- マーケットニュートラルとは何か:言葉の定義をズラすと破綻する
- なぜ魅力的に見えるのか:個人がハマりやすい3つの幻想
- マーケットニュートラルの基本構造:ネットとグロス、そしてβ
- 収益源は3種類:アルファ、スプレッド、キャリー
- 現実を決める「コスト」の内訳:個人が一番負けやすい場所
- 具体例1:ペアトレード(同業2社)で「ニュートラル」を作る手順
- 具体例2:βニュートラル(指数ヘッジ)で「隠れロング」を消す
- 具体例3:セクターニュートラル(テーマ株の中で強弱だけを取る)
- マーケットニュートラルが壊れる瞬間:5つの典型事故
- 「勝っているように見える」トリック:バックテストが綺麗になる理由
- 個人が現実的にやるなら:3段階で難易度を上げる
- 実務的な設計チェック:これが言えないなら“ニュートラル”を名乗らない
- 損切りと撤退の“現実的ルール”:精神論ではなく設計で決める
- 金利上昇局面での現実:キャリーが戦略を殺す
- 個人がやりがちな誤り:やってはいけない設計パターン
- それでも価値はあるのか:個人にとっての“使いどころ”
- 最後に:現実的な結論と、明日からの一歩
- 運用中に見るべきモニタリング指標:数字で管理しないと必ず“ずれる”
- コストを数字で試算する:勝率より先に“損益分岐”を出す
- ストレスシナリオで考える:暴落時に何が起きるか
マーケットニュートラルとは何か:言葉の定義をズラすと破綻する
マーケットニュートラル(Market Neutral)は、ざっくり言えば「市場全体(β)の影響をできるだけ打ち消し、相対的な強弱だけで損益を作る」運用です。株式市場が上がっても下がっても、理屈の上ではポートフォリオの値動きが小さく、銘柄選別(アルファ)や価格差(スプレッド)の変化で収益を狙います。
ただし現実の運用で重要なのは、何に対してニュートラルなのかです。「日経平均に対して」「TOPIXに対して」「米国株全体に対して」「金利に対して」「セクターに対して」「為替に対して」など、対象が違えば設計もリスクも別物になります。ここを曖昧にすると、マーケットニュートラルのつもりが、実は“隠れロング”や“隠れショート”になり、相場急変で一撃を食らいます。
なぜ魅力的に見えるのか:個人がハマりやすい3つの幻想
マーケットニュートラルが魅力的に聞こえる理由はだいたい次の3つです。
1つ目は「暴落耐性」幻想です。市場をショートでヘッジしているなら下げに強いはず、という期待が生まれます。しかし実際の危機局面では、相関が一斉に1へ寄ったり、ショート側が踏み上げられたり、流動性が枯れてスプレッドが急拡大したりして、思ったほど守れません。
2つ目は「低リスクで安定」幻想です。ネットのエクスポージャー(買いと売りの差)が小さいと、値動きも小さそうに見えます。ところが、マーケットニュートラルはしばしばグロス(買い+売りの総量)が大きくなり、レバレッジ・資金調達コスト・取引コストが効いてきます。「低ボラ=低リスク」ではありません。
3つ目は「相場予想不要」幻想です。たしかに方向性の当てもの(上がるか下がるか)は薄まります。ただ代わりに、相関構造・資金コスト・需給の歪みを読む必要が増えます。難易度の種類が変わるだけです。
マーケットニュートラルの基本構造:ネットとグロス、そしてβ
設計の最初に押さえるべき概念は3つだけです。ネット・グロス・βです。
ネット(Net Exposure)は、ロング総額-ショート総額です。例えばロング100万円・ショート100万円ならネット0です。
グロス(Gross Exposure)は、ロング総額+ショート総額です。上の例ならグロス200万円です。ネット0でもグロスが大きいほど、手数料・スプレッド・借株料・金利の影響が増えます。
β(ベータ)は、市場全体に対する感応度です。ネット0でも、ロングが高βでショートが低βなら、実質ロングβになります。逆も同様です。現実の「ニュートラル」はネットではなくβで測ります。
収益源は3種類:アルファ、スプレッド、キャリー
マーケットニュートラルの損益は、分解すると次の3つです。
(A)アルファ(銘柄選別):強い銘柄を買い、弱い銘柄を売る。差が広がれば勝ち。
(B)スプレッド(価格差の平均回帰):似たもの同士の価格差が一時的に開いたところを取りにいく。元に戻れば勝ち。
(C)キャリー(保有コストと利息差):金利や配当、先物のロール、借株料などの“持っているだけで発生する損益”。このキャリーが地味に効きます。個人が見落としがちなのは(C)です。戦略の期待値が薄いほど、キャリーが勝敗を決めます。
