要旨:バタフライスプレッド(以下「BF」)は、中心ストライク付近に価格が収束するシナリオで最大利益が生まれる、低コスト・限定損失のオプション戦略です。IV(インプライド・ボラティリティ)が相対的に高く、期間中に価格が大きく走りにくいと判断した局面で有効です。本稿では、構築の基本、損益式と分岐点、ギリシャの挙動、具体的な価格例、ロール・デルタ調整、決済判断、そしてよくある失敗まで、実務でそのまま使えるレベルで体系化します。
1. バタフライスプレッドの骨格
BFはコール型・プット型の二系統がありますが、ロング・コールBF(安いコストで建てやすい)を基本形として解説します。構成は以下の通りです。
- 低い権利行使価格 K1 のコールを 1 枚買い(+C(K1))
- 中心の権利行使価格 K2 のコールを 2 枚売り(−2C(K2))
- 高い権利行使価格 K3 のコールを 1 枚買い(+C(K3))
通常は等間隔(K3−K2=K2−K1=d)で組み、デビット(支払)でエントリーします。ペイオフは「山型」で、満期時に原資産価格 ST が K2 に一致すると理論上の最大利益に到達します。
2. 満期損益の数式と損益分岐点
満期時の損益(1ユニット)は概略つぎの通りです(手数料除外)。
最大利益 = d − 建玉コスト(デビット)
最大損失 = 建玉コスト(デビット)
損益分岐点(下) = K1 + 建玉コスト
損益分岐点(上) = K3 − 建玉コスト
直観:コストが安いほど最大利益は増え、分岐点は中心に寄ります。したがって、IVが高め・中心の売りが高値で約定しやすいときに優位性が高まります。
3. ギリシャ指標の挙動
- デルタ(Δ):構築直後はおおむねニュートラル寄り。価格がK2から離れるほど有利性が落ちやすい。
- ガンマ(Γ):中心付近で正に大きく、小さな価格変動でもデルタが急変。レンジブレイク時の損益悪化を早期に可視化。
- シータ(Θ):時間価値の減衰は原則プラス寄与。価格がK2近傍で時間経過=利益になりやすい。
- ベガ(ν):IV低下でプラス寄与。エントリー時は「高IV→低IV」収束狙いが王道。
4. 具体例:株価オプションでの構築(数値は仮定)
原資産 S=10,000円、満期 T=28日、ストライク幅 d=200円の等間隔構成。
レッグ | 取引 | プレミアム |
---|---|---|
+C(K1=9,800) | 買い | 320円 |
−2C(K2=10,000) | 売り | 2×210円=420円 受取 |
+C(K3=10,200) | 買い | 150円 |
ネットコスト(デビット)= 320 − 420 + 150 = 50円。
最大利益 = d − コスト = 200 − 50 = 150円。
最大損失 = 50円。
分岐点 = 9,850円 と 10,150円。
この構成は、10,000円±150円の範囲に着地すれば利益。価格が10,000円に近づくほど、期中の時間経過で評価益が乗りやすくなります。
5. エントリー前チェックリスト
- イベント確認:決算・政策金利・雇用統計など高インパクトイベント直前はシナリオ逸脱リスク大。
- IV水準:過去分位で上位(例:70パーセンタイル以上)なら構築優位。
- 出来高・板厚:K1/K2/K3の板気配・出来高が十分か。スプレッドの狭さは必須。
- ストライク配置:原資産のATR(14)や過去の1σレンジとdの整合性を確認。
- 手数料:往復コストで分岐点がどれだけ遠のくかを前もって試算。
6. ポジションサイズとリスク管理
BFは限定損失ですが、ロットの積み上げで簡単に総損失が膨らむ点に注意。1トレードの許容損失(例:口座資産の0.5〜1.0%)から逆算してユニット数を決定します。ギャップダウン・ギャップアップでの期中急変に備え、IF-DONE-OCOで利益確定・損切りの自動化を検討します。
7. 期中管理:デルタ中立の維持と調整
- デルタの監視:原資産の変動で偏りが出たら、近い満期の単体オプションで軽くヘッジ。過剰ヘッジは時間価値の利点を殺します。
- IV変動:エントリー後のIV低下は評価益に寄与。逆にIV急騰は不利。イベント通過でIVが落ちる局面が理想。
- ロール:中心価格がずれ続ける場合、K2を動かす「移動BF」も選択肢。ただし約定コストとスリッページが増えます。
- 時間管理:満期が近づくほどガンマが強烈に。中心から外れた状態での持ち越しは危険度上昇。
8. 決済ルール(再現性を作る)
- 利益確定:建値比 +30%/ +50%/ +70% の段階確定、または想定最大利益の50〜70%到達で手仕舞い。
- 損切り:建値比 −50% 到達または上限損失の○割で撤退(例:−30円)。分岐点タッチ前に機械的執行が有効。
- 時間による撤退:イベント2営業日前や満期前日など、リスクに対して期待値が薄い時間帯を避ける。
9. バリエーション:アイアン・バタフライとの比較
