個人投資家にとって「社債(コーポレートボンド)」は、本来もっと活用されてよい資産クラスです。しかし、株や投資信託に比べて情報が少なく、証券会社の画面も分かりづらいため、「なんとなく社債ファンドを買って終わり」というケースも多いのではないでしょうか。
本記事では、社債を単に「利回りの高い債券」として眺めるのではなく、YTM(満期利回り)の分布から割安銘柄を検出し、裁定的に拾っていく戦略を解説します。株式のバリュー投資に近い発想を、債券市場に持ち込むイメージです。仕組みを理解できれば、個人投資家でも十分に応用可能なシンプルなフレームワークになります。
コーポレートボンド投資を「裁定思考」で見る
多くの人が社債を見るとき、まずクーポン(表面利率)と格付けに注目します。しかし、プロの債券投資家は、クーポンそのものより「YTM(満期利回り)とリスクのバランス」を重視します。なぜなら、既発債は市場価格が日々変動しており、同じクーポンでも購入価格によって実際の利回りは大きく変わるからです。
裁定思考とは、似たようなリスク・キャッシュフローを持つ債券同士の「価格の歪み」を見つけ、それを利用して期待リターンを高めるという発想です。株式でいうなら、同じ業種・同じ成長性なのに、PERだけ極端に安い銘柄を拾うイメージに近いです。
YTM(満期利回り)分布を見る理由
YTMは、「いまの価格で債券を買って満期まで保有した場合に、年間どれだけの利回りが期待できるか」を表す指標です。クーポンだけでなく、償還差損益(額面100に対していくらで買ったか)も含めて評価する点が重要です。
同じ発行体・同じ通貨でも、満期や銘柄ごとにYTMがバラバラに並んでいることは珍しくありません。市場の需給、発行タイミング、投資家の好みなどが混ざって、「本来ならもっと利回りが低くてよいはずの債券が高く放置されている」「反対に、リスクのわりにYTMだけ高くなっている」という状態が生まれます。
ここで重要なのが「分布で見る」という視点です。単に「この銘柄のYTMは3.5%」と個別に見るのではなく、
・同じ発行体の別満期のYTM
・同じ格付け帯の他社債のYTM
・同じ残存期間帯の他社債のYTM
と比較することで、相対的に割安かどうかを判断していきます。
実務的なステップ:YTM分布から割安債をスクリーニングする流れ
ここからは、個人投資家がネット証券の情報だけでも実践しやすいように、ステップごとに整理します。実際の銘柄名は各自の証券会社の取扱いに依存するため、ここでは抽象化した例で説明します。
ステップ1:投資対象の「ユニバース」を決める
まずは、なんでもかんでも見るのではなく、スクリーニング対象の範囲(ユニバース)を決めます。例えば以下のような条件を組み合わせます。
・通貨:円建て社債/ドル建て社債
・格付け:シングルA以上、もしくはBBB以上など、自分の許容リスクに応じて設定
・残存期間:3〜7年程度(あまり短すぎると利回りが低く、長すぎると金利リスクが大きい)
・業種:金融、非金融のどちらかに絞る、あるいは特定セクターを外す
例えば「円建て・格付けA格以上・残存3〜7年」のユニバースを作れば、比較的信用リスクが安定している中堅〜大企業の債券が並ぶはずです。この中で、YTMの分布を眺めるところからスタートします。
ステップ2:YTMと残存期間の関係をざっくり把握する
次に、残存期間ごとのYTMの大まかなレンジを掴みます。エクセルやスプレッドシートに、
・銘柄名/発行体
・格付け
・残存年数
・クーポン
・価格
・YTM
といった情報を並べ、残存年数を横軸、YTMを縦軸にした簡易的な散布図を作ってみるとイメージが掴みやすくなります。実際にグラフを作らなくても、残存3年で2.0〜2.5%が多い、5年で2.3〜2.8%あたりが中心など、感覚的な「ゾーン」を頭に入れておくだけでも十分です。
この段階で、明らかにレンジから外れてYTMが高い銘柄に目をつけます。ただし、YTMだけ高い場合には必ず理由があります。次のステップで、その理由を潰し込んでいきます。
ステップ3:YTMが高い銘柄の「理由」を確認する
YTMが周りより高い銘柄を見つけたら、まず以下のようなポイントを確認します。
・最近、格下げ・業績悪化のニュースが出ていないか
