インフレが長期化すると、「不動産はインフレに強い」というフレーズがよく語られます。しかし実際には、どんな不動産でも自動的に資産価値が守られるわけではなく、物件価格やREIT価格は大きく上下します。その鍵となる概念が「キャップレート(Cap Rate)」です。
本記事では、とくにインフレ局面における不動産キャップレートの動きを、個人投資家の視点から徹底的に解説します。数式をできるだけ平易にかみ砕きながら、実際の投資判断でどう役立てるかまで具体的に説明します。自分で物件を買う人はもちろん、不動産関連株やREITに投資する人にとっても、キャップレートの理解は大きな武器になります。
キャップレートとは何か:まずは「不動産の期待利回り」を理解する
キャップレートとは、簡単に言えば「不動産が生み出す純利益(NOI)を、その不動産の価格で割った利回り」です。株式でいう「益利回り(E/P)」に近い感覚で捉えると分かりやすいです。
キャップレートの基本式
キャップレートの定義は、次のように表せます。
キャップレート = 純営業利益(NOI) ÷ 物件価格
ここでいう「純営業利益(NOI:Net Operating Income)」は、家賃収入などの営業収入から、空室損や修繕費、管理費、固定資産税などのランニングコストを差し引いた後の利益を指します。ローンの利息や元本返済は含みません。
具体例:ワンルームマンションで考える
仮に、以下のような都心ワンルームマンションを考えます。
- 物件価格:2,000万円
- 年間家賃収入:120万円(月10万円)
- 空室・滞納ロス:▲6万円(5%想定)
- 管理費・修繕積立金:▲24万円
- 固定資産税・都市計画税:▲6万円
このときのNOIは次のとおりです。
NOI = 120万円 − 6万円 − 24万円 − 6万円 = 84万円
したがってキャップレートは、
キャップレート = 84万円 ÷ 2,000万円 = 4.2%
となります。これは「この物件を保有すると、価格に対して年4.2%の純営業利益が期待できる」という意味です。
表面利回りとの違い
よく広告に出てくる「表面利回り」は、経費を一切引く前の単純な利回りです。
表面利回り = 年間家賃収入 ÷ 物件価格
先ほどの例なら、
表面利回り = 120万円 ÷ 2,000万円 = 6.0%
となり、キャップレート4.2%よりも高く見えます。しかし実際の投資判断では、キャップレートのほうが現実に近い指標です。インフレ局面では、管理費や修繕費、税金などのコストも上昇するため、表面利回りだけを見て判断すると危険です。
なぜインフレ局面でキャップレートが重要になるのか
インフレ下の不動産投資で重要なのは、「名目値」ではなく「実質価値」です。家賃が上がっても、それ以上に金利やコストが上昇していれば、実質的な利回りはむしろ悪化します。キャップレートは、インフレ・金利・賃料成長を一体で考えるうえでの中核指標です。
キャップレートは「金利+リスクプレミアム−成長率」で動く
理論的には、キャップレートは次のように分解して考えることができます。
キャップレート ≒ 無リスク金利 + 不動産固有のリスクプレミアム − 期待賃料成長率
- 無リスク金利:国債利回りなど、安全資産で得られる利回り
- リスクプレミアム:空室リスクや賃料下落リスクなど、不動産特有のリスクに対する上乗せ
- 期待賃料成長率:将来、賃料がどれだけ伸びると市場が見込んでいるか
インフレ局面では、無リスク金利(国債利回り)が上昇しやすくなる一方で、賃料成長率も上がりやすくなります。つまり、キャップレートは「金利上昇」と「賃料成長」という相反する要素の綱引きで決まるということです。
インフレ局面の3つの典型パターン
インフレ局面とキャップレートの関係を、ざっくり次の3パターンに分けて考えてみます。
- 良いインフレ:賃料成長率が金利上昇よりも高い
- 中立的なインフレ:賃料成長率と金利上昇がほぼ同じ
- 悪いインフレ:金利上昇が賃料成長率を大きく上回る
キャップレートへの影響は、次のように整理できます。
- 良いインフレ:キャップレートが低下(物件価格は上昇しやすい)
- 中立的なインフレ:キャップレートはほぼ横ばい
- 悪いインフレ:キャップレートが上昇(物件価格は下落しやすい)
