- ILS(保険リンク証券)とは何か:株でも債券でもない「保険のリスク」を買う
- リターンの出どころ:なぜ利回りが出るのか
- ILSの主な形態:キャットボンドだけではない
- 「相関が低い」は半分正しい:相関が壊れる瞬間を先に知る
- 個人が取るべきスタンス:ILSを“主食”にしない
- 商品選別の実戦:チェックリスト(ここが肝)
- 損失が出るメカニズムを“数字”でイメージする
- 具体例:個人がILSを組み込む3つの設計パターン
- 失敗パターン集:やりがちな事故を先に潰す
- 最低限の運用ルール:個人用のシンプル版
- まとめ:ILSは「小さく入れて、長く持つ」ための分散ツール
- もう一段深掘り:ILSを理解するための「見るべき指標」とニュースの読み方
- 日本の個人投資家の論点:為替・税務・商品アクセス
- 実装手順:今日からできる“安全側”の進め方
ILS(保険リンク証券)とは何か:株でも債券でもない「保険のリスク」を買う
ILS(Insurance-Linked Securities)は、保険・再保険の引受リスクを資本市場に移し、投資家がそのリスクを引き受ける代わりに保険料由来のリターンを得る仕組みです。代表例はキャットボンド(Catastrophe Bond:自然災害債)で、地震・ハリケーン・台風などの巨大災害(カタストロフ)損失が一定条件を超えたときに元本が削られ、条件を満たさなければクーポン(利払い)を受け取ります。
ポイントは「企業業績」や「中央銀行政策」ではなく、自然災害や損害保険の事故率といった別のリスク源泉に紐づくことです。だからこそ、うまく設計できればポートフォリオの分散要素になり得ます。一方で、分散という言葉だけで飛びつくと、テールリスク(めったに起きないが起きると大きい損失)に刺さります。ILSは「高利回り商品」ではなく、相関の異なるリスクを限定的に混ぜるための道具として扱うのが合理的です。
リターンの出どころ:なぜ利回りが出るのか
ILSのリターンは、ざっくり分けると次の3つの要素で決まります。
1)保険料(リスクプレミアム)
保険は、加入者から保険料を集め、事故が起きた人に保険金を支払うビジネスです。投資家は再保険の形でその一部を引き受け、事故が想定より少なければ保険料収入が上振れします。ここが株式の「利益成長」とは違う点で、経済成長が鈍くても保険料は発生します。
2)担保運用(コラテラル)
キャットボンド等では、元本は担保として安全性の高い短期運用に置かれ、そこから得られる利息がクーポンの一部になります。金利水準が高いほど、同じ保険条件でもクーポンが見栄えよくなりやすい一方、担保運用の中身が不透明だと別のリスクを抱えます。
3)損失(イベント)の発生頻度と深さ
結局のところ、損失が出る年は出ます。重要なのは「何が起きたら、どの程度削られるのか」を事前に理解し、損失が出てもポートフォリオが崩壊しないサイズに止めることです。
ILSの主な形態:キャットボンドだけではない
個人がアクセスしやすい領域を中心に、代表的な形態を整理します。
キャットボンド(自然災害債)
SPV(特別目的会社)が債券を発行し、投資家資金を担保口座に置きます。災害損失が契約で定めた「トリガー」に達すると元本が減り、保険会社側の損失補填に回ります。トリガーは大別すると、実損連動(Indemnity)、業界損失連動(Industry Loss)、パラメトリック(風速・震度など)があります。実損連動は保険会社の実損を補填するため、投資家側は情報非対称になりやすい一方、パラメトリックはルールが明確で透明性が出やすい傾向があります。
サイドカー/コラテラライズド・リインシュアランス
再保険の引受枠を投資家資金で増やす仕組みです。ボンドの形を取らないため、流動性や評価の透明性が低くなりがちで、個人が直接触る領域としては難易度が上がります。ファンドを通じて間接的に組み込まれることがあります。
モータ/医療・損害など「非カタ」保険リスク
自動車、医療、賠償など、日常事故に近い保険リスクもあります。ただし、景気や訴訟環境、インフレ(修理費・医療費)に影響を受け、株式・債券との相関が上がる局面があります。分散目的なら、まずはカタ領域から理解を固めるほうが安全です。
「相関が低い」は半分正しい:相関が壊れる瞬間を先に知る
