本稿は、オプション価格に現れる「ボラティリティ・スマイル(skew/smile)」を、初心者でも実務に使えるレベルまで体系的に落とし込む実践ガイドです。基礎理論から、測定指標、売買ルール化、具体的戦略、検証方法までをひとつの流れで説明します。読み終えたら、今日から自分の取引ルールに「スマイル」を組み込める状態になることを目標にします。
1. ボラティリティ・スマイルとは何か
ブラック–ショールズの世界では、全ての権利行使価格(ストライク)でインプライド・ボラティリティ(IV)は一定と仮定されます。しかし現実の市場では、行使価格ごとにIVが異なるのが普通です。ATM(アット・ザ・マネー)から離れるに従ってIVが上がる形を「スマイル」、片側(多くはプット側)が高い非対称な形を「スキュー」と呼びます。株式指数や個別株ではクラッシュ恐怖が強く、OTMプットのIVが高い“プットスキュー”が典型です。
2. なぜスマイル/スキューが生まれるのか(直感)
- クラッシュリスクの非対称性:上げは階段、下げはエレベーター。下方向のジャンプリスクを保険として買いたい需要が恒常的に存在します。
- レバレッジ制約と損失回避:現物や先物の下落に耐えながらヘッジしたい機関投資家が、OTMプットを常時需要側に置きます。
- マーケットメーカーの在庫リスク:プット需要に応じた売り在庫は、ヘッジ上ベガ・ガンマのコストを伴い、相応のIVプレミアムを要求します。
- ボラティリティの状態依存性:価格が下がるほど実現ボラが上がる(レバレッジ効果)ため、下方向のIVが高止まりしやすい。
3. 用語の整備(最短ルート)
IV(インプライド・ボラ)は、マーケットが織り込む将来の変動率。実現ボラは実際に起きた変動率。モネネス(moneyness)はATM/OTM/ITMの位置関係。スマイルはIVが左右対称に高いカーブ、スキューは片側が高い非対称カーブを指します。
実務では、デルタでストライクを揃えるのが一般的です。例えば「25デルタ・プットIV」「25デルタ・コールIV」など。これにより銘柄や満期が違っても比較しやすくなります。
4. スマイルの測り方(売買判断に使う指標)
- 25Δ リスクリバーサル(RR)
式:RR25 = IV25Δ Call − IV25Δ Put
株式では多くの場合マイナス(プット高)。数値がよりマイナス=プット需要が強い=下方向リスクが意識されている。 - 25Δ バタフライ(BF)
式:BF25 = 0.5 × (IV25Δ Call + IV25Δ Put) − IVATM
スマイルの“湾曲度”。プット・コールの両端が高いほど正の値が大きくなる。 - スキュー傾き(Skew Slope)
式例:Skew = dIV/dK または dIV/d(Δ)。実装は単回帰で近似するのが簡便。 - IVランク / IVパーセンタイル
過去一定期間のIV分布に対する現在値の位置(%)。水準の高低判断に使う。
5. 「観測 → 判断 → 行動」の型
売買に繋げるために、以下のミニ・ダッシュボードを用意します。
- ATM IV(期間別:週次・月次・四半期)
- RR25 と BF25(期近/期先)
- スキュー傾き(線形回帰係数)
- IVランク(過去1年)
意思決定の雛形:
① IV水準が高い(例:IVP≥70)か低いか。
② 形状としてプット側が極端に高いか(RR≪0、BF≫0)。
③ 満期間の相対:期近が高く期先が低い(短期不安)。逆なら長期テーマ(政策・決算など)。
6. 初心者でも使える実践戦略
6-1. 低コストの下落保険:スマイルを味方にするプロテクティブ・プット
狙い:暴落時の尾のリスクを限定。
背景:プット側IVが高いほど保険は割高ですが、期先の方が相対的に割安になる場面が多い。RRが大きくマイナスで、期近のBFが強く湾曲している時は、期近の過熱を避け、やや期先で浅めOTMを選ぶとコスト効率が上がることが多い。
ルール例:
- 条件:IVP(ATM, 1M)が60–80、RR25が-5%以上、BF25が+2%以上。
- アクション:現物ポジション×50–70%相当の3M・20Δプットを買う。過熱が収まったらロールダウンまたはクローズ。
6-2. 収益強化:カバードコールをスマイルで最適化
狙い:プレミアムで期待リターンを平滑化。
背景:コール側IVはプットほど過熱しにくいが、上昇相場の過密時にはコール側も上がる。RRのマイナスが縮小(中立化)し、IVPが高止まりの時はコール売りの期待値が改善しやすい。
ルール例:
- 条件:IVP(ATM, 1M)≥70 かつ RR25が-2%〜0%へ接近。
- アクション:現物×100%に対し1M・30Δコールを売る(カバード)。IVクラッシュを避けるため、決算や重要イベントは跨がない。
6-3. 方向+歪み捕り:リスクリバーサル(RR)
狙い:方向性とスキュー・プレミアムの両取り。
構成:OTMコール買い+OTMプット売り(ブル型)。
適合環境:RRが中立〜ややプット高から改善(上昇)しつつ、上方向のモメンタムが出始めた局面。
