オプションを価格づけるとき、多くの人がブラック=ショールズのような単一のボラティリティを想定します。しかし現実の市場では、同じ満期でも権利行使価格ごとにインプライド・ボラティリティ(IV)が異なり、独特の曲線を描きます。これが「ボラティリティ・スマイル(あるいはプット側に傾いたスマーク)」です。本稿では、スマイルが生まれる理由、どう観察し、どう収益機会とリスク管理に落とし込むかを実務目線で解説します。
なぜ「スマイル」が生まれるのか
クラッシュリスクとプット・スキュー
株式や暗号資産では下方向のジャンプリスクを意識したプット需要が恒常的に存在します。その結果、同デルタのプットとコールでプットIVが高くなる「スキュー(スマーク)」が形成されます。投資家が保険としてプットを買い、マーケットメーカーがガンマ・ベガを中立化するためにプットを売りつつ現物をヘッジする行動が、IVの水準差を恒常化させます。
需要・供給とヘッジ行動
特定の権利行使価格に注文が集中すると、そのストライクのIVが上がります。イベント(決算、経済指標、ハードフォーク等)前は短期満期のATM周辺IVが相対的に上昇し、イベント通過とともに低下します。マーケットメーカーはデルタヘッジに伴い出来高の多いゾーンで流動性を厚くし、結果としてカーブ形状が安定する傾向があります。
ヒストリカル vs インプライド
ヒストリカル・ボラティリティ(過去実現値)とインプライド・ボラティリティ(将来期待)は一致しません。スマイルは「将来の分布が左右非対称である」という市場の合意を反映します。過去が静かでも将来リスクが大きければIVは高止まりし、その形状(歪み)が価格に織り込まれます。
スマイルの計測と表示
デルタ軸で揃える
異なる銘柄・満期・価格水準を比較する際は、権利行使価格ではなくデルタ基準で並べます。一般的には25デルタ・プットと25デルタ・コール、ATM(50デルタ)などを基準点にします。
代表指標
代表的な二つの指標を覚えておくと便利です。
- 25Δリスクリバーサル(RR):IV(25Δコール) − IV(25Δプット)。株式では通常マイナス(プット高)。
- 25Δバタフライ(BF):0.5×[IV(25ΔC)+IV(25ΔP)] − IV(ATM)。ATMに対するウィングの盛り上がり(スマイルの深さ)を示します。
タームストラクチャの重ね合わせ
同一銘柄でも満期ごとにスマイルは異なります。短期はイベントの影響を強く受け、長期は構造的リスク(景気後退、規制変更など)を反映します。実務では「満期別のRR/BFを並べて俯瞰」→「イベント前後での変化」を追います。
日次チェックリスト(現場運用)
- 主要満期(近月・3か月・半年)でATM・25ΔC・25ΔPのIVを収集します。
- RRとBFを算出し、前日比・週次比で変化率を確認します。
- 現物の出来高・気配板と併せて、どのストライクに需要が偏っているかを特定します。
- イベントカレンダー(決算・指標・政策)と重ね、短期の歪みが一過性か構造的かを判定します。
- ヘッジポジション(現物、先物、既存のオプション)との相性を確認します。
スマイルを使った具体的戦略
1. コスト最適化コラ―(現物+保険プット−コール売り)
現物保有の下落耐性を高める定番がコラ―です。ポイントは「プット高・コール安」のスキューを利用して、保険プットの高さをコール売りの受取で相殺することです。
例:仮想銘柄Aの株価が10,000円、30日満期でIVはATM=20%、25Δプット=28%、25Δコール=16%とします。10,000円の現物100株に対し、9,500円プットを1枚買い、10,500円コールを1枚売ります。プットはIVが高いためプレミアムが高い一方、コールはIVが低く安いですが、組み合わせるとネットコストが圧縮されます。結果として最大損失はほぼ9,500円までに限定され、上値は10,500円付近で頭打ちになります。上昇相場での機会損失は発生しますが、下方テールの保険が廉価に買えるのが魅力です。
2. スキューを活かした垂直スプレッド
