インフレ率が高止まりする局面では、「不動産はインフレに強い」と言われます。しかし、実際に物件価格や利回り(キャップレート)がどのように動くのかを理解していないと、高値づかみをしてしまい、インフレどころか元本を削られるリスクもあります。
本記事では、インフレ局面における不動産キャップレート(Cap Rate)のメカニズムを、個人投資家でも再現しやすい数値例を用いながら丁寧に解説します。これを理解しておけば、「この利回りで買って良いのか」「インフレが続いた場合、この物件の価値はどう変化しそうか」といった判断を、感覚ではなくロジカルに行えるようになります。
キャップレートとは何か――インフレ以前の基礎整理
キャップレート(Cap Rate)は、不動産投資の収益性をシンプルに表す指標で、一般に次のように定義されます。
キャップレート = 純営業利益(NOI) ÷ 物件価格
純営業利益(NOI)は、満室想定賃料から空室損や運営費・修繕費などを差し引いた、金融費用前のキャッシュフローです。ローン返済前の「物件そのものの稼ぐ力」と考えるとイメージしやすいです。
例えば、年間NOIが100万円の物件を2,000万円で購入した場合、キャップレートは「100万円 ÷ 2,000万円 = 5%」になります。この5%という数字は、債券でいう利回りに近い感覚で、市場の投資家がその物件にどの程度の収益性を求めているかを示します。
重要なのは、キャップレートは「利回り」であると同時に、「割引率」「期待リターン」の役割も持つという点です。キャップレートが下がると同じキャッシュフローでも価格が上昇し、キャップレートが上がると価格が下落します。
インフレとキャッシュフロー:名目賃料の伸びとコスト増
インフレ局面でまず注目すべきなのは、物件が生み出すキャッシュフロー(NOI)が名目ベースでどれだけ伸びるかです。不動産は「家賃を毎年見直せる」のか、「長期固定賃料なのか」によって、インフレ耐性が大きく変わります。
典型的には次のようなパターンがあります。
- 住宅系・短期契約:1~2年ごとの更新で賃料改定が比較的しやすい。
- テナント系・長期契約:10年程度の長期賃貸借契約で、途中の賃料改定は契約条項次第。
- 物価連動・売上連動:賃料がCPI(消費者物価指数)やテナントの売上に連動して変動する。
インフレが起きても、賃料が追いつかなければNOIはほとんど増えず、光熱費・人件費・修繕費だけが上がってキャッシュフローはむしろ圧迫されます。逆に、家賃にインフレ分をある程度転嫁できれば、名目ベースのNOIは着実に増加します。
金利とキャップレート:インフレが「割引率」を押し上げる
インフレ局面では、中央銀行が金利を引き上げるケースが多くなります。金利が上がると、投資家は「無リスク資産でもそこそこの利回りが得られる」状態になるため、不動産に対してもより高い利回りを要求します。
このとき市場では、次のような「スプレッド」という考え方がよく使われます。
キャップレート = 長期金利 + リスクプレミアム
例えば、長期金利が1%で、投資家が不動産に対して3%の追加リターンを要求するなら、キャップレートは4%が一つの目安になります。ところが、インフレとともに長期金利が3%まで上がると、「3%+3%=6%程度のキャップレートが妥当ではないか」といった議論が出てきます。
つまり、インフレは「NOIの増加要因」であると同時に、「キャップレート上昇(=評価割引率上昇)」という価格下落圧力も生むのです。
インフレ局面での典型的なキャップレートの動き
インフレ局面は、大まかに以下のようなフェーズに分けて考えると理解しやすくなります。
- フェーズ1:インフレ期待の立ち上がり(物価上昇は限定的、金利はまだ低い)
- フェーズ2:実際のインフレ率上昇(賃料・コストが動き始める)
- フェーズ3:金融引き締め本格化(長期金利・キャップレートが上昇)
フェーズ1では、インフレ期待が高まる中でも金利はまだ低水準にとどまり、「不動産はインフレヘッジになる」という期待からキャップレートが低下し、価格が押し上げられることがあります。いわゆる「不動産バブル的な状態」です。
フェーズ2では、実際に生活物価や建築費、人件費が上がり始め、賃料改定が進めばNOIが増加します。ただし、賃料の上昇スピードとコスト増のスピードのどちらが速いかによって、実際のNOIの伸び方は大きく変わります。