ILSが注目される理由は「株・債券と相関が低い」ことですが、これは平均的な平時の話です。相関が壊れる(あるいは別の形で同時に損をする)典型パターンを押さえておきます。
1)大災害の当たり年:複数イベントが連鎖する
ハリケーンが連続する、地震が重なる、台風が複数上陸する、といった年は、損失が連鎖して複数の債券で元本が削られます。「単発なら大丈夫」の想定を壊すのが連鎖です。ILSは“分散のために分散が必要”で、単一地域・単一危険(例:米国フロリダのハリケーン)に偏ると、分散の看板が外れます。
2)インフレ局面:損害額が膨らみやすい
建設費・資材・人件費が上がると、同じ家が壊れても修復コストが上がります。結果として保険損失が大きくなり、トリガーに到達しやすくなります。インフレは金利だけの問題ではなく、保険の損失率にも直結します。
3)流動性ショック:価格が“下がる”だけの年
市場全体がリスクオフになると、ILSそのものの損失イベントがなくても、ファンドの評価価格が一時的に下がることがあります(売り手優位、買い手不在)。「損失がなければ必ずプラス」という設計ではありません。現金化が必要なタイミングと重なるとダメージになります。
個人が取るべきスタンス:ILSを“主食”にしない
結論から言うと、ILSはコア資産(全世界株や主要国債)の代替ではありません。扱いは「オルタナ枠」「衛星(サテライト)」です。合理的な位置づけは次の通りです。
目安の配分レンジ
一般的には、ポートフォリオの1〜5%程度が現実的です。慣れても10%を超えると、災害年のドローダウンが心理面・資金面で効いてきます。特に投資開始直後に“当たり年”を引くと致命傷になりやすいので、最初は1%からで十分です。
目的を一つに絞る
ILSで狙うのは「分散」と「安定的なプレミアム収益」です。値上がり益を主目的にすると判断が狂います。株式のように長期で右肩上がりを期待する資産ではない、これを腹落ちさせてください。
商品選別の実戦:チェックリスト(ここが肝)
個人がILSに触る場合、実務上は「ファンド(投信/ETF/海外ファンド)」を介することが多いはずです。ここでは、選別で外すと痛い論点を優先度順に並べます。
1)投資対象の内訳:地域・危険の偏り
資料に“North Atlantic Hurricane”や“Florida Exposure”が多ければ、ハリケーン偏重です。地震(日本・カリフォルニア)、欧州風災、複数地域に分散しているかを確認します。分散していると言いながら、実は米国ハリケーンが7割、というケースは普通にあります。
2)トリガーの種類:透明性と逆選択
実損連動は保険会社の実損に連動するため、投資家が情報面で不利になりやすい(逆選択)側面があります。パラメトリックや業界損失連動はルールが明確になりやすい反面、実際の損失とズレる(ベーシスリスク)もあります。どれが正しいではなく、自分が理解できるトリガーで構成されているかが重要です。
3)流動性:解約・売買が“できる前提”か
投信/ETFでも、裏側の資産は基本的にOTCで、売買は即時ではありません。急落時にスプレッドが広がる前提で、キャッシュ需要のある資金(生活防衛・税金・近い出費)を入れないことが鉄則です。
4)手数料:利回りを食い尽くす構造に注意
ILSは運用が難しいため手数料は高くなりがちです。管理費用(信託報酬)だけでなく、成功報酬、再保険手数料、SPV費用など、層が重なることがあります。平時の期待リターンが年率数%〜1桁台に収まる設計なのに、費用が厚いと、損失年が来たときに回復しにくくなります。
5)担保の質:余計なリスクを混ぜない
担保が何で運用されているかは重要です。基本は短期・高品質の担保ですが、利回り欲しさに信用リスクを取りに行っていると、分散のはずがクレジットの下落に巻き込まれます。ILSで取りたいリスクは「保険のテール」です。クレジットや株式リスクを混ぜた瞬間に目的が崩れます。
損失が出るメカニズムを“数字”でイメージする
難しい数式は不要ですが、意思決定に必要な最低限の数字感は持つべきです。ここでは概念だけを掴みます。
期待損失(Expected Loss:EL)とスプレッド
多くのILS案件は、年率の期待損失(EL)が見積もられ、それに対して上乗せスプレッド(保険料)が付く設計です。単純化すると、受け取るプレミアム - 期待損失 - コストが期待リターンになります。プレミアムが高く見えるときは、ELも上がっている(危険が濃い)可能性が高い。表面利回りだけで比較しないことが重要です。
