相場のニュースでは「金利が上がった」「インフレが落ち着いた」という言葉が毎日のように出てきます。しかし、投資で本当に効いてくるのは、単なる名目金利そのものよりも「実質金利(名目金利−期待インフレ率)」である場面が非常に多いです。株・債券・金(ゴールド)・為替の値動きが噛み合わないとき、そのズレを説明してくれるのが実質金利と期待インフレ率です。
この記事では、期待インフレ率をどう観測し、名目金利から実質金利をどう作り、どの資産のどの局面で使うと効くのかを、初心者でも再現できる手順に落とし込みます。大事なのは「当てに行く」のではなく、「相場の前提が変わった瞬間を早く検知する」ことです。期待インフレ率は、そのための優秀なセンサーになります。
期待インフレ率とは何か:市場が織り込む“平均的な物価上昇”
期待インフレ率とは、将来の一定期間にわたって物価がどれくらい上がると市場が見ているか、を金利差などから推計したものです。アンケート(消費者調査やエコノミスト予想)もありますが、投資で使いやすいのは「市場価格から逆算される期待インフレ率」です。なぜなら、日々の資金フローが即座に反映されるからです。
代表的なのが米国の「ブレークイーブンインフレ(Breakeven Inflation)」です。これは同じ満期の名目国債利回りと、物価連動国債(TIPS)の利回りの差として観測されます。たとえば10年米国債利回りが4.00%、10年TIPS実質利回りが1.60%なら、差の2.40%が10年期待インフレ率(10年BEI)という扱いになります。
直感的にはこうです。名目債はインフレに弱い(実質価値が削られる)一方、TIPSはインフレに連動して元本が調整されるため、インフレへの耐性が高い。そのため、両者の利回り差には「インフレ分の埋め合わせ」が含まれやすい、という発想です。
実質金利が重要な理由:資産価格の“割引率”が変わるから
実質金利は、ざっくり言えば「お金の時間価値(割引率)」の中で、インフレ要因を取り除いた“純粋な”金利です。株式の理論価格は将来キャッシュフローを割り引いて現在価値に直しますが、その割引率が上がるほど株価は下がりやすくなります。特にグロース株は将来の利益比重が大きいので、実質金利上昇に弱い傾向が出ます。
逆に言えば、名目金利が上がっても期待インフレ率が同程度に上がっていれば、実質金利はあまり変わらず、株が意外と崩れないことがあります。「金利上昇=株安」と単純に決めつけると、ここで読み違えます。
ゴールドは利息を生まない資産なので、実質金利が上がると相対的に魅力が落ちやすい、という基本関係がよく見られます。為替はさらに複雑ですが、少なくとも米国実質金利が上がる局面ではドルが強くなりやすい、という見方が使いやすい場面が多いです(絶対ではありません)。
名目金利と期待インフレ率から実質金利を作る:計算は引き算だけ
計算式は単純です。
実質金利 ≒ 名目金利 − 期待インフレ率
たとえば、10年米国債利回りが4.00%、10年期待インフレ率が2.40%なら、10年実質金利は1.60%程度、という推計になります。実務ではTIPS実質利回りそのものを見ればよいのですが、初心者は「引き算で理解する」ほうが腹落ちします。
ここで重要な注意点が2つあります。
1つ目は、期待インフレ率には「流動性プレミアム」や「インフレリスクプレミアム」が混ざり得ることです。つまり、差がそのまま純粋な期待インフレの平均値とは限りません。ただし投資では“純度”よりも“変化”が大事なので、完璧な推計にこだわり過ぎないほうが運用しやすいです。
2つ目は、期間を揃えることです。2年を見るなら2年、5年なら5年、10年なら10年で揃えます。短期は政策金利の影響が強く、長期は景気・財政・需給が効きやすいので、混ぜると解釈が崩れます。
どこを見ればいいか:初心者でも追える“3点セット”
