本稿では、オプション取引の中でも「カレンダースプレッド(Calendar Spread)」に特化し、構造、リスク特性、実務での使いどころ、具体的な銘柄別の活用例、検証方法、運用上のチェックリストまでを包括的に解説します。単一の方向感を当てるのではなく、時間価値(セータ)とボラティリティ(ベガ)の差を収益源にする戦略であり、相場の 「方向の不確実性」 を受け入れつつ、期限構造やイベント日程の歪みを収益化します。以下の内容は、株式・暗号資産・FXいずれにも応用可能です。
カレンダースプレッドとは
同一の原資産・同一の権利行使価格(ストライク)で、期近を売り、期先を買う(ロング・カレンダー)か、またはその逆(ショート・カレンダー)を組む戦略です。最も一般的なのは、ロング・カレンダー(期近ショート+期先ロング)で、次の性質を持ちます。
- セータ:概ねプラス(期近ショートの時間価値減少が速い)
- ベガ:概ねプラス(期先ロングのベガが大きい)
- ガンマ:概ねマイナス(期近に近づくと値動きに弱くなる)
- デルタ:建てたストライク周辺では小さく、原資産が大きく動くと偏りが出る
典型的な損益曲線は、ストライク付近が最も利益が出やすく、遠く離れるほど損失が増えやすい「丘型」の形状になります。したがって、「方向感は薄いが価格はストライク近辺に滞留する」シナリオで有利です。
有利になる市場環境と不利になる環境
有利な環境
- 穏やかなボラティリティ:過度なトレンド発生の可能性が低い。
- 期限構造のコンタンゴ:期先IVが期近よりやや高い、もしくは安定している。
- イベント前の近月IV上昇:決算やマクロ指標発表の直前に、期近IVが過度に買われる局面。
- 時間分散の優位:需給で期近だけが割高になっている時期。
不利な環境
- 急騰・急落トレンド:ストライクから大きく外れる動き。
- IVクラッシュ(ロング・カレンダー時):期先IVが一斉低下する相場。
- バックワーデーションの拡大:期近IVが恒常的に高く、期先が低すぎると逆ざやになりやすい。
重要なのは、「価格の滞留」かつ「過度なIVクラッシュが起きにくい」条件を満たす銘柄・時期を選ぶことです。
グリークスと損益の分解
ロング・カレンダーの1単位(例:コール同士、同ストライク)を短期コール売り+長期コール買いとします。理論上の微小変化に対する感応度は次の通りです。
- デルタ(Δ):ATM付近では小さめ。価格が離れるほど偏る。
- ガンマ(Γ):概ねマイナス。急変動に弱い。
- セータ(Θ):概ねプラス。特に期近の減価が寄与。
- ベガ(ν):プラス。期先のベガ寄与が大きい。
損益はおおむね次式で近似できます:
dP ≈ Δ dS + 0.5 Γ (dS)^2 + Θ dt + ν dIV
ここで、dS
は原資産変化、dt
は時間経過、dIV
はインプライド・ボラティリティの変化です。Θ>0、ν>0がロング・カレンダーの根幹的な優位性であり、Γ<0が弱点です。したがって、「大きく動かないが、IVが崩れにくい相場」を狙います。
戦略の構築:ベースとバリエーション
基本形
同権利行使価格・同タイプ(コール or プット)で、期近売り+期先買いを1組とします。ATM付近で建てるのが一般的です。
ダイアゴナル・カレンダー
ストライクをずらす変形(期近ショートのストライクを原資産の方向性に寄せる)。緩やかな方向性を持たせ、デルタを調整する目的で使います。たとえば強気なら、期近ショートをややOTMコールに置き、期先ロングはATM〜ややITMに。
ダブル・カレンダー
同時にコールとプットのカレンダーを組み、両側に丘を作る。価格が中心近辺に留まると利益の山が二つ重なり、やや広い滞留帯に対応できます。IVイベント前の非方向性な構えに有効です。
満期選択
期近は1〜4週間、期先は1〜3か月程度が標準。期先が長すぎるとベガの影響が大きくなり、IVクラッシュに弱くなる一方で、セータの差は拡大します。原資産のイベント周期に合わせて最適化します。
主なリスクと回避策
- 急変動リスク(ガンマ):価格が大きく離れて損失拡大。対策:ストップ水準の設定、ダイアゴナル化、ヘッジ用の安価なウィング(遠OTM)追加。
- IVクラッシュ:イベント通過直後などで一斉にIVが低下。対策:期先IVが特段に割高な局面を避ける、イベント跨ぎは枚数を抑える、ロールの前倒し。
- 繰上げ権利行使・割当(株式):配当・権利落ち・早期行使リスク。対策:配当日程の確認、深いITM短期ショートを避ける。
- ロールリスク:期近のショートを継続ロールする際のコストとスリッページ。対策:ロール基準を事前定義(例:残存7〜10営業日で実行)。