発生確率の読み違いが最も危険
自然災害リスクは、モデル(気象・地震・損害データ)で推定されます。しかし、モデルは過去データと仮定に依存します。たとえば、気候変動・都市化・保険普及率の変化などで、損害分布が変わると、過去ベースの確率がズレます。投資家側はこの不確実性を織り込んで、“想定より悪い年は必ず来る”と置くべきです。
具体例:個人がILSを組み込む3つの設計パターン
ここでは、現実に運用しやすい形を3つ提示します。各パターンで「何を守って」「何を諦めるか」を明確にします。
パターンA:分散の一滴として1%を固定保有
最も堅い設計です。株60/債券40のような基本ポートフォリオがある人が、ILSを1%だけ入れて、残りを株・債券から0.5%ずつ削ります。目的は分散で、リターンの上積みは副産物。年に1回リバランスするだけにします。損失年が来ても「予定通りの範囲」で済みやすいのが強みです。
パターンB:インカム目的で3%まで、ただし“利益は債券に逃がす”
クーポン収入を狙う場合、増やしすぎると災害年で取り返しがつかなくなります。上限3%程度にし、平時に得た分配金・利益は自動的に債券(短期国債やMMF等)へ移すルールにします。ILSで増えた資金をILSに再投資すると、リスクが雪だるま式に増えます。増えたら安全資産へ逃がすのがポイントです。
パターンC:保険料が高騰する局面だけ“新規投入”する
大災害の後は、再保険料率が上がり、条件が投資家に有利になりやすい局面があります(供給制約で値付けが変わる)。この局面でのみ新規投入する戦略です。ただし、個人がこのタイミングを完璧に当てるのは難しいため、実務では「上限枠(例:最大5%)を決め、条件が良いと感じるときだけ積み増し、それ以外は放置」という程度が現実的です。
失敗パターン集:やりがちな事故を先に潰す
1)“相関が低い”を万能と誤解して10〜20%入れる
大損の典型です。ILSはテールが大きく、分散のための衛星枠で十分です。10%を超えると、災害年の損失が心理的に耐えられず、最悪のタイミングで投げます。
2)流動性を甘く見て、必要資金を入れる
解約停止、スプレッド拡大、評価遅延が起こり得ます。生活費や納税資金は絶対に入れないでください。
3)高利回り案件に寄せて、担保運用で信用リスクを取ってしまう
分散目的が崩れます。「保険のリスク」を買っているつもりが、クレジットの下落で同時に傷つく構造になりがちです。
4)災害後に“損失確定”と勘違いして投げる
ILSは評価と確定がズレる場合があります。イベント後、最終損害の確定まで時間がかかり、価格がぶれます。もちろん損失がゼロになるわけではありませんが、確定前の投げ売りは最悪です。だからこそサイズを小さくするのが正解です。
最低限の運用ルール:個人用のシンプル版
最後に、個人がそのまま運用に落とせるルールを提示します。複雑化させる必要はありません。
ルール1:配分上限を決める(例:最大5%、開始は1%)
上限がないと、平時の良さで増やし、災害年で吹き飛びます。
ルール2:年1回だけリバランスする
月次で触ると、ノイズに振り回されます。年1回で十分です。
ルール3:利益(分配)はコア資産へ回す
ILSで増えた分をILSに再投資しない。これだけで破綻確率が下がります。
ルール4:商品変更は“理由”がある時だけ
成績で追いかけると遅れます。内訳の偏り、費用、担保の質、運用体制の変化など、構造的な理由がある時だけに限定してください。
まとめ:ILSは「小さく入れて、長く持つ」ための分散ツール
ILS(保険リンク証券)は、株・債券とは異なるリスク源泉を持つ一方、テールリスクと流動性制約を抱えます。個人投資家にとっての勝ち筋は、派手に増やすことではなく、小さな配分で分散を改善し、ルールで増やしすぎを防ぐことです。まずは1%から、地域・危険の偏り、トリガーの透明性、担保の質、費用、流動性を点検しながら、衛星枠として丁寧に使ってください。
もう一段深掘り:ILSを理解するための「見るべき指標」とニュースの読み方
株式は決算や金利で動きますが、ILSは「保険市場の需給」と「災害リスクの見積もり」で期待収益が揺れます。難しく感じますが、個人が追うべき情報は絞れます。