個人投資家として重要なのは、「今のインフレはどのパターンに近いのか」「自分が投資している(または検討している)不動産セクターは、賃料成長と金利上昇のどちらの影響をより強く受けるのか」を冷静に見極めることです。
数値シミュレーションで見る:インフレとキャップレートの関係
簡単なシミュレーションで、インフレとキャップレートの関係をイメージしてみます。先ほどの例を少し変えて、以下のようなオフィスビルを考えます。
- 現在のNOI:1億円
- 現在の物件価格:20億円
- 現在のキャップレート:5%(= 1億 ÷ 20億)
ケース1:賃料成長5%、金利上昇1%(良いインフレ)
インフレにより賃料が5%上昇し、NOIが1億円から1億500万円になったとします。同時に金利が1%上昇し、市場が求めるキャップレートが5%から5.5%に上がったとします。
このとき、新しい理論価格は次のようになります。
新価格 = 新NOI ÷ 新キャップレート = 1億500万円 ÷ 5.5% ≒ 19.1億円
価格は20億円から約19.1億円へとわずかに下落します。インフレで賃料が伸びても、金利上昇がそれを上回ると、物件価格は下がりうるということです。ただし、賃料成長がもっと高ければ、価格は維持・上昇する可能性もあります。
ケース2:賃料成長2%、金利上昇2%(悪いインフレ)
賃料が2%しか伸びず、NOIが1億円から1億200万円になった一方で、金利上昇によりキャップレートが5%から6.5%に上がったとします。
新価格 = 1億200万円 ÷ 6.5% ≒ 15.7億円
この場合、物件価格は20億円から約15.7億円へと大きく下落します。賃料の伸びが弱いセクターでは、インフレ局面でも価格下落リスクが高いことが分かります。
ケース3:賃料成長6%、金利上昇0.5%(かなり良いインフレ)
賃料が6%伸び、NOIが1億円から1億600万円になり、金利上昇は限定的でキャップレートが5%から5.3%にしか上がらなかったとします。
新価格 = 1億600万円 ÷ 5.3% ≒ 20.0億円
価格はほぼ維持されます。賃料成長が金利上昇を打ち消す場合、不動産は名目価格ベースで資産価値を維持しやすくなります。
インフレ局面でキャップレートを見るときのチェックポイント
インフレ局面で不動産キャップレートを確認する際、個人投資家が押さえておきたいポイントを整理します。
ポイント1:金利とのスプレッド(差)を見る
キャップレート単体ではなく、「10年国債利回りなどの無リスク金利との差」を見ることが重要です。
スプレッド = キャップレート − 無リスク金利
例えば、
- キャップレート:4%
- 10年国債利回り:1%
であれば、スプレッドは3%です。この3%が、不動産特有のリスクを取る見返りとなる部分です。インフレ局面で、
- 金利が上昇しているのにスプレッドが異常に小さい → 価格が割高になっている可能性
- 金利がかなり上がったのにスプレッドが十分に確保されている → 長期投資として検討余地あり
といった判断ができます。
ポイント2:賃料の「インフレ連動力」を評価する
同じキャップレートでも、「賃料がインフレにどの程度連動するか」によって投資価値は大きく変わります。
- 短期契約で毎年更新・賃料改定がしやすい物件
- 需要が強く、空室を恐れず賃料を上げやすいエリア・セクター
- テナントとの契約に、物価指数や賃金指数への連動条項が含まれているケース
このような条件を満たす物件やセクターは、インフレ局面で賃料成長率が高まりやすく、「キャップレートが多少上昇しても価格が踏みとどまりやすい」という特徴があります。
ポイント3:運営コストのインフレ感応度を見る
インフレで上がるのは賃料だけではありません。管理費、人件費、修繕費、光熱費、保険料なども上昇します。とくに古い建物は修繕費のインフレ感応度が高くなりがちです。
インフレ局面では、
- 築古物件で大規模修繕が近い案件
- エネルギーコストの割合が高いビル(大型オフィス・商業施設など)
- 人件費の比率が高い運営形態(ホテルなど)
について、コストインフレがキャッシュフローを圧迫し、実質的なキャップレートを押し下げるリスクを意識する必要があります。
