このガイドは、板情報(Order Book)と注文フロー(Order Flow)を使って短期売買のエッジを構築するための実務マニュアルです。DOM(Depth of Market)、フットプリントチャート、CVD(累積出来高デルタ)といったツールを、初学者でも迷わず実装できるように順序立てて解説します。理論だけでなく、具体的なエントリー/イグジット手順、数式、再現可能な検証方法、よくある落とし穴まで踏み込みます。
- 1. なぜ「板」と「フロー」を見るのか
- 2. マーケット・マイクロストラクチャの最小限
- 3. 注目すべき板・フロー指標
- 4. 実務で使う3つの売買プレイブック
- 5. 実務KPIと数式
- 6. 実例:USD/JPYの板・フローを使った5分スキャルピング
- 7. 環境構築と画面設計
- 8. ルール設計:エントリー/イグジットの定量化
- 9. リスク管理:板・フロー特有の落とし穴
- 10. 検証(バックテスト)と再現性
- 11. デイタイプ別 戦術アジャスト
- 12. 発注と実行の細部
- 13. ミニ用語集(現場で使う言葉)
- 14. 明日からの実行チェックリスト
- 15. 収益化の勘所(初心者が伸びる順番)
- 付録A:簡易CVDの実装イメージ(擬似コード)
- 付録B:プレイブック・テンプレート
1. なぜ「板」と「フロー」を見るのか
価格はニュースでもインジケータでもなく、約定によってのみ動きます。板情報は「これから約定する潜在的な流動性」、注文フローは「いま約定した実流」を可視化します。テクニカル指標の多くは価格の後追いですが、板とフローは価格形成の直前〜直後の情報を提供します。よって、スキャルピングや数分〜数十分のスイングでは、遅行指標よりも板・フローの文脈が期待値に効きます。
2. マーケット・マイクロストラクチャの最小限
2.1 プライス-タイム優先と流動性
多くの市場は価格優先・時間優先でマッチングされます。買い板(Bid)と売り板(Ask)の最良気配の差がスプレッド。指値注文は流動性提供(Maker)、成行注文は流動性需要(Taker)です。成行が板を喰い進めると価格は動き、喰われずに滞留すると価格は止まります。
2.2 注文タイプの最低限
実務で押さえるのは、成行、指値、ストップ、アイスバーグ(隠し)。アイスバーグは表示数量(Display)と非表示数量(Reserve)を持ち、約定のたびに数量が補充されることで吸収(Absorption)として観測されます。
3. 注目すべき板・フロー指標
3.1 ベストレベル不均衡(Imbalance)
最良気配の数量不均衡は、短期の押し引きを測る基本材料です。簡易式:
Imbalance = (BidSizebest - AskSizebest) / (BidSizebest + AskSizebest)
値が+に偏れば上押し、-に偏れば下押しの「燃料」が多いと解釈します。ただし、見せ玉やキャンセル率の高い板ではノイズが増えます。
3.2 累積出来高デルタ(CVD)
CVDは、買い成行約定量から売り成行約定量を累積していく指標です。
CVDt = CVDt-1 + (Volumemarket buy - Volumemarket sell)
価格が上昇しているのにCVDが伸びない場合は吸い上げ(Liquidity Sweep)による一時的な価格上げの可能性、逆に価格横ばいでCVD上昇なら隠れた買い圧と解釈できます。
3.3 フットプリント(Footprint)
各価格帯の買い成行・売り成行の出来高を同一ローソク内で表示する手法。同一価格帯での一方向の連続ヒットは突破の前兆、大口が一帯で連続吸収している場合は反転の芽になります。
3.4 キャンセル率とキュー位置
見かけ数量が多くてもキャンセルが多い銘柄は「薄い」。また、指値のキュー位置(先頭からの順番)は約定確率とスリッページに直結します。頻繁に板の上書きが起きる時間帯は、成行主導の戦術が有利です。