- 流動性リスク:板が薄くスプレッドが広い。対策:主要ETF・指数・流通量の多い銘柄・主要暗号資産の限月を選定。
銘柄選定とスクリーニング
実務では、以下の指標を定点観測して「期近と期先の歪み」を探します。
- IV期限構造:期近IVと期先IVの差(期先/期近比、あるいはスプレッド)。
- イベントカレンダー:決算・経済指標・政策会合・半減期・ハードフォーク等。
- 出来高・未決済建玉(OI):十分な流動性がある限月・ストライクか。
- 原資産の実現ボラ:直近の価格変動が拡大・縮小していないか。
基準例:
- 期先/期近のIV比が1.05〜1.25の範囲にあり、かつ出来高・OIが厚い。
- 大型イベント直前で期近IVだけが過熱している(期先は相対的に安定)。
- 原資産のトレンドが一服し、レンジ滞留の兆候が見える。
ケーススタディ:株式・暗号資産・FX
株式ETF(例:大型株指数ETF)
決算シーズン前後は近月IVが上振れやすいが、指数ETFは個別株ほど極端なギャップが生じにくい。イベントの影響はあるが暴発は限定的という前提で、ATMコールのロング・カレンダーを組成。残存10営業日を切った時点でショートをロールし、ストライクは原資産価格に合わせて微調整(ダイアゴナル化)する。VIX先物の期限構造がコンタンゴ維持なら継続、バックワーデーション化したらサイズを縮小。
暗号資産(例:BTCの週次/翌月限)
暗号資産は週次限の流動性が厚く、イベント(半減期、ETFフロー、マクロ要因)で近月IVだけが急騰する局面がある。ロング・カレンダーはこの過熱を逆手に取り、時間差のセータと期先のベガを収益化する。リスクは急騰・急落局面の発生頻度が高いこと。対策として、建玉と同時に遠OTMの保険プット(またはコール)を安価に1枚付けてガンマの裾を抑える。
FX(例:USD/JPYの上場オプション)
政策イベント(会合・CPI・雇用統計)前に期近IVが顕著に上がることが多い。翌月限は相対的に落ち着くため、イベント通過直後のIV低下を見込みつつ、価格が大きくトレンド化しにくいと判断できるときにロング・カレンダーを選ぶ。ガンマの弱点には、イベント当日の建玉縮小やストライクの再調整で対応する。
エントリーとエグジットの実務フロー
- 前提の確認:IV期限構造、イベント、流動性、原資産の実現ボラを点検。
- 組成:ATM(または僅かにOTM)で期近ショート+期先ロング。枚数は原資産のATRや想定変動幅でスケール。
- 管理:原資産が±1〜1.5ATR以内で推移する限り維持。逸脱したらダイアゴナル化か縮小。
- ロール:期近の残存7〜10営業日で前倒しロール。IVが過熱なら利益確定を優先。
- 手仕舞い:累積Θの8〜12割を回収したらクローズ、またはストライク付近で最大利益近傍に達したと判断した時点で利確。
定量基準の例:
- 原資産の予想日次σを使い、±1σ以内の滞留率が高い期間のみ仕掛ける。
- OI上位のストライクで板の厚い箇所に合わせ、ガンマ・リスクを最小化。
サイズ設計とリスク管理
ロング・カレンダーは一見ディフェンシブに見えますが、ストライクからの連続的乖離で損失が積み上がるため、サイズ管理が極めて重要です。推奨の一例:
- 1回の仕掛けで口座価値の0.5〜1.5%を最大損失想定に収める。
- 同一銘柄・同一方向に集中しない。指数・個別・暗号資産などに分散。
- イベント跨ぎ時は半分に縮小。IVのギャップを狙う一方でガンマの跳ねを抑制。
また、損失のトリガーを価格偏差(σ)ベースで置くとブレが少なくなります。たとえば、建玉時の予想1日σを基準に、2σ超えでサイズを半分に、3σ超えでクローズなどのルール化が有効です。
プレミアムの相対価値と執行
同ストライクでも、期近のIVが過熱し、期先は相対的に安く放置される局面があります。ここでショートの高値売り+ロングの相対安値買いが成立します。実務上は以下に注意:
- ミッド価格への指値:板が厚いストライクでミッド−1ティックから着手。
- 同時約定(スプレッド注文):レッグ化でのスリッページ回避。
- 手数料と資本効率:証拠金・手数料を加味した実効利回りで評価。
ETD(上場デリバティブ)ではコンボ注文、暗号資産のデリバティブ取引所ではカレンダー専用のスプレッド板が用意されている場合があります。同時約定が可能なら必ず活用します。
数理の直観:期限構造と時間価値
オプション価格の時間価値は、残存期間にほぼ比例し、IVとルート時間(√T)に依存します。期先ロングは時間価値が厚く、ベガ感応度も大きい。一方で期近ショートは時間価値が薄く、減価スピードが速い。ロング・カレンダーはこの差を収益化します。