インフレ局面における不動産キャップレート活用の実践ステップ
ここからは、個人投資家が実際の投資判断でキャップレートをどう使うか、具体的なステップに落とし込んで解説します。直接不動産を買うケースと、上場REITを通じて投資するケースの両方を意識します。
ステップ1:対象セクターの「標準的なキャップレート」を把握する
まず、投資対象セクターの標準的なキャップレート水準を押さえることが重要です。住宅、オフィス、商業施設、物流施設、ホテルなど、セクターごとに求められる利回りは大きく異なります。
- 都心住宅:安定性が高くキャップレートは低め
- 地方オフィス:空室リスクが高くキャップレートは高め
- 物流施設:テナント属性や契約期間によって大きく差が出る
インフレ局面になると、「稼ぎやすいセクター」と「苦しくなるセクター」でキャップレートの変化が分かれます。標準水準を押さえておくと、「いま市場がそのセクターにどれだけ強気・弱気か」が見えやすくなります。
ステップ2:金利とのスプレッドを時系列で追う
キャップレートと10年国債利回りのスプレッドを、できれば過去数年〜10年程度の時系列で確認します。
- スプレッドが歴史的に見てかなり低い → 将来的なリスクを織り込む必要
- スプレッドが歴史的に高い → 長期投資として妙味が出ている可能性
特にインフレ・金利上昇局面では、短期間でスプレッドが大きく動くことがあります。ニュースやマーケットレポートで示されるキャップレートの推移と、金利の動きをセットで追いかける習慣をつけると、相場の「過熱・悲観」をつかみやすくなります。
ステップ3:個別物件・個別REITの「実質キャップレート」を自分で計算する
実際の投資では、資料に書いてある数字をそのまま信じるのではなく、自分で「実質的なキャップレート」を計算してみることが重要です。
直接不動産投資の例では、次のような調整を行います。
- 空室率は過去実績やエリア平均を参考に保守的に見積もる
- 修繕費は築年数や設備状況に応じて将来コストを織り込む
- 管理費・税金・保険料など、インフレで上がりやすい費用を余裕をもって見積もる
上場REITの場合は、決算資料に記載されているポートフォリオNOIや稼働率、資本構成などから、「自分なりの実質キャップレート」を考えます。株価が大きく下がっているとき、
- 配当利回りは高いが、ポートフォリオのキャップレートを見るとまだ割高
- 逆に、配当利回りはそこそこでも、キャップレートと金利スプレッドを考えると割安
といった見方も可能になります。
インフレ局面での不動産キャップレート投資アイデア
ここからは、インフレ局面でキャップレートの考え方をどのように投資戦略に落とし込むか、いくつかの具体的なアイデアを紹介します。あくまで考え方の例として、自分のリスク許容度や資産状況に合わせて応用することが前提です。
アイデア1:金利急騰局面で「スプレッドが厚いセクター」に注目する
急速な金利上昇が起きると、多くの不動産セクターでキャップレートが上昇し、価格調整が起こります。このとき、
- キャップレート − 金利のスプレッドが依然として十分に厚い
- かつ、賃料のインフレ連動力が高いセクター
に着目すると、長期的なリスク・リターンが比較的読みやすくなります。たとえば、安定した住宅セクターや、物流・データセンターなど構造的な需要が強いセクターは、インフレ下でも賃料成長が期待しやすいと考えられます。
アイデア2:賃料改定タイミングが近い物件・セクターを分析する
賃料改定のタイミングは物件タイプによって大きく異なります。一般的に、
- 住居:1〜2年ごとの更新が多いが、実務上は賃料据え置きも少なくない
- オフィス:契約期間が長めで、賃料改定頻度は限定的
- 商業施設:売上連動賃料など複雑な契約も多い
- ホテル:稼働率と単価に応じて収入が変動しやすい
インフレ局面では、「今後数年のうちにどれだけ賃料改定の機会があるか」が重要です。賃料改定の機会が多いセクターは、インフレを賃料に転嫁しやすく、キャップレート上昇の悪影響を相対的に和らげる可能性があります。
アイデア3:レバレッジの取り方を慎重に設計する
