インフレが続く局面では「現金は目減りする」と言われます。そこで注目されやすいのがインフレ連動債(Inflation-Linked Bonds)です。結論から言うと、インフレ連動債は“インフレというリスク”に対しては確かに強い一方で、“金利(実質金利)の上昇”には普通に弱いです。ここを取り違えると、「インフレ対策のはずが損失」という事故が起きます。
この記事では、インフレ連動債が機能する条件と機能しない条件を、実質金利とブレークイーブン・インフレ率(期待インフレ)で分解して説明します。個人投資家が実務的に使うなら、現物債よりもETF/投信になるケースが多いので、ETFを前提に、買い方・量・タイミングの考え方まで落とし込みます。
インフレ連動債の仕組みを「1分で」理解する
インフレ連動債は、ざっくり言うと元本や利払いが物価指数(CPIなど)に連動して調整される国債です。米国ならTIPS(Treasury Inflation-Protected Securities)、日本なら物価連動国債が代表格です。
インフレ連動債で増えるのは「名目」ではなく「実質」の購買力
普通の国債(名目債)は、満期まで持てば額面が返ってきます。しかしインフレが進むと、その額面の購買力は減ります。一方、インフレ連動債は物価上昇に応じて元本(指数連動元本)が増減するため、理屈としては購買力を維持しやすい構造です。
でも価格は上下する:満期前に売れば損益は普通にブレる
重要なのは、インフレ連動債も債券である以上、市場価格は金利で動くという点です。ETF/投信で保有する場合は満期までの固定がなく、金利上昇局面で基準価額が下がることは普通に起きます。「インフレ連動=価格が下がらない」ではありません。
損益の本体は「実質金利」:ここを外すと理解が破綻する
インフレ連動債の肝は、名目金利ではなく実質金利です。定義はシンプルで、
名目金利 ≒ 実質金利 + 期待インフレ率
この分解ができると、インフレ連動債と名目国債の関係が一気に整理できます。
インフレ連動債は「実質金利の債券」
インフレ連動債は、物価に連動する部分は自動調整されるため、価格形成の中心は実質金利(Real Yield)です。実質金利が上がると、将来の実質キャッシュフローを割り引く率が上がるので、価格は下がります。逆に実質金利が下がる(=実質割引率が低下)と、価格は上がります。
「インフレが上がれば儲かる」は半分だけ正しい
たとえば「インフレが上がる局面」は、同時に中央銀行が引き締めを強め、実質金利も上がることがあります。この場合、物価連動で元本が増える効果よりも、実質金利上昇で価格が下がる効果が勝ち、ETFの基準価額が下落することがあります。
つまり、インフレ連動債が強いのは“想定以上のインフレ”が起きるのに、実質金利がそれほど上がらない(あるいは下がる)局面です。ここを誤解すると、インフレ局面でも損することがある理由が分からなくなります。
ブレークイーブン・インフレ率:買うべきかの判断軸
インフレ連動債を語るときに必ず出てくるのがブレークイーブン・インフレ率(BEI)です。これは、同じ年限の名目国債利回りと、インフレ連動債の実質利回りの差で概算されます。
BEIの直感:市場が「何%のインフレ」を織り込んでいるか
BEIは市場が織り込む期待インフレの目安です。ここで考えるべきは、
自分の想定インフレ(今後の平均CPI)> 市場が織り込むBEI
なら、インフレ連動債(実質債)を持つ合理性が上がります。逆なら、名目国債の方が期待リターンは上がりやすい、という整理です(もちろん他の要因もありますが、骨格はこれです)。
注意:BEIは「CPIそのもの」ではなく、流動性や需給も混ざる
BEIは万能ではありません。名目国債とTIPSの需給差、流動性プレミアム、保険会社・年金の需要などが入り、純粋な期待インフレだけを反映していないことがあります。したがって、BEIは「参考指標」ですが、投資判断の骨格としては十分使えます。
インフレ連動債が機能する3つの場面
1) 想定外のインフレが起き、実質金利が追随しない局面
“インフレのショック”が先に来て、中央銀行の引き締めが遅れる、あるいは景気悪化で実質金利が上がりにくい局面では、インフレ連動債が効きやすいです。名目債はインフレ上振れで実質価値が毀損しやすい一方、インフレ連動は調整が入るため相対的に有利になります。
