相場に「勝つ」より先に、まずは「振られない」ポジション設計が要です。本稿ではベータ値を軸にした簡易ヘッジと、ベータ・ニュートラルに近い構成でアルファを狙う実践的方法を、初心者でも再現できる手順でまとめます。数式は最小限、Excelで回せるレベルに落とし込み、具体的なポジション例・チェックリスト・落とし穴まで一気通貫で解説します。
この記事で得られること
- ベータ値の意味と限界が直感的にわかる
- Excelだけでベータ値を推定し、ヘッジ比率を算出できる
- 市場下落時のドローダウンを抑える簡易ヘッジをすぐ構築できる
- ロングとショートを組み合わせたベータ・ニュートラル設計のコツが掴める
- 実運用で効くコスト、再推定の頻度、執行ミスの防ぎ方が明確になる
ベータ値とは何か―「市場に対する感度」
ベータ値(β)は、個別資産のリターンが市場インデックス(例:TOPIX、S&P 500)に対してどれだけ敏感かを示す係数です。β=1なら市場と同程度、1.2なら市場の1.2倍動き、0.7なら市場の7割程度のボラティリティで動きがち、という直感で構いません。重要なのは、βは「過去データから推定した平均的な関係」であり、将来も必ず同じとは限らないという点です。
ベータの推定方法(Excel/無料データでOK)
準備はシンプルです。個別銘柄と市場インデックスの価格系列(終値)を同じ日付で揃え、対数リターンまたは単純リターンを計算します。週次あるいは日次で十分ですが、ノイズを減らしたいなら週次がお勧めです。
- 価格データを縦に並べる(同じ日付で揃える)。
- 隣の列でリターンを計算(例:
=(B3/B2)-1もしくは=LN(B3/B2))。 - 銘柄リターンを
Y、市場リターンをXとして、ExcelのSLOPE(Y,X)でβを求める。 - 切片(アルファ)が欲しければ
INTERCEPT(Y,X)、決定係数(当てはまり)ならRSQ(Y,X)。
推定期間は1〜3年の週次がバランス良い目安です。短すぎるとノイズ、長すぎると相場体質の変化を取り逃します。移動窓(ローリング)で定期的に再推定し、βが崩れていないかを監視しましょう。
ヘッジ比率の考え方
基本式は次の通りです。
ヘッジ売りノーション = ロング資産の時価 × (β_ロング / β_ヘッジ対象)
例えば、β=1.2の個別株を100万円ロングし、市場ヘッジにβ≈1.0のインデックス(ETF/先物)を使うなら、120万円相当をショート(または売り建て)すれば、市場方向(ベータ)を概ね相殺できます。ヘッジ先がβ=0.9なら、100万円×(1.2/0.9)=約133万円分のショート、という具合です。
実例①:米国株ロングをSPY(または先物)でヘッジ
仮に米国成長株Aを100万円分ロング、推定β=1.3とします。ヘッジにはS&P500連動のETF(β≒1)や株価指数先物を用います。式よりショートは約130万円相当。ETFなら株数で、先物ならティックバリューと建玉の最小単位から過不足の少ないサイズに丸めます。配当や逆日歩、信用金利は必ず見積もること。コストが高すぎるとヘッジの意味が薄れます。
実例②:日本株ロングをTOPIX連動ETFでヘッジ
国内の大型株Bを150万円ロング、β=0.8。ヘッジ先にTOPIX連動ETF(β≒1)をショートします。必要ノーションは 150万×(0.8/1.0)=120万円。βが1未満なので、ロングの市場感度はもともと低め。過剰ヘッジはリスク方向を逆転させるので、定期的なβの再推定と残存誤差の観察が重要です。
実例③:ベータ・ニュートラルのペアトレード
同業種の銘柄C(β=1.1)をロング、銘柄D(β=0.9)をショートして、市場方向を打ち消します。資金100万円をそれぞれに配分するのではなく、βで重み付けしてロングとショートのノーションを調整します。例えば、βの比が 1.1:0.9 なら、ショート側はやや小さく、ロング側をやや大きくする等、合成後のポートフォリオβを0に近づけます。残るのは主に銘柄固有要因(アルファ)です。
どこで儲けるのか:超過リターンの源泉
ヘッジ自体は収益源ではなくリスク制御です。利益の源泉は、(1) 個別株のアルファ(業績サプライズ、バリュエーションの是正、需給の偏り修正)、(2) ペア間の一時的な乖離の収束、(3) セクター内ローテーションの読み、など。市場が急落してもヘッジでダメージを圧縮できれば、意思決定の継続性が保たれ、勝ち筋を粘り強く追えます。
計測と管理:βは「生き物」