4. 実務で使う3つの売買プレイブック
4.1 プレイブックA:スプレッド収縮→突破
狙い:スプレッド縮小と最良気配の厚み集中を利用し、ブレイクの初動を取る。
条件:(i) 直近レンジの上限/下限が近い、(ii) 最良気配に厚みが寄る、(iii) CVDがブレイク方向に傾いている。
手順:レンジ上抜けを例に、ブレイク価格より1〜2ティック上に指値買いをスタンバイ(キュー上位を確保)。トリガーは「売り板の一気食い+キャンセル連鎖」。
損切り:ブレイク起点の1.5〜2倍のATR(1分)相当の逆行幅。
利確:直近高値手前で1/2、伸びたらトレーリング。
4.2 プレイブックB:吸収(Absorption)からの反転
狙い:特定価格帯でのアイスバーグ吸収を捕捉し、逆張りで取りに行く。
観測:同一価格で売り成行が連打されるのに価格が下がらない(買い板が補充され続ける)。フットプリントで同価格帯の売り成行が高止まり。
手順:吸収帯の1〜2ティック上に買い指値。板の補充が止まったら撤退。
損切り:吸収帯を明確に割れたら即時。
利確:直近VWAPまたは直近のミニ高安で分割。
4.3 プレイブックC:流動性掃除(Liquidity Sweep)の後追い
狙い:アルゴの一括食い(Sweep)の後に発生するモメンタムを、短距離で同乗する。
シグナル:複数ティックに跨る連続約定+板の空洞化+CVDの急伸。
手順:スイープ終点の1〜2ティック外で成行方向にエントリー。ただし板が再構築されず空洞のままなら深追いしない。
損切り:スイープ起点の半分を逆行。
利確:空洞が埋まり反対側の厚みが出たら即逃げ。
5. 実務KPIと数式
5.1 板不均衡の正規化
ノイズ低減のため、ベスト3〜5レベルの数量合計で不均衡を取ります。
Imb(k) = (Σi=1..k BidSizei - Σi=1..k AskSizei) / (Σi=1..k BidSizei + Σi=1..k AskSizei)
これを1秒〜5秒移動平均で平滑化し、閾値±0.2〜0.3超で条件点灯とするのが実務的です。
5.2 成行圧と価格インパクト
短期の価格変化は「成行差×流動性逆数」に近似できます。
dP ≒ α × (Qbuy mkt - Qsell mkt) / L
Lはベスト数ティックの板厚合計。αは銘柄の約定弾性(経験的に推定)。
5.3 スリッページ期待値
成行での期待スリッページは、
E[Slip] ≒ β × Size / L
。βは市場状態に依存(イベント時は急増)。指値でのキュー後退は約定遅延コストとして扱い、総合的に「約定コスト」を管理します。
6. 実例:USD/JPYの板・フローを使った5分スキャルピング
前提:東京時間後場、スプレッド0.2p、レンジ狭め。直近高値151.30。
観測:151.25〜151.28で売り成行が連打されるが価格が沈まず、151.26に継続的な買い吸収。CVDは緩やかに上向き。
戦術:151.31にブレイク用の買い指値(トリガー+1ティック)。同時に151.25の厚み消失を監視。
実行:売り板が連鎖キャンセル→151.30突破→151.31指値約定。
管理:損切りは151.26、利確は151.36で1/2、残りはトレーリング(1分ATR)。
振り返り:CVDの角度が緩く、伸びは限定。板の再構築が早かったため、深追いの余地は小さかった。
7. 環境構築と画面設計
最小構成は「DOM(板・約定テープ)+フットプリント(1分足)+CVD(ティック集計)」の3点。加えてVWAPと直近の高安水平線。画面は少ないほど判断が速い。板は色ではなく数値を読む訓練を推奨します。
8. ルール設計:エントリー/イグジットの定量化
裁量の余地を最小化します。例:
(1) Imb(3) > +0.25 かつ スプレッド1ティック かつ CVD上向き → ブレイク待機。
(2) ブレイク水準の±1ティックで約定連鎖(>= 10件/秒)→ 成行追随。
(3) 逆行1分ATR×1.5 で損切り。VWAP到達で半分利確、残りは安値/高値更新停止でクローズ。
