逆選択だけが増えます。サイズを増やすより、並ぶ位置と並ぶ時間を最適化します。
失敗3:イベント前にクオートを残す — 自動撤退の条件をルール化し、手動依存を排します。
失敗4:ボラ急変にスプレッドが追いつかない — ボラ連動のスプレッド設計を導入し、最低ティックを必ず上乗せします。
失敗5:DEXで広すぎるレンジ — 収益密度が落ちます。狭レンジ短期回転か、広レンジ長期は二者択一であり、両取りは難しいと割り切ります。
実務チェックリスト(導入から1週間)
- 対象ペア3つを選び、1週間の板と約定データを収集(bps・厚み・速度)。
- ベーススプレッド・サイズ・在庫上限を初期化(小さく始める)。
- 線形スキューとボラ連動スプレッドをONにする。
- キルスイッチ3条件を設定し、強制撤退をテスト。
- 日次で8指標を集計、悪化指標に対する調整を1箇所ずつ適用。
まとめ
個人のMMは「価格を当てない投資法」です。鍵は、薄い優位性を回転で積む設計と、在庫を抱えない規律と、撤退の自動化にあります。高速なインフラや複雑なアルゴよりも、キューの先頭を取るための地味な工夫が成果を左右します。最初の1か月は利益を求めず、撤退と在庫制御の品質を磨いてください。そこから、スプレッドとリベートが安定して現金化されていきます。
コメント