物価がじわじわと上がり、金利も動き始める局面では、「不動産はインフレに強いから安心」といった一言で片付けることは危険です。同じ不動産でも、インフレ局面で強いものと弱いものがはっきり分かれます。その差を決める重要な指標の一つが「キャップレート(Cap Rate:還元利回り)」です。
キャップレートは、プロの不動産投資家やREIT運用者が当たり前のように使っている指標ですが、個人投資家にはまだ十分浸透していません。インフレ局面では、このキャップレートの理解度が「インフレを味方につけて資産を増やす人」と「名目の家賃は増えたのに、手元にほとんど残らない人」を分けることになります。
キャップレートとは何か:一行でいえば「不動産の利回り」を数値化したもの
キャップレートとは、不動産から得られる年間の純収益(賃料収入から必要経費を差し引いた金額)を、その不動産価格で割ったものです。不動産の収益性を一目で比較するためのシンプルな指標です。
基本的な計算式は次の通りです。
キャップレート = 年間純収益 ÷ 物件価格
例えば、あるワンルームマンションの年間家賃収入が90万円、管理費や修繕積立金、固定資産税などを差し引いた後の「年間純収益」が70万円、物件価格が1,400万円だとします。このときキャップレートは次のようになります。
70万円 ÷ 1,400万円 = 0.05(=5%)
この5%という数字が、その物件が生み出す「投資元本に対する利回り」のイメージです。株式でいえば配当利回り、債券でいえば利回りに近い感覚で使われます。
インフレとキャップレートの関係:金利・賃料・価格期待の三角関係
インフレ局面でキャップレートを考えるときは、次の三つの要素のバランスを意識すると理解しやすくなります。
- ① 無リスク金利(国債利回りなど)
- ② 不動産固有のリスクプレミアム(空室リスク、地域リスクなど)
- ③ 将来の賃料成長率(賃料がどの程度伸びそうか)
理論的には、キャップレートは概ね次のようなイメージで捉えられます。
キャップレート ≒ 無リスク金利 + リスクプレミアム − 期待賃料成長率
インフレが高まると、名目金利(無リスク金利)は上がりやすくなります。一方で、物価や賃金が上がることで賃料も伸びる期待が高まれば、期待賃料成長率はプラス方向に動きます。結果として「金利上昇でキャップレートは上がる方向」「賃料成長期待でキャップレートは下がる方向」という、相反する力が同時に働くことになります。
実務的には、
- 金利が急激に上がるのに賃料が追いつかない局面 → キャップレートは上昇(物件価格は下落圧力)
- 金利の上昇ペースを賃料の伸びが上回る局面 → キャップレートは低下ないし横ばい(物件価格は底堅いか上昇)
というイメージを持つと、インフレ局面での不動産市況を読みやすくなります。
インフレ局面で起こりやすい3つのパターン
ここでは、個人投資家がイメージしやすいように、簡略化した三つのパターンで考えてみます。
パターン1:賃料の伸びが金利上昇を上回るケース
たとえば都市部の人気エリアで、賃貸需要が強く、入居者の入れ替えごとに賃料を引き上げやすい物件の場合です。このような物件では、インフレで物価や給与水準が上がるにつれて、賃料もスムーズに引き上げられる可能性が高くなります。
仮に、
- 金利が年1%上昇する
- 賃料は年3%伸びる
という状況であれば、不動産から得られるキャッシュフローはむしろ改善する可能性があります。キャップレートの理論式でいえば、「期待賃料成長率」が大きくなり、キャップレートを押し下げる方向に働きます。その結果、物件価格は下がりにくく、むしろ上昇することもあります。
パターン2:賃料と金利が同じくらいのペースで動くケース
住宅需要は堅調だが、賃料引き上げ余地はそこまで大きくないエリアでは、金利と賃料が似たようなペースで上昇することがあります。この場合、キャップレートは大きくは動かず、物件価格も横ばい圏になりやすいです。