2) スタグフレーション寄り:株が弱く、インフレが残る局面
株式は期待成長と割引率(=金利)の綱引きです。スタグフレーション寄りの局面では、成長が鈍いのにインフレは残り、企業利益が圧迫され、株が弱くなりがちです。このとき、インフレ連動債は「株の代替」ではありませんが、購買力ヘッジという役割でポートフォリオの損傷を抑える可能性があります。
3) 長期の生活費インフレがリスクになる人
老後取り崩し期に入ると、生活費インフレは資産寿命を削ります。株式の期待リターンがあっても、暴落期に売却が重なると資産寿命が短くなる(シーケンス・リスク)ため、生活費の実質価値を守る枠としてインフレ連動債が検討対象になります。
インフレ連動債が機能しない(むしろ危ない)4つの落とし穴
1) 実質金利が急騰する局面:ETFは普通に大きく下がる
インフレが高いからといって、インフレ連動債ETFが上がるとは限りません。実質金利が急騰すると、連動調整よりも価格下落が勝ち、基準価額が下がります。ここで「インフレ対策なのに下がるのはおかしい」と感じる人は、そもそも構造理解が不足しています。
2) “物価”と“自分の生活費”は一致しない
連動するのはCPI等の統計です。たとえば食品・エネルギーの比率、家賃の算定方法などにより、あなたの体感インフレとCPIがズレることは普通にあります。したがって、インフレ連動債は「生活費の完全ヘッジ」ではなく、あくまで統計インフレへのヘッジです。
3) 為替でヘッジが壊れる:外貨建てTIPSは為替の影響が大きい
日本の個人投資家が実務で触りやすいのは、米国TIPS連動ETF/投信です。しかし円建て投資家にとっては、TIPSの値動きに加えて為替が乗ります。円高で目減りすることもあれば、円安で増えることもあります。インフレヘッジ目的なのに、為替が主因で損益が決まると本末転倒になりえます。
4) 税金:インフレ連動の“増えた分”に課税されると実質が削れる
税制の細部は商品・口座区分で変わりますが、一般論として、利子・分配金・譲渡益は課税対象になります。インフレ連動で増えた分がそのまま購買力を守るとは限りません。特に課税口座で短期売買すると、ヘッジとしての意味が薄くなりやすいです。
具体例でわかる:3つのシナリオ別に「何が起きるか」
ケースA:インフレ急上昇、実質金利は横ばい
このケースはインフレ連動債が強くなりやすいです。名目債はインフレ上振れで実質価値が削られる一方、インフレ連動債は元本調整が入り、相対的に有利になりがちです。
ケースB:インフレは高いが、中央銀行が強烈に引き締め、実質金利が上がる
ここが事故ポイントです。インフレ連動で元本が増えても、実質金利上昇で価格が下がり、ETFの基準価額は下落しやすいです。インフレ連動債は“インフレ”だけでなく“実質金利”の賭けでもある、と理解していないと耐えられません。
ケースC:ディスインフレ(インフレ鈍化)、景気不安で実質金利が下がる
このケースではインフレ連動債が上がることがあります。インフレが鈍化しても、実質金利が下がると債券価格は上がりやすいからです。ただし、インフレヘッジという目的からすると「目的外の上昇」であり、狙いはブレます。
個人投資家の実践:インフレ連動債を“道具”として使う設計
まず結論:メイン資産にしない。保険として小さく持つ。
インフレ連動債は、株の代替でも、現金の代替でもありません。位置づけとしては、「想定外のインフレに備える保険」が分かりやすいです。保険なので、基本はポートフォリオの一部に留めます。
保有比率の目安:0%〜15%の範囲で十分
万人に正解はありませんが、個人投資家の現実解としては、インフレ連動債(またはそれに近い商品)の比率は0%〜15%程度で十分なケースが多いです。理由は2つあります。
- インフレヘッジは、株(価格転嫁力のある企業)や実物資産(不動産等)でも部分的に担える
- インフレ連動債は実質金利上昇に弱く、保険以上に持つとポートフォリオのブレが増える
年限(デュレーション)を短くする発想:金利リスクを薄める
インフレ連動債ETFは、保有年限が長いほど(デュレーションが長いほど)金利変動の影響を受けます。インフレヘッジが目的なら、「必要十分なヘッジ × 金利感応度を下げる」という発想が実務的です。商品選定で短めのデュレーションを選べるなら、優先順位は高いです。