ルール例:
- 条件:RR25の3日移動平均が上向き、価格は200日線の上、出来高は20日平均以上。
- アクション:1M・25Δコール買い+1M・25Δプット売り。最大損失管理のため、価格が200日線を日終値で下回れば即撤退。
6-4. ボラの“形”を直接狙う:バタフライ/カレンダー
バタフライ(ストライク・フライ):低ベガ・高ガンマの構造で、形状(BF)が強い時に優位性が上がる。
カレンダー:期先のIVが相対的に低いときに優位。期近にイベントが集中し、期先は平常モードのときが狙い目。
ルール例(バタフライ):
- 条件:BF25≥+3%、IVPは50±10%(過熱でも低迷でもない)。
- アクション:ATMを中央に、±2×標準偏差付近にウィングを置くデビット・バタフライを少量。中心から±0.5σで利確、-0.5σで損切り。
7. 具体的な数値例(初心者がすぐ真似できる形)
例A:株式指数(期近1M)
ATM IV = 18%、IVP(1年) = 72% 25Δ Put IV = 24%、25Δ Call IV = 17% RR25 = 17% - 24% = -7% BF25 = 0.5 × (24% + 17%) - 18% = +2.5% 判断:プット側の需要強。期近過熱。期先3Mの20Δプットで保険を組む。
例B:USD/JPY オプション(2M)
ATM IV = 9%、IVP = 40% 25Δ Put IV = 10.5%、25Δ Call IV = 8.2% RR25 = -2.3%、BF25 = +0.85% 判断:軽いプットスキュー。方向が上昇転換なら、25Δ RR(ブル型)を小口で。
例C:BTC オプション(1M)
ATM IV = 55%、IVP = 65% 25Δ Put IV = 64%、25Δ Call IV = 52% RR25 = -12%、BF25 = +3.5% 判断:強い下方向保険ニーズ。トレンド上昇再開までは、カバードコールで時間価値を取りに行く。
8. リスク管理:数字で守る
- ベガ管理:IVショック1ポイントあたりのPL感応度(vega×IV変化)。期近に寄せすぎるとガンマは上がるがベガも不安定。建玉全体のベガを可視化する。
- ガンマの罠:フライ系は中心から外れると損失が加速。価格が±0.5σを超えたら即時対応。
- イベント回避:決算、政策、雇用統計などの直前・直後はIVクラッシュが頻発。原則として跨がない。
- 流動性:ビッド・アスクが広いとスリッページで優位性が消える。出来高・建玉の厚い銘柄・満期に限定。
9. ルール化テンプレ(コピペ可)
毎朝: 1) ATM IV(1W/1M/3M)、IVP(1年)、RR25、BF25 を記録 2) 条件分岐: A) IVP≥70 & RR25>-2% → カバードコール(1M, 30Δ)を1単位 B) IVP=60–80 & RR25≤-5% & BF25≥+2% → 3M・20Δプットで保険を50–70%カバー C) RR25上昇転換 & 価格>200MA & 出来高>20MA → 1M・25Δ RR(コール買い+プット売り) 3) 損益管理:デルタ中立偏重ならγで日次損益を監視。方向性持ちなら価格×移動平均で撤退。
10. 検証(バックテスト)の最小構成
高価なデータがなくても、次の手順で概念検証が可能です。
- 日次で「ATM IV、25Δ Put/Call IV」をCSVに蓄積(無料の公表値やブローカーAPIがあれば理想)。
- RR25, BF25, IVPを自動算出。
- 上記ルールA/B/Cのシグナルを発生させ、簡易価格モデル(ATMFのθ減衰+IV変動±)で概算PLをロール。
- 勝率、平均益損、最大ドローダウン、シャープを月次・年次で集計。
Excelでも可能です。価格とIVのシナリオテーブルを作り、デルタ・ガンマ・ベガの近似で日次PLを推定すれば、方向・IV双方の感度を直観できます。
11. よくある誤解と回避策
- 「IVが高い=売り」一択ではない:IVが高いのは理由がある。形(RR/BF)とイベントを必ず併読。
- スマイルの見た目に騙される:軸やスケールで印象が変わる。数値化(RR/BF/傾き)を必ず使う。
- 在庫の偏りを無視:出来高・板の歪みはコストに直結。流動性のないところで理論だけで勝とうとしない。
12. まとめ(チェックリスト)
- IV水準(IVP)と形(RR/BF)を毎日記録。
- 行動は「保険(プット)」「収益強化(カバード)」「形狙い(RR/フライ/カレンダー)」の三択に整理。
- イベント前後は原則回避。やるならサイズを落とし、即時撤退ルールを先に決める。
- 検証の最小構成で、ルールの期待値と最大DDを把握してからサイズを上げる。
以上。ボラティリティ・スマイルは「怖いもの」ではなく、価格だけでは見えない需要と恐怖の地図です。地図を毎日読む習慣を持てば、初心者でも一貫した意思決定が可能になります。
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