株価指数への長期投資は、もっともシンプルで合理的な投資手法のひとつです。しかし、どれだけ優良なインデックスでも、景気後退や金融ショックの局面では、大きなドローダウン(評価損)を避けることはできません。
そこで本記事では、値動きの非常に小さい短期国債(T-Bills)と株価指数を組み合わせて、相場の転換点でドローダウンを抑えつつ、上昇相場のリターンも取りに行く「相場転換ヘッジ戦略」について解説します。
難しいデリバティブやレバレッジを使うのではなく、「株価指数ETF」と「T-Bills(またはそれに相当する短期債ETF・MMF)」を組み合わせるだけの、シンプルな発想の戦略です。
短期国債(T-Bills)とは何か
まず、この戦略の片側となる短期国債(T-Bills)について整理します。T-Billsは、満期が1年以内のごく短期の国債で、代表例として米国の3か月物・6か月物・1年物の米国短期国債が挙げられます。
特徴は大きく3つあります。
1つ目は「価格変動が小さい」ことです。満期が近く、金利変動の影響を受けにくいため、長期債と比べて価格の上下が小さくなります。満期まで保有すれば、基本的には額面と利息が確定しているため、株式や長期債と比べて安定度が高い資産とみなされます。
2つ目は「金利水準を素直に反映する」という点です。短期金利が引き上げられれば、T-Billsの利回りも比較的素直に上昇します。逆に、政策金利が引き下げられれば、T-Billsの利回りも低下します。つまり、短期金利サイクルに連動した「キャッシュに近い運用先」として機能します。
3つ目は「流動性が高い」ことです。米国のT-Billsは世界でもっとも取引量の多い安全資産の一つであり、ETFやMMF(マネー・マーケット・ファンド)を通じて個人投資家もアクセスしやすくなっています。
このように、T-Billsは「現金より少し利回りが高く、値動きはかなり落ち着いている」という性格を持つため、株式のリスクを緩和するヘッジ用資産として非常に扱いやすい存在です。
株価指数投資と相場転換リスク
次に、株価指数側の話です。S&P500やNASDAQ、日経225、TOPIXといった株価指数は、長期的には右肩上がりのリターンを期待できる一方で、短期的には大きく上下に振れます。
特に問題となるのは、「上げ相場から下げ相場に切り替わる局面」、いわゆる相場の転換点です。多くの長期投資家は、この転換点で大きなドローダウンを経験し、心理的に耐えられずに安値で売ってしまうという失敗を繰り返します。
極端な例として、リーマンショック時やパンデミック初期の急落相場では、株価指数が数か月で30〜50%下落することもありました。長期的には回復しているとはいえ、途中の含み損が大きすぎると、投資を継続すること自体が難しくなります。
そこで、「相場の転換点の兆候が見えたときに、株式比率を一時的に落として短期国債に逃がす」という発想が出てきます。これが、本記事で紹介するT-Bills+株価指数の相場転換ヘッジ戦略の出発点です。
T-Bills+株価指数の相場転換ヘッジの基本アイデア
この戦略の基本は非常にシンプルです。
・上昇トレンドが明確なときは、ポートフォリオの多くを株価指数に配分する
・トレンドが弱まり、下落トレンドへの転換が疑われるときは、株の比率を落としてT-Billsの比率を高める
つまり、「株式100% ⇔ T-Bills多め」の間を、シグナルに応じて行き来するだけです。
ここで重要なのは、個別銘柄を当てにいく戦略ではなく、「株価指数」という広く分散された市場全体への投資を前提にしている点です。個別株の選別が不要なため、初心者でもルールさえ決めてしまえば、感情を挟まずに運用しやすくなります。
また、T-Billsは値動きが小さく利回りも一定程度期待できるため、「完全な現金ポジション」よりも効率的に待機資金を置いておくことができます。これにより、下落局面でのダメージを抑えつつ、次の上昇相場に備えることが可能になります。
シンプルな売買ルール設計例
相場転換を完全に当てることは不可能ですが、「大きな流れ」をざっくりと捉える目安を作ることはできます。そのための代表的な指標として、移動平均線があります。
例:200日移動平均線を使ったトレンド判定
株価指数が200日移動平均線より上にあるときは長期上昇トレンド、下にあるときは長期下落トレンドとみなす、という古典的なアプローチです。これをT-Billsとのヘッジ戦略に組み込むと、例えば次のようなルールが考えられます。
・株価指数(例:S&P500)が200日移動平均線より5%以上上にあるとき:
株式:T-Bills=80:20
・株価指数が200日移動平均線付近(±5%以内)にあるとき:
株式:T-Bills=50:50
・株価指数が200日移動平均線より5%以上下にあるとき:
株式:T-Bills=20:80