アイアンBFはクレジット(受取)で構築し、損益の上限下限をスプレッドで挟みます。証拠金効率に優れる一方、約定の手間・流動性条件が厳しめ。板の厚い銘柄・ストライクでのみ採用を推奨します。
項目 | ロング・コールBF | アイアンBF |
---|---|---|
建玉コスト | デビット(支払) | クレジット(受取) |
最大損失 | 支払デビットに限定 | スプレッド幅−受取プレミアム |
必要資金 | 比較的少 | 保証金要件に依存 |
板条件 | 中 | 厳しめ |
10. どの相場で機能しやすいか
- レンジ相場:過去数週間の価格帯に吸着しやすい環境。中心ストライクを直近のPOC(出来高集中帯)やVWAP近傍に置く工夫が有効。
- イベント後の静穏期:決算・CPI・FOMCなどの直後でIVが急落する場面は時間価値+IV低下の二重取りが狙える。
- トレンド末期の失速:トレンドが伸び切り、ATRが縮小し始めた銘柄。
11. 実装ワークフロー(テンプレ)
- スクリーニング:出来高・IV分位・ATR/価格比で候補抽出。
- ストライク設計:中心K2を現値±0.0〜0.3σ、幅dは1.0σ×○割。
- 見積もり:最大利益・最大損失・分岐点・期待RR(報酬/リスク比)を計算。
- 約定戦術:板に指値を分割投入(例:40%→30%→30%)。
- 期中管理:ΔとIVを監視、イベント日程でリスク圧縮。
- 決済:事前のルール通り。裁量上乗せは記録して検証。
12. 価格シナリオ別の損益シミュレーション
前掲の例(コスト50円・d=200円)で、満期における原資産STが以下の水準に着地したと仮定:
S_T | 判定 | 概算損益 | コメント |
---|---|---|---|
9,700円 | 下側分岐点より下 | −50円 | 最大損失に近い |
9,900円 | 分岐点〜K2の間 | −50円→+150円に向け逓増 | 中心接近で急速にプラス化 |
10,000円 | K2 付近 | +150円(理論最大) | 理想着地 |
10,100円 | K2〜上側分岐点の間 | +150円→−50円に逓減 | 中心から離れるほど利益縮小 |
10,300円 | 上側分岐点より上 | −50円 | 最大損失に近い |
期中は時間価値とIV変動の影響で評価額が変動します。K2近傍で時間が経つほど利益確定の好機が増えます。
13. よくある失敗と回避策
- IVが安いときに買ってしまう:中心の売り値が伸びず、分岐点が遠のく。IV分位の確認をルーチン化。
- イベント直前に保有:一方向の跳ねで山が崩壊。事前カレンダーで回避。
- 板が薄い:スリッページで理論が毀損。厚い銘柄・人気ストライクに限定。
- サイズ過大:限定損失に油断。1トレード損失上限を数式化して厳守。
14. 実行チェックリスト(コピー可)
- □ 候補銘柄の出来高・IV分位・ATR確認
- □ K1/K2/K3 のストライクと d の整合性
- □ 最大損失=許容損失×ロット 以内
- □ 指値分割の発注計画
- □ イベント前の縮小・撤退ルール
- □ 期中のΔ閾値と調整手段
- □ 利確・損切・時間撤退のルール
- □ 取引後のログ記録(下表)
日付 | 銘柄 | K1/K2/K3 | d | コスト | 分岐点 | IV分位 | 結果 | 所見 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
15. 上級者ノート:非対称BF・期限構造の利用
等間隔にこだわらず、非対称(unbalanced)にすることで相場観を織り込めます。たとえば上方向のリスクに厚く備えるなら、K3側の距離を広げてコスト増と引き換えに安全域を拡大。期限構造(term structure)では、短期高IV・中期低IVの局面で、短期側の中心売りを活かす設計が有効です。
16. まとめ
バタフライスプレッドは、「価格が中心に収束する」「IVが下がる」という二つの仮説が同時に成り立つ局面で、小さなコストで限定損失・大きめのリワードを狙える戦略です。約定コスト・イベント・IV水準・サイズ管理の4点を機械化し、同一ルールで繰り返すことで再現性が上がります。
付録:実務Q&A
Q1: どの程度のIV分位を目安にすべき?
A1: 過去1年の銘柄別IVR/IVPで70%以上を目安。板厚が十分なら60%台でも可。
Q2: 中心ストライクは常にATM?
A2: レンジの重心に合わせるのが原則。POCやVWAP、直近高安の中央値などを併用。
Q3: 期中のΔ調整はどの程度?
A3: 原則は「最小限」。±0.15を超えたら単体オプションで微修正、±0.30超は縮小検討。
Q4: アイアンBFとロングBFの使い分けは?
A4: 証拠金効率と板条件で選択。流動性が薄い銘柄はロングBFが無難。
Q5: ロールは有効?
A5: 有効だがコスト増。ロール回数をルール化(最大1回など)して期待値を崩さない。
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