日々のチェックは、最初は多くし過ぎると続きません。私は「3点セット」だけで十分だと考えます。
(A)10年名目金利:米国なら10年UST利回り。日本なら長期国債利回り(ただし日銀の枠組みの影響が大きいので解釈注意)。
(B)10年期待インフレ率:米国なら10年ブレークイーブン(10y BEI)。日本は市場の厚みが薄いので代替指標を併用します(後述)。
(C)10年実質金利:米国なら10年TIPS実質利回り。引き算で作っても良いですが、TIPSそのものを見るほうが早いです。
この3つを毎日眺めるだけで、「金利が上がったけど株が強い」や「ドル高が止まらない」といった現象が、かなり整理できるようになります。
相場の読み方:同じ“金利上昇”でも中身が違う
ここからが本題です。名目金利が上がる局面は一見同じに見えますが、期待インフレ率と実質金利のどちらが主因かで、リスク資産の反応が変わります。典型的な3パターンを押さえてください。
パターン1:期待インフレ率が上がって名目金利が上がる(実質金利は横ばい)
例として、名目4.0%→4.4%に上がり、期待インフレ率2.4%→2.8%に上がった場合、実質金利は1.6%→1.6%で横ばいです。これは「インフレ懸念が強まったが、実質的な引き締め感はそれほど増えていない」状態です。
このときは、資源株やインフレ耐性のあるバリューが相対的に強くなりやすく、グロースはやや重いが全面崩れにはなりにくい、という反応が出やすいです。為替ではインフレ由来の金利上昇はドル高に直結しないこともあります(同時に景気期待が上がるならリスクオンでドル安になることもある)。ここは“単純な金利差”だけで判断しないのがコツです。
パターン2:実質金利が上がって名目金利が上がる(期待インフレ率は横ばいか低下)
名目4.0%→4.4%に上がったのに、期待インフレ率2.4%→2.2%に下がった場合、実質金利は1.6%→2.2%に上がります。これは市場が「インフレは鎮静化するが、金融環境は引き締まる」と見ている状態です。株にとっては嫌な組み合わせになりやすく、特に金利感応度の高い銘柄(ハイPER、長期成長期待)から調整が入りやすいです。
ゴールドはこの局面で弱くなりやすい傾向があります。利息が付かない資産に対して、実質利回りが上がると機会費用が増えるためです。ドルは相対的に強くなりやすく、ドル円なら円が弱い要素と重なると上昇が加速することがあります。
パターン3:名目金利が下がるが、期待インフレ率も下がる(実質金利はあまり下がらない)
景気後退が意識される局面でよく起きます。名目金利が下がって「金融緩和期待だから株高」と短絡しがちですが、同時に期待インフレ率が下がると実質金利が思ったほど低下しない場合があります。実質金利が高止まりすると、株が戻りにくく、ディフェンシブ優位が続くことがあります。
ここで役に立つのが「期待インフレ率の下落は、需要の弱さ(デフレ圧力)を示唆しやすい」という視点です。名目金利低下の“良さ”より、需要減速の“悪さ”が勝っている可能性がある、という警戒ができます。
具体例で腹落ちさせる:同じ数値でも意味が違う
初心者が一番つまずくのは「指標の動きが株価に直結しない」ことです。そこで、同じ“実質金利1.6%”でも背景が違う例を2つ示します。
例1:名目4.0%・期待インフレ2.4%・実質1.6%(需要が堅い、インフレもほどほど)
この場合、企業売上の名目成長が見込みやすく、信用環境も極端に悪化していなければ、株は底堅くなりやすいです。利回りが高くても、利益成長が追いつくなら許容されます。
例2:名目2.5%・期待インフレ0.9%・実質1.6%(需要が弱い、デフレ気味)
名目金利は低いのに、期待インフレがさらに低いので実質金利が同じになります。この場合は“低金利=安心”ではありません。需要が弱く、価格転嫁も難しいので、企業利益が伸びにくい環境です。株式のバリュエーションは一見割引率が低くて有利に見えますが、分母より分子(利益)が縮むリスクが大きくなります。