フェーズ3で金融引き締めが本格化すると、長期金利とキャップレートが急上昇し、それまで低いキャップレートで買われていた物件の価格は調整局面を迎えます。NOIが増えていても、「割引率が跳ね上がる」ことで価格の下落圧力が勝ってしまうケースがあるのです。
数値例:インフレ局面でキャップレートと価格はどう変わるか
ここからは、具体的な数値を使ってインフレ局面のキャップレート変化をイメージしていきます。
仮に、次のようなシンプルな設定を考えます。
- 購入時点のNOI:年間100万円
- 購入時点のキャップレート:4%
- したがって購入価格:100万円 ÷ 4% = 2,500万円
この状態から、インフレと金利の変化で3つのシナリオを比較します。
シナリオ1:マイルドインフレ+金利安定
年2%程度のマイルドなインフレが続き、賃料もほぼ同程度で毎年上昇し、金利(キャップレート)は大きく動かないケースです。
- NOI成長率:年2%
- キャップレート:4%のまま
5年後のNOIは約110万円になります。このとき同じ4%のキャップレートで評価されるなら、理論価格は「110万円 ÷ 4% = 約2,750万円」です。インフレのおかげで、名目ベースの価格は緩やかに上昇していることがわかります。
シナリオ2:インフレ加速+金利上昇(キャップレート5%へ)
次に、インフレが年4%まで加速し、賃料もそれに近いペースで上昇しますが、金融引き締めによって長期金利が上昇し、キャップレートも4%から5%へと切り上がるケースを考えます。
- NOI成長率:年4%
- キャップレート:5%へ上昇
5年後のNOIは約122万円になりますが、キャップレートが5%に上昇すると、理論価格は「122万円 ÷ 5% = 約2,440万円」となります。購入時の2,500万円と比べると、名目価格はわずかに下落している状態です。
このケースでは、インフレによってNOIはしっかり増えているのに、「割引率の上昇」がそれ以上にきつかったため、価格としては報われない結果になっています。
シナリオ3:インフレ加速+賃料転嫁が不十分+金利上昇
さらに厳しいケースとして、インフレは年4%だが賃料は年2%しか上がらず、コスト増も重なってNOIの伸びが鈍い一方、金利上昇でキャップレートは5%に上がる、という状況を考えます。
- 名目インフレ率:年4%
- NOI成長率:年2%(インフレを十分に転嫁できていない)
- キャップレート:5%へ上昇
5年後のNOIは約110万円にとどまり、理論価格は「110万円 ÷ 5% = 2,200万円」です。購入時からみると、名目価格で12%の下落となります。インフレ局面でも、「賃料転嫁能力が弱い物件」を「低キャップレートで高値掴み」してしまうと、かなりの評価損を抱えかねないことがわかります。
物件タイプ別に見るインフレとキャップレートの関係
インフレ局面でキャップレートの動き方が大きく異なるのは、物件タイプごとの「賃料改定の柔軟性」と「需要の粘着性」が違うからです。代表的なパターンを整理します。
- 住宅系(ファミリー向け・単身向け)
契約期間は1~2年程度で、更新のたびに賃料改定の余地があります。ただし、家計の所得が伸びなければ賃料転嫁には限界があります。立地が良い物件ほど、家賃アップを受け入れてもらいやすく、インフレに対して相対的に強くなります。
- オフィスビル
長期契約が多く、中途での賃料見直しは契約条件次第です。景気悪化を伴うインフレ(スタグフレーション)の場合、空室率の悪化やテナント交代が起きやすく、賃料転嫁が難しくなります。その結果、キャップレート上昇圧力を受けやすいセクターです。
- 物流施設・データセンター・インフラ系
需要が構造的に強い分野では、賃料改定条項にインフレ連動の仕組みが組み込まれていることもあります。この場合、インフレが進んでもNOI成長が期待できるため、キャップレートの上昇も相対的に抑えられやすくなります。
インフレ局面でチェックすべきキャップレートの「3つの視点」
インフレ局面でキャップレートを評価する際には、次の3つの視点からチェックすることをおすすめします。
- 名目キャップレートではなく「実質キャップレート」を意識する
- 国債利回りとのスプレッドを見る
- 将来の賃料改定余地を織り込む
実質キャップレートを意識する
名目キャップレートが5%でも、インフレ率が4%なら、実質キャップレートは「5%-4%=1%」に過ぎません。逆に、名目キャップレートが4%でも、インフレ率が1%であれば実質キャップレートは3%です。