ただし、ローンを使っている投資家にとっては、賃料の伸びよりも金利支払いの増加ペースがやや早いと、手残りのキャッシュフローが圧迫されるリスクがあります。同じキャップレートでも「レバレッジをどの程度かけているか」によって、投資家の体感は大きく変わります。
パターン3:賃料の伸びが金利上昇に追いつかないケース
人口が減少している地域や、競合物件が多く供給過剰になっているエリアでは、インフレ局面でも賃料を十分に上げられないことがあります。この場合、金利だけが先に上がり、賃料はあまり増えず、キャップレートは上昇方向(=物件価格は下落方向)に動きやすくなります。
こうしたエリアの不動産は「インフレに強い」とは言い難く、インフレ局面でこそ選別される資産になります。個人投資家としては、インフレ局面ほど「賃料改定余地」と「エリアの需給」を慎重に見る必要があります。
個人投資家がチェックすべき具体的な指標
インフレ局面でキャップレートを使いこなすために、個人投資家がチェックしておきたい指標を整理します。
- 長期金利:10年国債利回りなど。無リスク金利のベースになります。
- 住宅・家賃関連指数:公的統計や民間の家賃指数。自分が投資を考えるエリアの賃料トレンドを確認します。
- 銀行の不動産ローン金利:実際に借りられる金利水準。固定か変動か、スプレッドの動きも重要です。
- REITの分配金利回り:同じ用途の不動産を保有するREITの利回り水準は、マーケット全体の期待キャップレートの参考になります。
これらを組み合わせて、「自分が検討している物件のキャップレートは割高か割安か」「金利上昇に対して賃料はどの程度伸びそうか」を考えていきます。
キャップレートを使った物件評価:具体的なステップ
インフレ局面での不動産投資を検討する際に、キャップレートを使って物件を評価する簡単なステップを示します。
ステップ1:年間純収益を見積もる
まず、購入を検討している物件の年間家賃収入と、そこから差し引くべき経費を洗い出します。
- 年間家賃収入(満室想定+ある程度の空室を織り込む)
- 管理費・共益費(オーナー負担分)
- 修繕積立金・将来の大規模修繕費の積立
- 固定資産税・都市計画税
- 保険料
- その他ランニングコスト
これらを差し引いたものが「年間純収益」です。インフレ局面では、修繕費や保険料も上がりやすい点に注意が必要です。
ステップ2:現在のキャップレートを計算する
年間純収益が80万円、物件価格が1,600万円だとすると、キャップレートは次の通りです。
80万円 ÷ 1,600万円 = 0.05(=5%)
この5%という数字を、同エリア・同用途の他の物件やREITの利回りと比較し、「高すぎないか」「低すぎないか」を見ていきます。
ステップ3:インフレを織り込んだ将来のキャッシュフローをざっくりイメージする
次に、インフレを前提に「賃料は年間何%くらい伸びそうか」「修繕費や保険料はどの程度増えそうか」をざっくりとシナリオで考えます。
- 賃料:年間1〜3%程度の伸び
- 経費:賃料よりやや高いペースで増える可能性も
- 金利:変動金利の場合は上昇余地を多めに見ておく
ここで重要なのは、すべてを精密に予測することではなく、「賃料の伸び > 金利と経費の増加」になりそうかどうかを感覚的に抑えることです。
わずかなキャップレートの差がリターンを大きく変える
キャップレートは数字としては数%の違いに見えますが、インフレ局面ではこのわずかな差が長期のリターンを大きく左右します。
例えば、同じ1,500万円の物件で、キャップレートが4%の物件と6%の物件を比較してみます。
- 4%の物件:年間純収益 60万円
- 6%の物件:年間純収益 90万円
差額は年間30万円です。10年間保有すれば、単純計算で300万円の差になります。インフレで賃料が徐々に伸びると、この差はさらに拡大する可能性があります。
ただし、キャップレートが高い物件は、それだけリスクも織り込まれていることが多いため、「なぜ高いのか」を必ず確認する必要があります。エリアの人口動態、築年数、将来の修繕リスクなどを丁寧にチェックすることが重要です。