1)再保険料率のサイクル(ハード化/ソフト化)
大損害の年の後は、再保険の引受余力が減り、保険会社はより高い保険料を払ってでも再保険を確保しようとします。すると市場は“ハード化”し、投資家に入ってくるプレミアムが厚くなりやすい。一方、損害が小さい年が続き資本が流入すると“ソフト化”し、利回りが薄くなります。ここで重要なのは、ソフト化した局面で無理に利回りを追わないことです。利回りが薄いのにテールは残るため、最も割に合わない取り方になります。
2)想定損失(EL)と「スプレッド/EL倍率」
案件によっては期待損失(EL)が提示されます。投資判断の核心は「スプレッドがELに対して十分か」です。単純に言えば、同じ10%クーポンでも、ELが2%の案件とELが6%の案件は別物です。個人は細かなモデル検証はできませんが、表面利回りではなく“ELに対する上乗せ”で相対比較するだけで事故確率は下がります。
3)地域別・危険別の集中度(集中しているほど“当たり年”が怖い)
資料でエクスポージャー比率が出ていれば、上位3つ(例:米国ハリケーン、カリフォルニア地震、日本地震)の合計が50%を超えていないかを見ます。超えるなら、分散を名乗っていても実態は“テーマ投資”です。テーマ投資は当たれば良いですが、ILSは当てに行く資産ではありません。
4)季節性(ハリケーンシーズンの扱い)
ILSには季節性があります。例えば北大西洋ハリケーンは特定の季節に集中します。ファンドによってはシーズン前後で保有比率を調整したりしますが、個人がこれを真似るのは難しい。むしろ、季節性があることを前提に、評価変動やニュースの騒音に耐えられるサイズに抑えるのが実務的です。
日本の個人投資家の論点:為替・税務・商品アクセス
日本居住者がILSを扱うとき、海外資産としての論点が加わります。ここを落とすと、運用の想定が崩れます。
1)為替ヘッジの有無:リスクを増やすか、コストを払うか
ILSの多くは米ドル建てです。為替が大きく動く局面では、ILS自体が安定していても円ベースの損益がブレます。分散のために入れたのに、円高でマイナスになるのは普通に起こります。為替ヘッジ付き商品ならブレは減りますが、ヘッジコストが高い局面では利回りを削ります。結論はシンプルで、為替を取りたくないならヘッジ付き、取りたいならヘッジなしですが、ILSを“分散ツール”として入れるなら、まずはヘッジ付き(または投入比率を小さく)で設計するほうが事故が少ないです。
2)税務の考え方:分配金の性格を確認する
商品によって、分配金が利子・配当・譲渡益のどれに近い扱いになるか、源泉徴収や申告区分が変わり得ます。ここは商品設計と口座種別(特定口座・一般口座等)に依存するため一般化しにくいのですが、実務のコツは「分配の内訳(利子相当/キャピタルゲイン/リターン・オブ・キャピタル等)を資料で確認し、税引後で期待値を再計算」です。税引後で魅力が消えるなら、そもそもやる意味が薄れます。
3)アクセス手段:透明性の高い器を選ぶ
個人が最初に触るなら、(a)保有資産の開示が比較的しっかりしている、(b)担保の質が明確、(c)解約条件が分かりやすい、の3点を満たす器が無難です。逆に、説明資料が薄い、運用の裁量が大きすぎる、評価が不透明、という商品は、理解が進んでからでも遅くありません。
実装手順:今日からできる“安全側”の進め方
ステップ1:コア資産を先に固める
まずは全世界株・先進国債券・現金等の土台を固めます。ILSは土台の上に置く調味料であって、土台そのものではありません。
ステップ2:上限5%を決め、初回は1%だけ買う
いきなり理想比率にせず、1%だけ入れて値動き・分配・評価のタイムラグに慣れます。
ステップ3:年1回、3点だけ確認して継続判断する
(1)資産内訳の偏りが極端に変わっていないか、(2)費用体系が悪化していないか、(3)担保・流動性の前提が崩れていないか。これだけで十分です。
ステップ4:損失年が来たら“機械的に”リバランスする
損失年は感情が最大の敵です。損失が出たからといってゼロにするのではなく、事前に決めたルール(上限・下限)に従って、淡々と戻します。これができないなら、最初からILS比率を下げるべきです。


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