インフレが高い局面では、「数字だけ見ると高利回りに見えるが、実質的にはほとんどリターンが残らない」という物件が増えます。物件を比較する際には、必ずインフレ率を差し引いた実質ベースでの利回り感覚を持つようにしましょう。
国債利回りとのスプレッドを見る
キャップレートは、長期金利と相関が強い指標です。インフレ局面では国債利回りも上昇しますが、「不動産キャップレート-国債利回り」の差が過去と比べて十分にあるかどうかをチェックすることが重要です。
例えば、国債利回り2%の環境でキャップレート4%の物件と、国債利回り4%の環境でキャップレート5%の物件では、名目キャップレートの数字以上に、スプレッドの厚みが違います。後者はスプレッド1%しかなく、「リスクに見合うリターンか」と慎重な検証が必要です。
将来の賃料改定余地を織り込む
インフレ局面では、「現時点でのキャップレート」だけを見て判断すると失敗しやすくなります。重要なのは、将来の賃料改定余地です。
- 周辺相場と比べて賃料が割安か
- 入居者属性的に賃料アップを受け入れやすいか
- 契約形態として賃料改定の余地が確保されているか
これらを定性的・定量的に確認したうえで、「数年かけて賃料・NOIをどこまで引き上げられそうか」をシミュレーションすることで、インフレ局面でも理にかなったエントリーポイントを探しやすくなります。
インフレ局面で使える簡易シミュレーションの考え方
個人投資家がエクセルなどでできるシンプルなシミュレーション手順をまとめておきます。
- 現在のNOIとキャップレートから「現在の理論価格」を計算する。
- 向こう5~10年の賃料成長率とコスト増加率を仮定し、年ごとのNOI推移を試算する。
- 金利シナリオごとに将来キャップレート(出口キャップレート)を設定する。
- 出口時点のNOI ÷ 出口キャップレートで将来の理論価格を計算する。
- 購入価格と比較し、年平均のリターン(IRRイメージ)をざっくり把握する。
ここで重要なのは、「出口キャップレートをインフレと金利上昇を反映して保守的に置く」ことです。楽観的に低い出口キャップレートを設定すると、インフレ局面の価格調整リスクを過小評価してしまいます。
インフレ局面特有のリスクと落とし穴
インフレ局面で不動産投資を行う際、よくある失敗パターンを整理します。
- インフレヘッジを過信し、高値の低キャップレートで購入してしまう。
- 賃料転嫁能力を過大評価し、NOI成長を楽観的に見積もる。
- 修繕費・建築費・金利上昇によるキャッシュフローマージンの悪化を軽視する。
- ローン返済負担の増加(変動金利)を十分に織り込まない。
特に、変動金利ローンを使ってレバレッジを効かせている場合、金利上昇によるキャッシュフロー悪化は非常に大きなリスクになります。インフレ局面では、「物件価格」「NOI」「金利」の3つが同時に動くため、どの要因に一番敏感なのかを事前に把握しておくことが重要です。
インフレ局面のキャップレート戦略:個人投資家が取れるアプローチ
最後に、インフレ局面でキャップレートを味方につけるための実務的なアプローチをまとめます。
- 無理に「今すぐ買う」必要はない。キャップレート調整を待つ選択肢も持つ。
- 割安な賃料水準の物件を探し、「賃料アップ余地」を軸に投資判断をする。
- インフレ連動性の高い賃料構造(売上連動・指数連動)の物件に注目する。
- 金利上昇局面では、レバレッジを抑え、キャッシュフローの安全マージンを厚めに取る。
- 国債利回りやクレジットスプレッドの動きを定期的にチェックし、「期待キャップレート」の変化を意識する。
インフレ局面の不動産投資は、「とりあえず不動産だから安心」という発想ではなく、「キャップレート=割引率」「NOI=インフレ転嫁力」という2つの軸で冷静に分析することが鍵になります。
この視点を身につけておけば、物件広告に書かれた表面利回りや、過去の価格推移に惑わされることなく、「今の価格・この利回りはインフレ環境を踏まえて妥当か」を自分の頭で判断できるようになります。
結果として、インフレ局面の荒い波の中でも、キャッシュフローと資産価値を守りつつ、長期的なリターンを狙うことが可能になります。


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