期限構造(Term Structure)がコンタンゴの際、期先IV ≥ 期近IVが通常で、イベント前の特殊局面では期近IV » 期先IVになることがあります。前者ではセータ差が主、後者ではIV差とセータ差の両方が寄与して利幅が拡大します。
ダイアグラムの読み方(文章によるイメージ)
ATMストライクでロング・カレンダーを組むと、満期時価総額のプロファイルは小山型になります。原資産がストライクに近いほどプラス、遠ざかるほどマイナス。時間経過とともに期近ショートの減価が進み、ポジション価値はじわりと上昇。イベントを跨ぐときにIVが崩れなければ、ピークはストライク上に維持されます。
ロール設計:いつ、どのように
ロールの基本方針は「早め・小分け」です。残存10営業日前後でショートを次限月に移し、価格が偏るならストライクを1段階ずらす(ダイアゴナル化)。原資産が一方向に走る局面での一括ロールは、ガンマに逆らう動きとなり大きなスリッページを招きます。ハーフロール(半分だけ先に動かす)などで段階的に対応します。
KPI:継続運用の評価指標
- 平均回収Θ:仕掛け時に想定した累積セータの何割を実際に回収できたか。
- IVイベントの命中率:期近IVの過熱→弛緩をどの程度当てられたか。
- 損切り遵守率:σベースの縮小・クローズ基準を守れた割合。
- 最大ドローダウン:連敗時の減少幅。上限を超えたら戦略のサイズを縮小。
これらを月次レビューし、満期構造の歪みが薄い相場では運用頻度を下げるのが合理的です。
簡易バックテスト手順(手作業/半自動)
- データ収集:原資産の終値、日次実現ボラ、各限月のIV(ATM付近)。
- シグナル定義:IV比(期先/期近)やイベントフラグで仕掛けルール化。
- 約定モデル:ミッド±1ティックと想定手数料を組み込む。
- ロールルール:残存日数基準とストライク再調整の条件を明文化。
- 結果評価:回収Θ、勝率、P/L分布、DD、期待値、t統計。
完全自動化が難しくても、半自動(アラート+手動承認)の形で十分に再現性を確保できます。肝は、「いつ入って、いつ縮小し、いつ閉じるか」の三点を数値基準で固定することです。
実戦チェックリスト
- 期近IVが過熱または期先との乖離が明確か。
- 主要イベント日程を把握し、サイズを事前に調整したか。
- 流動性(板厚・OI)が十分か。コンボ注文は使えるか。
- σベースの縮小・損切り基準を設定したか。
- ロールの残存日数基準を明文化しているか。
よくある質問(FAQ)
Q. コールとプット、どちらで組むべき?
A. 非方向性が主目的ならどちらでも構いません。配当や金利、原資産の偏りがあるなら、より有利なレッグ(実需の厚い側)で組むと約定が安定します。
Q. 期待したほど利益が出ないのはなぜ?
A. 期先IVの低下や、スリッページ・手数料の影響が大きい可能性。コンボ注文と流動性の高いストライクに限定し、ロールを早めに刻むと改善します。
Q. どのくらいの頻度で運用すべき?
A. 歪みが明確な期間だけで十分です。IV期限構造がフラット化しているときは休むも相場。
付録:詳細ケースと運用メモ
以下は、より具体的な数値例と運用メモです。ある指数ETFで原資産価格100、ATMの近月IVが25%、翌月IVが21%とします。近月ATMコールの価格が2.00、翌月ATMコールの価格が3.20で、ロング・カレンダーのデビットは1.20。原資産が期近満期までに±1σ(約±1.6)に収まる確率が60%と見積もるなら、期近満期直前でのショートの減価回収が平均1.30、期先ロングの時間価値減少が0.60、IVの微減を0.20とすると、期待P/Lはおおむね+0.50前後。これに約定コストやスリッページを差し引いても、歪みが十分ならプラスが見込めます。
暗号資産の場合、期近の週次IVが40%、翌月が36%など、IV差が恒常的に残る場面があります。週次でロールを繰り返し、イベント週はサイズを半分に、急伸でストライクが外れた場合はダイアゴナル化で中心を追随。ベガプラスであるため、広範なIVクラッシュには弱く、イベント消化後のIV低下を狙うときは期先の長さを抑えるのが有効です。
FXでは政策金利・物価指標などのイベントに合わせてIVが周期的に上下します。期近IVが局所的に上がったときのみ仕掛け、通過直後のIV低下と時間価値の差を回収。過度にトレンドが出そうなときは見送るか、サイズを最小単位に落とします。
最後に、ロング・カレンダーは「静かな時間を買う」戦略です。方向当てのストレスから離れ、時間価値とIV期限構造に集中することで、安定した期待値を積み上げる設計が可能になります。
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