為替をどうするか:目的に応じて割り切る
円建て生活者が米国TIPS商品を買う場合、為替は避けられません。割り切りは次のどちらかです。
- 為替ヘッジあり:インフレヘッジの純度を上げる。ただしヘッジコストで期待リターンが削れることがある
- 為替ヘッジなし:ドル資産分散も兼ねる。インフレヘッジというより「外貨分散+インフレ調整」になる
迷うなら、まずは「外貨分散の枠」でヘッジなしを少量、が現実的です。ヘッジコストや商品の分配方針まで気にし始めると管理が複雑化します。
買い方の設計:一括で当てに行かない。ルールで淡々と積み上げる
インフレ連動債は、マクロ要因(実質金利・期待インフレ)で動くため、短期の“当てもの”に向きません。個人がやるなら、次のようにルール化した方が再現性が上がります。
ルール案1:保険枠を固定し、年1回だけリバランス
たとえば「インフレ連動債をポートフォリオの10%」と決め、年1回のリバランスだけ行う方法です。上がれば売り、下がれば買い増すので、結果として平均取得がならされます。
ルール案2:BEIが極端に低い時だけ厚めにする(上級)
BEIが“あり得ないほど低い”局面は、インフレ連動債の期待値が相対的に上がることがあります。ただし、これはマクロ指標を継続的に見られる人向けです。指標の見方を誤ると、ただの逆張りになって苦しみます。
代替手段:インフレヘッジはインフレ連動債だけではない
インフレ連動債は強力な道具ですが、唯一解ではありません。実務では複数の道具を組み合わせる方が堅牢です。
価格転嫁力のある株式(生活必需品・インフラ・優良企業)
インフレ局面でも売上が伸び、利益率を守れる企業は、長期的に実質価値の維持に寄与します。インフレ連動債が“防波堤”なら、株式は“エンジン”です。
短期国債・MMF:金利上昇局面ではむしろ強い
金利が上がる局面では、長期債(名目でも実質でも)が傷みやすい一方、短期商品は利回りが上がりやすく、価格変動が小さいです。「インフレヘッジ」ではなく「金利上昇耐性」という意味で、短期の安全資産を厚めにするのは合理的です。
実物資産(不動産等):ただし流動性とレバレッジに注意
不動産はインフレに連動しやすい一面がありますが、金利上昇に弱く、レバレッジが入ると事故りやすいです。インフレ連動債の代替として安易に置き換えると、リスクの種類が変わります。
よくある誤解と、即修正すべき思考癖
誤解1:「インフレ連動債は“安全資産”だから下がらない」
下がります。ETFならなおさら下がります。安全資産は「価格が動かない」ではなく、「デフォルトしにくい」「購買力を守る設計がある」という意味合いが中心です。
誤解2:「インフレが上がるなら買い」
インフレ上昇と同時に実質金利が上がるなら、負けます。見るべきはインフレ単体ではなく、実質金利と期待インフレのバランスです。
誤解3:「儲かる商品を探す」
インフレ連動債は“儲ける主役”ではなく“事故を減らす脇役”に向きます。儲けを狙うなら株式や成長資産の設計が先です。インフレ連動債に過剰な期待を乗せると、ポートフォリオが歪みます。
実践チェックリスト:購入前に必ず確認すること
- 目的は何か:インフレヘッジなのか、ドル分散なのか、単なる債券分散なのか
- 保有形態:現物債か、ETF/投信か(満期保有ができないなら価格変動は受け入れる)
- デュレーション:長すぎないか(実質金利上昇リスクを過大に取っていないか)
- 為替:ヘッジ有無を決めたか(目的と一致しているか)
- 税金と口座:分配金・譲渡益の扱いを理解しているか(短期売買しない設計か)
- 上限比率:ポートフォリオの何%までにするか(保険枠として上限を決める)
まとめ:インフレ連動債は「インフレの保険」だが、万能ではない
インフレ連動債は、想定外のインフレに備える有効な道具です。しかし、損益の中心は実質金利であり、金利上昇局面ではETFの価格が下がり得ます。つまり、インフレ連動債は“インフレの保険”であって、“価格が下がらない魔法の債券”ではないということです。
個人投資家が現実的に使うなら、保険枠として小さく持ち、年1回のリバランスなどのルールで運用するのが堅牢です。主役はあくまで長期の成長資産(株式等)に置き、インフレ連動債は「想定外」を潰す道具として配置してください。


コメント