インフレ局面では、「借入金の実質負担が軽くなるからレバレッジを効かせたほうが得」という考え方が語られがちです。しかし、金利が急上昇した場合、キャッシュフローを圧迫し、キャップレートが上昇して物件価格が下落するリスクも高まります。
レバレッジを前提とした不動産投資では、
- 固定金利と変動金利のバランス
- 借入期間と返済スケジュール
- LTV(Loan to Value:総借入金 ÷ 物件価値)の水準
などを慎重に設計する必要があります。インフレ局面であっても、「キャッシュフローが一時的に悪化しても耐え切れるか」「金利が想定以上に上がった場合のストレスシナリオ」をあらかじめシミュレーションしておくことが重要です。
インフレ局面のキャップレートでやりがちな失敗パターン
最後に、インフレ局面で不動産キャップレートを誤解してしまう典型的なパターンをいくつか挙げます。これらを避けるだけでも、リスクを大きく減らすことができます。
失敗パターン1:「インフレ=不動産最強」という思い込み
インフレ局面だからといって、すべての不動産が自動的に値上がりするわけではありません。賃料成長が弱いエリアやセクター、コストインフレに弱い物件では、キャップレート上昇と価格下落が同時に起こりえます。
重要なのは、「どのセクター・エリアがインフレの恩恵を受けやすいか」「どこが逆風を受けやすいか」をキャップレートと賃料成長の組み合わせで冷静に分析することです。
失敗パターン2:表面利回りだけで投資判断をしてしまう
インフレ局面ではコストの上昇が速くなるため、表面利回りだけを見て物件を選ぶのは危険です。管理費や修繕費、税金などの上昇を十分に織り込まないと、「買った瞬間は良さそうに見えたが、数年後には実質利回りが大きく悪化していた」という状況になりかねません。
キャップレート(NOIベース)で評価することに加え、将来のコストインフレを保守的に見積もる視点が欠かせません。
失敗パターン3:金利上昇リスクを過小評価する
インフレが続くと、「借りたお金の価値が目減りするから実質的には有利」という発想に偏りがちですが、短期的には金利上昇がキャッシュフローを直撃します。特に変動金利で高いLTVを取っていると、小幅な金利上昇でも返済負担が急増し、キャップレート上昇に伴う価格下落と相まって二重のダメージになります。
インフレ局面での不動産投資では、「借り入れの条件をどこまで保守的に設計できるか」が重要なリスク管理ポイントになります。
失敗パターン4:REITの分配金利回りだけを見てしまう
上場REITに投資する場合、分配金利回りは非常に分かりやすい指標ですが、それだけで判断するのは危険です。分配金は過去のキャッシュフローに基づいており、今後の賃料や金利環境の変化は十分に織り込まれていない場合があります。
決算資料や運用レポートを読み、
- ポートフォリオのキャップレート
- 賃料改定の状況や今後の見通し
- LTVや借入金の平均金利・残存期間
などを確認することで、「現在の分配金利回りがどれだけ持続可能か」をより立体的に判断できます。
まとめ:インフレ局面では「キャップレート+賃料成長+金利」をセットで見る
インフレ局面における不動産投資では、「インフレ=不動産が有利」という単純な図式ではなく、
- キャップレート(NOIベースの利回り)
- 賃料のインフレ連動力・成長力
- 金利の水準と変化
- 運営コストのインフレ感応度
をセットで考えることが重要です。キャップレートは、そのすべてを集約した「不動産の期待利回り」を表す指標であり、インフレ局面でのリスクとリターンを読み解く羅針盤になります。
個人投資家としては、
- 対象セクターの標準キャップレートと金利スプレッドを把握する
- 賃料成長ストーリーとインフレ連動力をチェックする
- コストインフレと金利上昇を保守的に織り込んだ実質キャップレートを自分で計算する
- レバレッジの取り方やキャッシュフローの耐久力を事前に検証する
といった基本を押さえることで、インフレ局面でも不動産投資を「感覚」ではなく「ロジック」で判断できるようになります。キャップレートを味方につけて、インフレ環境でもブレにくいポートフォリオ構築を目指すことが、長期的な資産形成にとって大きなプラスになります。


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