同じ実質金利でも、期待インフレの水準が違うと景色が変わる、というのが核心です。だから、実質金利だけを単独で見ないで、名目と期待インフレの“内訳”をセットで追うのが重要です。
日本での使い方:米国ほど単純ではないが、武器にはなる
日本は日銀の政策枠組みの影響が大きく、長期金利の変動が抑えられてきた期間が長いので、米国ほど「債券市場が期待を素直に表す」とは言いにくい面があります。それでも、期待インフレ率・実質金利の発想は、日本株やドル円を理解するうえで強力です。
実務的には、次のような代替・補助指標を組み合わせると現実的です。
・日本の期待インフレ率の参考:インフレスワップ(情報の取得が難しい場合は、各種データサイトの期待インフレ指標を参照)、物価連動国債の利回り、アンケート系(ただし遅行)。
・ドル円への応用:米国実質金利が上がり、同時に日本の実質金利が据え置かれる(または下がる)と、金利差の“質”が開きやすく、ドル高円安が進みやすいという整理ができます。
・日本株への応用:米国実質金利上昇局面では、世界の成長株に逆風が吹きやすく、日本株でも同様のセクター回転(高PERからバリューへ)が起きやすいです。一方で円安が同時に進むと輸出や外貨建て収益の比重が高い企業は相殺され、指数が粘ることがあります。この“相殺”を読むのに、実質金利と為替をセットで見るのが効きます。
初心者がやりがちな誤読と、その修正方法
ここはかなり重要です。期待インフレ率は便利ですが、誤読しやすい落とし穴があります。代表例を挙げます。
誤読1:期待インフレ率が上がった=景気が良い
期待インフレ率の上昇は、需要の強さを反映する場合もありますが、供給ショック(エネルギー高など)でも上がります。供給要因のインフレは、家計の実質購買力を削り、企業のコストも押し上げるため、株にとって必ずしもプラスではありません。
修正方法は簡単で、同時に「実質金利」と「信用スプレッド(投資適格やハイイールド)」をざっくり見ることです。供給ショックで景気が悪くなるなら、信用スプレッドが拡大しやすく、実質金利も不安定になります。期待インフレ率だけで結論を出さないことが大事です。
誤読2:実質金利が下がった=株は必ず上がる
実質金利低下は割引率面では追い風ですが、同時に「景気悪化で期待インフレ率が崩れた」ケースだと、利益見通しが悪化して株が上がらないことがあります。実質金利の低下が“良い低下”なのか“悪い低下”なのかを見分ける必要があります。
見分け方としては、株価指数が下がっている局面で実質金利が低下しているなら、それは“保険”としての国債買いが入っている可能性が高いです。つまりリスクオフ要因です。逆に、株が堅調で実質金利が緩やかに低下するなら、金融環境の改善として素直に追い風になりやすいです。
誤読3:数字の水準だけで売買を決める
「期待インフレ率が2%を超えたら危険」など、単一の閾値で決め打ちすると事故りやすいです。市場は常に環境が変わるため、重要なのは水準よりも“変化率”と“加速度”です。短期間で急騰・急落したときに、ポジションが偏っていると巻き込まれやすいです。
投資への落とし込み:資産別に“効きやすい場面”を整理する
ここからは、期待インフレ率と実質金利を、実際の運用にどう使うかです。万能ではありませんが、効く局面がはっきりしています。
株式:セクター回転のトリガーとして使う
個別銘柄の当て物に使うより、まずはセクター回転の判断に使うのが現実的です。
・実質金利が上昇トレンドに入ったら、グロース偏重を減らし、バリュー・高配当・キャッシュフローが見える企業へ比重を寄せる。
・期待インフレ率が上昇し、実質金利が横ばいなら、インフレ耐性(価格転嫁、資源、物流、エネルギー)を検討する。