βは時間とともに変化します。イベント(決算、規制、マクロショック)で構造が変わることも珍しくありません。最低でも月次、理想は週次でローリング推定し、ヘッジ比率を微調整しましょう。取引コストとのトレードオフもあるため、再バランスの閾値(例:目標βから±0.2乖離など)を決めて運用するのが現実的です。
実務で効くExcel手順(最小セット)
- データ取得:銘柄終値とインデックス終値を同日付で揃える(週末終値で週次推奨)。
- リターン列を作る:
=LN(当週終値/前週終値)。 - β推定:
=SLOPE(銘柄リターン列, 市場リターン列)。 - 決定係数で当てはまり評価:
=RSQ(銘柄リターン列, 市場リターン列)(低すぎる場合、ヘッジ残差が大きくなる)。 - ヘッジ比率算出:
ロング時価×(β_ロング/β_ヘッジ)を別セルで自動算出。 - コスト見積:信用金利、貸株料(逆日歩)、配当相当額、スプレッド、手数料を月次年率換算で洗い出す。
コストと落とし穴
- 借株・信用金利・資金調達コスト:短期金利上昇局面では無視できない。建玉期間に比例して効く。
- 配当・分配金:ショート側では支払いになる場合がある。権利落ちの影響も要確認。
- 為替リスク:海外資産を扱うなら、βは国内通貨建てで推定し、必要に応じて為替ヘッジも検討。
- βの非線形化:急騰・急落局面では回帰関係が歪む。イベント前後はサイズを落とす判断も。
- 先物・CFDのロール:期近交代でコストが発生。ヘッジ連続性の確保が必要。
ペアの見つけ方(再現性重視)
- 同業種・同サプライチェーンから選ぶ(ファンダの地合いが近く、βの安定性が高い)。
- 週次リターンで相関・β・RSQをざっと確認(RSQが一定以上ある組を優先)。
- 「過去1〜3年のスプレッド」がレンジ回帰する組に注目。レンジ上端でショート、下端でロングなど。
- ニュース・決算で構造的変化が起きたペアは除外(β崩れの典型)。
バックテスト(紙でもできる)
難しく考える必要はありません。ローリングでβを更新しながら、当時点のβに基づいて翌週1回だけリバランスする簡易ルールで十分です。評価指標は、(1) トータルリターン、(2) 最大ドローダウン、(3) リターン/ドローダウン、(4) 月次勝率、(5) 取引回数とコスト影響。勝ち方より負けにくさを重視した評価が、リアル資金では生き残りやすい設計になります。
執行とリスク管理
- 注文同時化:ロングとショートをできるだけ同時に約定させ、価格ずれを抑える。
- サイズ・ガードレール:単一銘柄へのエクスポージャを口座時価の20%以内、など上限を明文化。
- ストップと解消条件:βが閾値を超えて崩れたら一旦解消。イベント(決算・政策)前はサイズ縮小。
- 記録:毎週、β、RSQ、ヘッジ比率、含み損益、コスト見積をシートに記録し、「崩れていないか」だけを見る。
よくある誤解と対処
Q. β=0だから完全に無風?
A. いいえ。βは線形近似です。残差リスク(個別ニュース、流動性、約定ずれ)は残ります。サイズを分散し、残差を許容できる範囲に抑えることが肝要です。
Q. βの推定期間は長いほど良い?
A. 長期は体質を捉えますが、直近の構造変化に鈍感になります。1〜3年の週次+ローリングが扱いやすい折衷案です。
Q. ベータ・ニュートラルは必ず儲かる?
A. いいえ。市場方向を消すだけで、アルファ源泉を持たない構成は横ばいになりがち。銘柄選択やスプレッドの回帰性など、勝つ理由を必ずセットにしてください。
実装チェックリスト(印刷推奨)
- データ頻度:週次(終値)で統一したか
- 推定窓:直近1〜3年、ローリング更新の設定をしたか
- βとRSQ:当てはまりが閾値(例:RSQ>0.2〜0.3)を満たすか
- ヘッジ比率:
ロング時価×(βL/βH)で算出しサイズを丸めたか - コスト:金利・貸株・配当・スプレッド・手数料を見積もったか
- 解消ルール:イベント前縮小、β崩れ時の一時撤退条件を明文化したか
- 記録:毎週の指標・損益を更新し、崩れの兆候を見つけているか
まとめ
ベータ値は相場の風速計です。これを利用して市場方向の影響を抑えれば、ドローダウン耐性が上がり、アルファの検証と抽出に集中できます。Excelだけで今日から始められるので、まずは小さくテストし、βの再推定とコスト管理を習慣化しましょう。勝ち筋は、「振られず継続すること」の先に生まれます。


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