・同じ発行体の他の債券と比較して利回りが突出していないか
・残存期間が極端に長くないか(10年以上など)
・流動性が極端に低くないか(売買気配がほとんどない等)
もし「残存5年・格付けA・同じ発行体の他の債券と比べてもYTMだけ少し高い」という程度であれば、単純に需給の偏りや発行タイミングの違いで歪みが生じている可能性があります。一方、「直近で大きな業績ショックがあり、株価も暴落している」といった場合は、単純な割安とは言えません。
ステップ4:同一発行体の「曲線」からのズレを見る
プロは、同じ発行体ごとに「クレジットスプレッド曲線」をイメージしながら債券を見ますが、個人投資家でも簡易版なら真似できます。
例えば、ある企業Aについて、
・残存3年:YTM 2.1%
・残存5年:YTM 2.4%
・残存7年:YTM 2.6%
という複数銘柄があるとします。このとき、残存期間が長くなるほどYTMが少しずつ高くなるのが自然です。もし、
・残存5年の別銘柄:YTM 2.9%
というように、他の5年物より0.5%も高いとしたら、「何か特別なリスクがあるのか」「単に価格が売られすぎているのか」を検証する価値があります。
有価証券報告書や決算資料、ニュースをざっと確認しても特段の悪材料が見当たらない場合、クレジットスプレッド曲線から外れた割安債とみなせます。これは、時間の経過とともに「本来あるべき水準」へと収束する可能性が高く、裁定的な妙味があります。
具体的な投資アイデア:割安社債を拾う「バスケット戦略」
個別銘柄に大きく集中すると、万一の信用イベントでダメージが大きくなります。そこで実務的には、複数の割安候補をバスケット(かご)としてまとめて分散投資するアプローチが現実的です。
アイデア1:同格付け帯の「上位YTM」だけを拾う
例えば、
・格付けA格の円建て社債をユニバースとする
・残存3〜7年に絞る
・その中でYTM上位20%に入る銘柄だけを候補とする
というルールを決めたとします。もちろん、候補になった銘柄は一つずつニュースや業績をチェックし、「YTMが高い妥当な理由」がないかを確認します。それでもなお「理由不明の高利回り」なら、市場の歪みを反映した割安候補として採用します。
このようにルールベースでバスケットを組めば、個別の銘柄選択に迷いにくくなり、感情に左右されにくい投資がしやすくなります。
アイデア2:同一発行体内での「相対割安」を拾う
次に、特定の優良企業に絞って、その企業の発行する複数の社債の中から割安なものだけを選ぶというアプローチです。
例えば、安定したキャッシュフローを持つインフラ企業Bに注目し、その企業が発行している残存3年・5年・7年の社債を比較します。もともと信用力が高い企業であれば、同一企業内の銘柄間のYTMの差はそれほど大きくないのが自然です。
その中で、5年物だけYTMが他より0.3〜0.4%高いようなケースがあれば、それは有力な候補になります。信用リスクは同じ発行体に集約されるため、発行体リスクは取るが「どの満期を持つか」で裁定的に有利なポジションを取るイメージです。
アイデア3:クレジットスプレッドの「急拡大後」を狙う
よりアクティブな戦略として、
・特定セクターに悪材料が出て社債スプレッドが一斉に拡大した
・ただし、個別企業の中には財務が比較的堅牢で、過剰に売られていると判断できる銘柄がある
といった状況を狙う方法があります。これは株式の「セクター全体が売られたあとに、財務が強い企業だけ拾う」という発想と同じです。
クレジットスプレッドが急拡大すると、YTMも跳ね上がりますが、ニュースを精査すると「本当に危ない企業」と「巻き込まれただけの優等生」が混在していることがあります。後者に絞って拾うことで、スプレッドの縮小によるキャピタルゲインも狙うことができます。
リスク管理:社債裁定戦略で必ず押さえるべきポイント
YTM分布からの裁定戦略は、聞こえは上級者向けですが、フレームワークは単純です。ただし、債券特有のリスクを軽視すると、思わぬ損失を被ることがあります。押さえるべきポイントを整理します。
信用リスク:利回りの裏側には必ず理由がある
YTMが高いということは、裏を返せば市場が何らかの「追加リスク」を織り込んでいるということです。明確な悪材料がなく、長期的なビジネスモデルも堅いと判断できる場合は割安の可能性がありますが、