こうした明文化ルールをプレイブック単位で整備します。
9. リスク管理:板・フロー特有の落とし穴
9.1 指標・ニュース時間のスパイク
イベント時は板が消え、スリッページが桁違いに拡大します。ルールに取引不可の時間帯を明記し、逆指値は広めに。
9.2 見せ玉・スプーフィング
意図的な見せ玉・スプーフィングは多くの市場で禁止されています。異常な板厚が一瞬で消える、同一トレーダーが連続で出し入れを繰り返す等は信頼度を下げるサイン。約定フロー(テープ)を優先して判断します。
9.3 板の市場差(取引所/ブローカー差)
暗号資産やFXでは板が場によって分断されています。自分が実際に約定するプールの板・フローを見ること。別会場の板を根拠にエントリーすると、期待と約定コストが乖離します。
10. 検証(バックテスト)と再現性
理想はティック/レベル2データでのリプレイ検証です。最低限、以下を押さえます。
- イベント除外:雇用統計・CPI等の時間帯を除く。
- セッション分割:東京・欧州・NYで板の質が変わる。
- ルール固定:パラメータは外部化し、同一条件で30日以上。
- 約定コスト内生化:スリッページと手数料をモデルに入れる。
アウトサンプルでPF(プロフィットファクター)>1.2、最大ドローダウンが想定資金の5〜10%に収まることを最低ラインにします。
11. デイタイプ別 戦術アジャスト
トレンドデイ:CVDの傾き維持と押し目の吸収観測を優先。
レンジデイ:レンジ端の吸収→反転、中央値付近は見送り。
スパイクデイ:スイープ後の空洞埋めを狙うが、時間窓は短く。
12. 発注と実行の細部
指値はキュー位置の確保が命。同値指値は1ティック内で複数価格に分散(Queue Diversification)。成行は板の空洞化に注意し、サイズを分割。部分決済は心理的負担を軽減し、期待値を安定させます。
13. ミニ用語集(現場で使う言葉)
- 吸収(Absorption):一帯で成行を受け続け価格が動かない現象。
- スイープ(Sweep):複数ティックを跨いだ一括成行。
- 空洞(Void):板厚が薄く、一気に滑りやすい帯。
- テープ(Tape):約定速報。テープが真実が原則。
14. 明日からの実行チェックリスト
- 画面は「DOM+Footprint+CVD+VWAP」の4点に絞る。
- プレイブックA/B/Cの条件を価格・数量で明文化。
- イベント時は取引しない。各プレイブックの損切り幅と利確分割を固定。
- 日次で「約定コスト(手数料+スリッページ)」を集計し、期待値に反映。
15. 収益化の勘所(初心者が伸びる順番)
(1) 板・フローの「読解」→ (2) プレイブックの「遵守」→ (3) 約定コストの「管理」→ (4) ロットの「漸増」。この順番を崩さないことが、最短の成長曲線です。
付録A:簡易CVDの実装イメージ(擬似コード)
initialize CVD = 0 for each trade: if trade.side == 'buy_market': CVD += trade.size else if trade.side == 'sell_market': CVD -= trade.size plot(CVD)
付録B:プレイブック・テンプレート
名称:プレイブックA(スプレッド収縮→突破) 目的:初動モメンタムの取り込み(期待値 +) 条件:Imb(3) > +0.25、スプレッド=1、CVD上向き エントリー:ブレイク価格+1ティックの指値(キュー上位) 損切り:逆行=1分ATR×1.5 利確:直近高値手前で1/2、残りはトレーリング 禁止:イベント直前直後、空洞帯での深追い
板とフローは一生使える一次情報です。価格の「理由」を探すより、流れに同乗してリスクを限定する。それが短期売買の王道です。
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