レバレッジと金利の影響:インフレ局面でのローン戦略
インフレ局面の不動産投資では、「キャップレート」と「借入金利」の関係がキャッシュフローを大きく左右します。ざっくりとした考え方として、
キャップレート > 借入金利
であれば、レバレッジをかけてもキャッシュフローが出やすく、
キャップレート ≦ 借入金利
になってくると、レバレッジがむしろ負担になりやすくなります。
インフレで金利が上がると、借入金利も上昇しやすくなります。変動金利で借りている場合、当初はキャップレートと金利の差が十分にあっても、数年後にはその差が縮まり、手残りが大きく減るリスクがあります。
インフレ局面では、
- キャップレートと借入金利の「スプレッド」を常に意識する
- ローンの固定化や期間調整で金利上昇リスクをどこまで許容するか決めておく
- 賃料改定がしやすい物件を選び、キャップレートを守りやすい構造にする
といった観点が重要になります。
インフレ局面で有利になりやすい不動産の特徴
インフレに強い不動産というと、単に「不動産ならインフレに強い」と考えられがちですが、実際には次のような特徴を持つ物件の方が有利になりやすいです。
- 賃料改定頻度が高い契約形態:1〜2年ごとに契約更新があり、市場賃料に合わせた改定がしやすい物件。
- 需要が底堅いエリア:人口流入が続いている都市部、再開発エリア、交通利便性の高い地域など。
- 競合供給が限定的:新規供給が過剰でなく、空室率が安定している市場。
- インフレに連動しやすい用途:生活必需品に関連する小売りや、インフラ系に近い用途の不動産など。
これらの特徴を持つ物件は、インフレ局面でも賃料を引き上げやすく、キャップレートを維持・改善しやすい傾向があります。
REIT投資でキャップレートを意識するポイント
直接の不動産投資だけでなく、REIT(不動産投資信託)に投資する場合も、キャップレートの考え方は有効です。REITの決算資料などには、保有不動産の取得時キャップレートやポートフォリオ平均キャップレートが記載されていることがあります。
インフレ局面でREITを見る際のポイントとしては、
- 分配金利回りと、ポートフォリオのキャップレートとの関係
- 借入金利とキャップレートのスプレッド
- 保有不動産の用途別・エリア別の賃料改定余地
などがあります。たとえば、ポートフォリオの平均キャップレートが5%程度で、借入金利が1%台に抑えられている一方、分配金利回りが市場環境の変化で一時的に6〜7%まで上昇しているような局面では、「キャップレートとレバレッジ構造に大きな変化がないか」を確認しつつ、投資妙味を検討する、といったアプローチが考えられます。
インフレ局面でのキャップレート戦略チェックリスト
最後に、インフレ局面で個人投資家がキャップレートを活用する際のチェックポイントを整理します。
- 物件ごとに、年間純収益からキャップレートを必ず計算しているか。
- 長期金利やローン金利の水準と、キャップレートの差(スプレッド)を把握しているか。
- 賃料の将来の伸びと、経費・金利の増加をシナリオで考えているか。
- 賃料改定のしやすさや契約更新サイクルを確認しているか。
- エリアの人口動態や供給状況など、インフレ下での需給変化をチェックしているか。
- レバレッジをかける場合、金利上昇に対する耐性を具体的な数字で試算しているか。
- REITに投資する場合でも、キャップレートと借入金利、分配金利回りの関係を意識しているか。
インフレ局面では、「なんとなく不動産はインフレに強いから安心」と考えるのではなく、キャップレートという共通言語を使って、数字でリスクとリターンのバランスを確認していくことが重要です。キャップレートを一つの軸として、不動産投資やREIT投資の選別力を高めていくことで、物価上昇局面でも実質的な購買力を守りながら、長期的な資産形成につなげていくことができます。


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