・構造的に業績が悪化している業界
・レバレッジが高く、金利上昇に弱い企業
・コーポレートガバナンスに疑問がある企業
などは慎重に見る必要があります。「高利回りだから買う」のではなく、「リスクに対して利回りが十分に高いから買う」という姿勢が重要です。
流動性リスク:売りたいときに売れない可能性
個人向けに販売される社債の中には、取引量が少なく、スプレッド(買値と売値の差)が広い銘柄もあります。この場合、画面上のYTMが高く見えても、実際に売り買いするときに大きなコストが発生し、期待リターンが削られる可能性があります。
また、相場全体が荒れた局面では、買い手がほとんどいなくなり、事実上ホールドせざるを得ないといった状況も想定しておくべきです。社債裁定戦略は、「短期で売り抜ける前提」ではなく、最悪は満期まで保有する覚悟を持てる範囲の資金で行うのが安全です。
金利リスク:YTMが高くても評価損は普通に出る
社債は株と違って満期がありますが、途中で売買するときには金利変動による価格変動リスクがあります。特に残存期間が長い債券は、金利上昇局面で大きく価格が下落する可能性があります。
YTM分布から割安な債券を買ったとしても、購入後に市場金利が急上昇すれば、評価損が出るのは避けられません。「割安だから絶対に損をしない」ということではない点を冷静に理解しておく必要があります。
個人投資家向けの実践的アプローチ
ここまでの話を踏まえ、個人投資家が現実的に取り組みやすいステップをまとめます。
ステップA:まずは「ファンド+個別社債少額」から
いきなり個別社債だけでポートフォリオを組むのはハードルが高いので、債券ファンドやETFをベースにし、その上で少額の個別社債裁定を乗せる形が現実的です。
ポートフォリオ全体のなかで、
・債券ファンド・ETF:安定収益の土台
・個別社債裁定ポジション:上乗せリターンを狙うスパイス
という役割分担を明確にすれば、心理的にも無理のない運用ができます。
ステップB:毎月・毎四半期の「YTM分布チェック」をルーティン化
株のスクリーニングと同じように、定期的にユニバースのYTM分布をチェックする習慣を作ると、チャンスに気づきやすくなります。
例えば、
・毎月1回、保有証券会社の社債一覧から条件に合う銘柄を抽出
・YTMの高い順に並べ、上位候補をチェック
・既保有銘柄との入れ替え余地がないか検討
といったルーティンを持つだけでも、「なんとなくキャンペーンで販売されているものを買う」状態から一歩抜け出すことができます。
ステップC:退出ルールをあらかじめ決めておく
社債は「満期まで持つ」のが基本ですが、裁定戦略を取るなら、利回り・スプレッドがどの程度まで縮小したら利確するかも決めておいた方が合理的です。
例として、
・購入時点で同格付け帯の平均YTMより0.4%高かった
・その後、価格上昇により差が0.1%まで縮小した
このような場合、「本来あるべき水準に収束した」とみなして、いったん売却してキャピタルゲインを確定する、というルールが考えられます。ルールを事前に決めておくことで、欲張りすぎてチャンスを逃すリスクを減らせます。
まとめ:YTM分布を見るだけで、社債投資は別物になる
コーポレートボンドの世界は、一見するとプロ専用の難しい領域に見えます。しかし、
・ユニバースを決めてYTM分布を眺める
・理由なき高利回り銘柄を「候補」としてメモする
・ニュースや決算を確認して、リスクとリターンのバランスを評価する
・複数銘柄のバスケットで分散する
・一定のスプレッド縮小で利確するルールを持つ
というステップに分解してみると、株式のバリュー投資とそれほど変わらないロジックで運用できることが見えてきます。
YTM分布から割安社債を検出する裁定戦略は、「派手な一発逆転」ではなく、ポートフォリオ全体のリスクをコントロールしながら、じわじわと期待リターンを引き上げるための地味な工夫です。株式や投資信託を中心に運用している個人投資家にとっても、安定収益の土台を強化する選択肢として検討する価値があります。


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