現実を決める「コスト」の内訳:個人が一番負けやすい場所
マーケットニュートラルは、コストに弱い戦略です。値幅を大きく取りにいくトレンド戦略と違い、勝ち分は「差の拡大・縮小」の小さな変化になりがちだからです。主なコストは以下です。
取引コスト:売買手数料、スプレッド、スリッページ。回転率が高いほど致命傷になります。
資金調達コスト:信用取引の金利、先物の証拠金に対する機会費用、外貨建てなら為替スワップや金利差も絡みます。
ショートのコスト:借株料(貸株料)と品貸料(逆日歩のような追加コスト)、そして「借りられないリスク」です。いざという時にショートが維持できず、ヘッジが外れた状態で市場リスクだけを抱えるのが最悪パターンです。
税コスト:売買回数が増えると課税イベントが増え、複利が削れます。ここも長期で効きます。
具体例1:ペアトレード(同業2社)で「ニュートラル」を作る手順
初心者が概念を掴むには、同業2社のペアトレードが分かりやすいです。例えばA社とB社が同じ業界で似た収益構造だとします。通常は両社とも業界景気に連動しやすいので、業界全体の上下(市場要因)を相殺し、相対的な差だけを取りにいく発想です。
ここで重要なのは、「等金額で組めばニュートラル」ではないという点です。A社の値動きがB社より大きい(ボラが高い)なら、等金額だとA社側の影響が強く残ります。理屈としては、過去のデータでA社とB社の回帰係数(ヘッジ比率)を推定し、その比率でロングとショートを組みます。
例として、過去1年の日次リターンで回帰したら、A社=1.2×B社+ノイズ、という関係が得られたとします。この場合、A社を1,200,000円ロングするならB社を1,000,000円ショートする、といった具合に比率を合わせます(逆でも同様です)。
さらに、スプレッド(A-1.2×B)が「平均との差から何σ離れているか(zスコア)」を見て、-2σで買い、0に戻ったら利確、-3σで損切り、のようにルール化します。ここで“平均回帰するはず”という思い込みでナンピンを始めると破綻します。平均が動く(構造変化)可能性を前提にします。
具体例2:βニュートラル(指数ヘッジ)で「隠れロング」を消す
次に、個人が比較的やりやすいのが「銘柄選別ロング+指数ショート」の組み合わせです。やり方はシンプルで、買いたい銘柄群(例えば5~10銘柄)をロングし、それらの合成βに見合うだけ指数をショートします。これで市場の上下を薄め、銘柄の相対強さで勝負します。
例を作ります。あなたが10銘柄を合計1,000,000円ロングし、推定βが平均1.1だったとします。βニュートラルにしたいなら、指数を1,100,000円分ショートするイメージです。指数が1%下げたとき、ロング側は理屈上1.1%下げやすいので、ショート側の利益で相殺する狙いです。
ただし個人がここで詰むポイントがあります。指数ショートの手段(信用売り、先物、CFD、インバースETFなど)によってコストと挙動が全く違うことです。特にインバースETFは日次でリバランスされるため、長期保有では意図しない減価が起こり得ます。ニュートラルを“長く保つ”ほど、手段の癖が損益に出ます。
具体例3:セクターニュートラル(テーマ株の中で強弱だけを取る)
テーマ株投資でよくある罠は、テーマ全体に賭けてしまうことです。例えば半導体テーマが人気なら、関連銘柄を複数買いがちです。しかしテーマが崩れる局面では全部一緒に落ちます。ここでマーケットニュートラルの発想を入れると、テーマ内の強弱だけを狙えます。
設計はこうです。半導体関連の中で「装置」「材料」「設計」「製造」といったサブセクターを分け、強いサブセクターをロングし、弱いサブセクターをショートします。テーマ全体の波ではなく、サブセクター間の資金移動で勝つイメージです。
このときも、等金額ではなくβやボラで重みを調整します。さらに、ニュース要因(特定企業の不祥事、規制、地政学)で構造が変わった場合、平均回帰は当てにしません。「それでも戻るはず」は一番危険です。
マーケットニュートラルが壊れる瞬間:5つの典型事故
ここからが本題です。マーケットニュートラルは、壊れるパターンがわりと決まっています。
事故1:相関が崩れる(想定していた“似た動き”が消える)。合併・破綻・規制・技術革新で、同業と思っていた2社が別物になります。スプレッドが戻らず、損失が雪だるまになります。
事故2:ショートスクイーズ。ショート側が急騰して踏まされます。個別銘柄ショートは、理論上損失が無限大です。しかも流動性が悪いほど逃げられません。