ベア・プットスプレッド(高IVのOTMプット買い+さらにOTMプット売り)やブル・コールスプレッド(ATM/OTMコールの組み合わせ)は、スマイルの傾斜が急なときに有利な価格関係になりやすいです。利益上限・損失下限が明確で、資金管理上も扱いやすい戦略です。
3. イベント前後のスマイル変形を狙う
決算や大型イベント前は短期ATMのIVが上がり、ウィングは相対的に抑えられることがあります。イベント通過後はIVクラッシュが発生しやすく、ポジションはベガショートが有利になる局面があります。事前にRR/BFの癖を把握しておくと、持ち越しの是非を判断しやすくなります。
4. 片寄った保険需要の逆側に回らない
初心者が陥りがちなのは、割高なプットを裸売りしてしまうことです。スキューは「割高・割安」の理由でもあり、単純なミーンリバージョンを期待するとテールで損失が拡大します。少なくともスプレッドやコラ―で損失上限を固定する設計を徹底します。
暗号資産・FXでの応用
暗号資産のように上下のジャンプが比較的対称な市場では、イベントやセンチメントによりスマイルが短時間で大きく変形します。資金調達コスト(ファンディング)や市場の24時間性が影響するため、満期やデルタの定義を統一して継続観測することが重要です。FXでは通貨ごとにRRの符号が異なることがあり、マクロの政策期待や介入リスクが形状に反映されます。
Excelでの再現手順(RR/BFの計算)
- オプションチェーンから、同一満期のIVを「デルタ基準」で3点(25ΔC、ATM、25ΔP)取得します。
- セルにIVを年率小数で入力(例:ATM=0.20、25ΔC=0.16、25ΔP=0.28)。
- RR=IV25C−IV25P、BF=0.5×(IV25C+IV25P)−IVATM を計算します。
- 満期ごとにRR/BFを並べ、折れ線グラフで推移を可視化します。
- 前日比・週次比の変化率(ΔRR、ΔBF)を追加し、イベント前後の差分を把握します。
ケーススタディ:数値で読むスマイル
仮想データ(30日満期):IV(25ΔP)=28%、IV(ATM)=20%、IV(25ΔC)=16%。この場合、RR=−12%pt、BF=2%pt です。
この「プット高・コール安」環境では、(1)コラ―のネットコストが小さくなりやすい、(2)ベア・プットスプレッドのデビットが抑えられる、といった設計上の利点が生まれます。一方で、裸のプット売りはテールでの損失が急増し、証拠金・ロスカット水準の管理が難しくなります。
リスク管理と実務の注意点
- ガンマ・ベガ管理:満期接近時はガンマが急増します。スプレッド構造でガンマの符号と大きさをコントロールします。
- 流動性:IVがいくら魅力的でも板が薄いと滑ります。出来高と気配の厚みを必ず確認します。
- 早期権利行使・配当:アメリカン型・配当落ちの影響を事前に織り込みます。
- 証拠金とロスカット:シナリオ別の最大損失、必要証拠金、追証リスクを事前に表で確認します。
- 一貫した比較軸:常にデルタ基準で比較し、満期も揃えます。権利行使価格だけで判断しないことが重要です。
実装テンプレ(ルール例)
- RRが一定閾値(例:−10%pt以下)で、現物ロングがある場合は、ネット受取≦0.3%の範囲でコラ―を優先検討します。
- イベント前RRが急低下(プット一段高)したら、満期短めのベア・プットスプレッドを検討し、原資産のギャップリスクに備えます。
- RRが縮小し、BFが上昇した局面では、スプレッド幅を広げた構造に切替えてリスクリワードを改善します。
まとめ
ボラティリティ・スマイルは単なる曲線ではなく、将来分布と保険需要の集約的な表現です。RRとBFを日々観測し、現物や先物・既存ポジションと整合するヘッジ/スプレッドを設計することで、損失上限を明確にしながら期待値を積み上げることができます。大切なのは、常にデルタ基準・満期整合・流動性確認という三点を守ることです。これらを習慣化すれば、オプションの「歪み」は再現性のある武器になります。
コメント