ここでのポイントは、いきなり全入れ替えをしないことです。初心者は「10%だけ移す」など、リスクを限定して検証しながら慣れていくほうが長続きします。
債券:デュレーションの調整に直結する
債券は実質金利の変動に敏感です。実質金利が上がる局面では長期債の価格が下がりやすく、保有していると含み損が出やすいです。逆に実質金利が下がる局面では長期債が効きやすいです。
初心者は「長期債が怖いなら短期に寄せる」という単純な対応から始めれば十分です。実質金利が急騰しているときに長期を握り続けるのが一番痛いので、まずは“避ける”を優先してよいです。
ゴールド:実質金利のトレンド確認がほぼ必須
ゴールドは多要因ですが、実質金利のトレンドが逆風になると、上昇が鈍りやすいのは経験則として使えます。初心者は「実質金利が上向きのときは、ゴールドは小さめ」「実質金利が下向きのときは、ゴールドを増やす余地」という目線で良いです。
為替(ドル円):日米の“実質金利差”で考えるとブレが減る
ドル円は金利差で動く、と言われますが、名目の政策金利だけでは説明がつかない局面があります。そこに実質金利差の発想を入れると、見通しが少し安定します。
例えば、米国の実質金利が上がるのに日本の実質金利が上がらない(もしくは低下)なら、ドル高円安が継続しやすい、という整理です。逆に米国実質金利が低下し始め、同時に日本側でインフレが上がって実質金利が相対的に改善すると、円高方向に振れやすくなります。
もちろん地政学やリスクオフで円が買われるなど例外はありますが、日々の観測軸としてはかなり使えます。
初心者向け:毎週15分でできる観測ルーティン
最後に、継続しやすい手順を提示します。重要なのは「頻度を上げすぎないこと」と「判断を単純にすること」です。
ステップ1:3点セットの“方向”だけを見る
10年名目金利、10年期待インフレ率、10年実質金利について、今週は上向きか下向きか横ばいか、だけをメモします。水準を当てる必要はありません。
ステップ2:相場の説明を1行で書く
例:「名目↑、期待インフレ↑、実質→」なら“インフレ懸念主導”、「名目↑、期待インフレ→、実質↑」なら“引き締め主導”といった具合に、どの力が強いかを言語化します。言語化できないときは、無理に売買しないほうが良いです。
ステップ3:ポートフォリオの“微調整”だけする
引き締め主導で実質金利が上向くなら、グロース比率を少し下げる、長期債を減らして短期寄せにする、という「被害を減らす」方向の微調整をします。逆に実質金利が下向きなら、過度に守りすぎている部分を少し戻す、という調整です。
ステップ4:翌週の確認ポイントを決める
「実質金利がさらに上がるなら株の反応が変わるか」「期待インフレ率が崩れたらリスクオフに寄るか」など、1つだけ仮説を持って翌週を迎えます。仮説があると、ニュースに振り回されにくくなります。
まとめ:期待インフレ率は“未来の物価”より“相場の前提変更”を読む道具
期待インフレ率は、将来のインフレをピタリと当てるための魔法の数字ではありません。むしろ、「市場が何を怖がり、何を安心し始めたか」を早く察知するための指標です。名目金利だけを見て混乱する局面ほど、期待インフレ率と実質金利をセットで見る価値があります。
最初は難しく感じるかもしれませんが、やることは“引き算”と“方向確認”だけです。3点セットを淡々と追い、相場の説明を一行で書けるようになると、トレードでも長期投資でも判断のブレが減ります。結果として、余計な売買が減り、リスク管理の質が上がります。
最後に、指標はあくまで判断材料の一部です。短期の値動きにはランダム性があり、単一指標で結論を出すと不利になります。期待インフレ率・実質金利は“地図”として使い、実際のエントリーやリスク量は別の確認(価格のトレンド、出来高、ボラティリティ、損切りルール)とセットで管理してください。


コメント