事故3:資金調達コストの急騰。金利上昇局面では、信用金利・先物のベーシス・借株料が効いてきます。値動きがニュートラルでも、キャリーで負けます。
事故4:流動性枯渇。危機時はスプレッドが広がり、想定した価格で約定しません。ニュートラル戦略は回転とリバランスが命なので、ここで機能不全になります。
事故5:クラウディング(みんな同じポジション)。ヘッジファンドやクオンツが同じスプレッドを狙うと、解消局面で一斉に逆回転します。小さな歪みを取りに行く戦略ほど、同質化しやすいです。
「勝っているように見える」トリック:バックテストが綺麗になる理由
マーケットニュートラルはバックテストで成績が綺麗に見えやすいです。理由は3つあります。
第一に、過去データからヘッジ比率や銘柄選定を行うと、知らずに未来情報(データスヌーピング)を混ぜやすいこと。第二に、取引コストや借株制約を甘く見積もると、現実より良くなること。第三に、相関が安定していた時期だけを切り取ると、平均回帰が“必ず起きる”ように見えることです。
現実に寄せるなら、少なくとも「コストを多め」「約定を不利」「ショートできない期間あり」「リバランス遅延あり」を入れて耐えるかを確認します。これで残らない戦略は、実運用ではほぼ残りません。
個人が現実的にやるなら:3段階で難易度を上げる
いきなり本格的なロングショートに飛び込むのは危険です。個人が現実的に近づけるなら、難易度を3段階に分けます。
ステップ1:ポートフォリオ内の“疑似ニュートラル”。まずは「株式だけ」「一方向だけ」の状態を避けます。株式と債券ETF、国内と海外、円と外貨など、リスク源泉を分けて相関を下げます。これは厳密なニュートラルではありませんが、暴落耐性の土台になります。
ステップ2:指数ヘッジでβを落とす。自分のロング資産に対して、短期的に指数ヘッジを入れる練習をします。重要なのは、ヘッジ比率を固定しないこと。市場環境でβは変わるので、月次や四半期で見直す前提にします。
ステップ3:ペアトレード(限定的)。同業2社や同種ETFなど、流動性が高く、構造が理解できる対象だけで小さく始めます。平均回帰の仮説が崩れたら即撤退、が徹底できる範囲にします。
実務的な設計チェック:これが言えないなら“ニュートラル”を名乗らない
ここからは、運用前に自分に問いかけるべき項目です。答えられないなら、その戦略はニュートラルではなく、ただの雰囲気です。
(1)ニュートラルにしたい対象は何か。TOPIXか、米国株か、セクターか、為替か。
(2)βはどう推定したか。期間は何日か。相場環境が変わったときにβが変わる想定はあるか。
(3)ショート手段は何か。借株料や品貸料、ロール、日次リバランスの癖は把握しているか。
(4)想定コストは年率で何%か。値動きの期待値よりコストが大きいなら、それは負け戦略です。
(5)撤退基準はどこか。-1σ、-2σのような感覚ではなく、資金管理とセットで決めるか。
損切りと撤退の“現実的ルール”:精神論ではなく設計で決める
マーケットニュートラルで一番危ないのは、損切りできないことです。理由は「いつか戻るはず」に見えるからです。平均回帰は“確率的”であり、“保証”ではありません。撤退ルールは精神論ではなく、設計で固定します。
例えばペアトレードなら、スプレッドのzスコアで撤退を決めますが、それだけでは足りません。構造変化の兆候(決算の質、事業転換、規制、M&A、主要顧客の喪失)が出たら、スコアに関係なく撤退します。モデルが前提としている「似た事業」という土台が崩れたからです。
資金管理としては、1トレードの損失上限を総資産の0.5%~1%程度に抑える設計が現実的です。ニュートラル戦略は“当たり外れ”の連続で、勝ちを積み上げるより、事故で吹き飛ばさないことが重要です。
金利上昇局面での現実:キャリーが戦略を殺す
ここ数年のように金利が動く局面では、マーケットニュートラルの本当の敵は価格変動ではなくキャリーです。信用金利が上がるとロングの保有コストが増え、借株料が上がるとショートの維持コストが増えます。先物ヘッジならロールやベーシスが変わります。
例えば、年率3%の追加コストが発生する構造なら、スプレッド収益の期待値が年率4%でも、残るのは1%です。さらに取引コストが年率1%ならゼロです。マーケットニュートラルは“少し勝つ”設計になりやすいので、コストが1~2%増えるだけで勝てなくなります。
個人がやりがちな誤り:やってはいけない設計パターン
誤り1:相関が高い=安全、と決めつける。相関は危機時に変わります。相関が高いからこそ、同時に崩れることもあります。
誤り2:ネット0なら安全、と決めつける。ネット0でもβが残り、グロスが大きく、コストが重いなら危険です。
誤り3:平均回帰を信仰し、ナンピンする。平均が動けば破綻します。平均回帰は“戻るまで耐える”ゲームではありません。
誤り4:ショート側を軽視する。ショートはコストと制約の塊です。借りられない、踏まされる、呼び戻される。ここを無視した瞬間、戦略は紙上の空論になります。
誤り5:ヘッジを固定し、放置する。市場環境でβもボラも変わります。ニュートラルはメンテナンス型の戦略です。
それでも価値はあるのか:個人にとっての“使いどころ”
結論を言うと、個人がヘッジファンドのようなマーケットニュートラルを完全再現するのは難しいです。データ、執行、借株、資金調達、分散の全てで不利だからです。
ただし価値がゼロではありません。使いどころは2つです。
1つは「ポートフォリオの下振れを浅くする」用途です。厳密なニュートラルではなくても、βを落とし、特定リスクを分散し、キャリーを把握するだけで、生存確率は上がります。
もう1つは「テーマ内・業界内の強弱だけを取りにいく」用途です。テーマ全体に賭けるより、強いものを買い、弱いものを売る設計のほうが、相場観依存が薄くなります。
最後に:現実的な結論と、明日からの一歩
マーケットニュートラルは“魔法”ではありません。相場の方向を当てなくていい代わりに、相関構造とコストに強く縛られます。特に金利や借株料が動く時代は、キャリーが勝敗を決めます。
明日からできる一歩は、いきなりロングショートを始めることではありません。まず自分の保有資産を「市場(β)」「セクター」「為替」「金利」に分解し、どのリスクにどれだけ晒されているかを言語化することです。言語化できれば、ヘッジは“気分”ではなく“設計”になります。
設計ができたら、小さく試し、コストと約定の現実を体感し、撤退基準を先に決める。マーケットニュートラルは、勝ち方よりも“死なない作り方”で差がつきます。
運用中に見るべきモニタリング指標:数字で管理しないと必ず“ずれる”
ニュートラル戦略は、組んだ瞬間よりも「持っている間」に崩れます。だからこそ、運用中のモニタリングが本体です。最低限、次の数字は毎週(できれば毎日)確認します。
推定β:直近60日など短めの窓でβを再推定し、想定からどれだけズレたかを見ます。βが0付近を狙っているのに、+0.3や-0.3に偏っていたら、それはもう方向性ポジションです。
ネットとグロス:ネットが小さくても、グロスが増えているなら、レバレッジが上がりコストが増えています。特に損失が出ると、ニュートラルを保つためにリバランスを繰り返し、結果として回転率が上がることがあります。ここでコスト負けしやすいです。
スプレッドのzスコアと平均の移動:平均回帰型なら、スプレッドの平均と分散が“動いていないか”を監視します。平均が滑っているのに、古い平均を前提にトレードを続けると、戻る場所が存在しない状態になります。
最大ドローダウン:ニュートラル戦略は勝率が高く見える一方、たまに深いドローダウンが出ます。過去の最大ドローダウンを更新したら、モデルが壊れたサインとして扱い、ポジションを縮小するのが合理的です。
コストを数字で試算する:勝率より先に“損益分岐”を出す
戦略を組む前に、年率でコストを概算し、必要な期待リターン(損益分岐点)を出してください。これをやらないと、良い戦略かどうかの判定ができません。
例として、ロング100万円・ショート100万円のグロス200万円で回すケースを考えます。売買の往復コスト(スプレッド込み)が片道0.15%で、月1回入れ替えるなら、年12回でおおよそ0.15%×2(往復)×12=3.6%程度のコストになります(実際は銘柄と市場で大きく変わります)。
さらに信用金利や借株料が合計で年2%かかるなら、合計コストは年5~6%に達します。つまり、この設計は「年5~6%を上回るスプレッド収益」がないとプラスになりません。ここで、平均回帰の期待値が年3%程度しかないなら、どれだけロジックが綺麗でも“構造的に負け”です。まず損益分岐を出し、勝てる余地がある設計だけを残すのが最短です。
ストレスシナリオで考える:暴落時に何が起きるか
最後に、必ずストレスシナリオを1つ作ってください。「株が-10%」「金利が+1%」「ボラが急上昇」「ショートが借りられなくなる」「スプレッドが2倍に広がる」など、あなたの戦略に効くものを選びます。
マーケットニュートラルは“普段は静か”であるほど、ストレス時の挙動が重要です。普段の損益曲線が綺麗でも、ストレスで資産の5%を一撃で失う設計なら、それは長期で持てません。小さく勝つ戦略ほど、ストレスで吹き飛ばさないことが最優先です。


コメント