このように、トレンドが強い上昇局面では株式比率を高くし、トレンドが崩れたら徐々にT-Billsに逃がしていくイメージです。シグナル判定を毎日行う必要はなく、月1回〜四半期に1回程度の見直しでも「大きな流れ」に乗るという目的には十分です。
ボラティリティ指標を組み合わせる応用例
より発展的には、移動平均線に加えてボラティリティ指標(例:VIXや指数の標準偏差)を取り入れることもできます。たとえば、次のような考え方です。
・株価指数が200日線を下回り、かつボラティリティが過去1年平均より高い
→相場の不安定さが増していると判断し、T-Bills比率をさらに高める
こうすることで、「なんとなくトレンドが怪しい」だけでなく、「実際に値動きが荒くなってきている」という状況まで考慮したヘッジが可能になります。
具体的なポートフォリオ構成例
ここからは、より具体的なポートフォリオ例を考えてみます。あくまでイメージを掴むための一例であり、特定の銘柄を推奨するものではありません。
例1:米国ETFを使ったシンプル構成
・株価指数側:S&P500連動ETF(例:VOOやIVVなど)
・短期国債側:米国T-Billsに投資するETF(例:BILなど)
ポートフォリオ全体を100としたとき、上で示したルールに従って、株式ETFとT-Bills ETFの比率を切り替えます。例えば、長期上昇トレンド時はVOO80・BIL20、下落トレンド時はVOO20・BIL80、といったイメージです。
運用者が日本在住で米ドル建て資産を保有する場合、為替リスクも同時に抱えることになります。そのため、為替ヘッジありのファンドを使うかどうか、あるいはポートフォリオ全体で為替エクスポージャーをどうコントロールするか、といった観点も併せて検討することが重要です。
例2:日本の投資信託・MMFを組み合わせるイメージ
米国ETFに直接投資せず、日本の投資信託や外貨建てMMFを通じて同様の構造を作ることも可能です。
・株価指数側:先進国株や米国株インデックスファンド
・短期国債側:米ドル建て短期公社債ファンドや外貨MMF
この場合も、「株式インデックス」と「短期債・MMF」を組み合わせるという構造は同じです。利用している金融商品の目論見書やリスク説明をよく読み、短期債側のファンドがどの程度の期間の債券を保有しているのか、信用リスクや為替リスクをどの程度引き受けているのかを把握することが重要です。
相場局面ごとのシナリオとイメージ試算
次に、この戦略がどのような局面で効いてくるのか、簡単な数値例でイメージしてみます。ここでは説明を分かりやすくするために、かなり単純化した前提を置きます。
前提:
・初期資産:100万円
・株価指数の年次リターン:
1〜2年目:+15%(上昇局面)
3年目:-30%(下落局面)
・T-Billsの年次リターン:常に+4%と仮定
戦略A:株価指数100%を買いっぱなし
・1年目:100万円→115万円
・2年目:115万円→132.25万円
・3年目:132.25万円→約92.6万円(-30%)
3年後には、初期の100万円が約92.6万円まで減っています。長期的に保有し続ければいずれ回復する可能性もありますが、3年目で30%の下落をそのまま食らうことになります。
戦略B:T-Billsヘッジを伴う相場転換戦略
仮に、1〜2年目の上昇局面では株式80%・T-Bills20%、下落局面と判断した3年目には株式20%・T-Bills80%に切り替えたとします。
1年目:
・株式部分:80万円→92万円(+15%)
・T-Bills部分:20万円→20.8万円(+4%)
合計:112.8万円
2年目:
・株式部分:112.8万円×80%=90.24万円→103.78万円(+15%)
・T-Bills部分:112.8万円×20%=22.56万円→23.46万円(+4%)
合計:約127.24万円
3年目(株式20%・T-Bills80%に切り替え):
・株式部分:127.24万円×20%=25.45万円→約17.82万円(-30%)
・T-Bills部分:127.24万円×80%=101.79万円→約105.86万円(+4%)
合計:約123.68万円
もちろん、実際の相場ではここまで都合よく「上昇2年、下落1年」といった形になるとは限らず、下落局面を完全に当てることもできません。それでも、このような構造を持っておけば、「全面株式100%」と比べて、相場転換時のダメージをかなり抑えられることが分かります。
実務面での注意点:コスト・税金・商品選び
この戦略を実際に運用するうえでは、いくつか注意点があります。
1つ目は「売買コストと信託報酬」です。株価指数ETFもT-Bills ETFも、商品によって信託報酬の水準が異なります。さらに、頻繁にリバランスを行うと売買手数料やスプレッドのコストも積み上がります。あくまで「大きなトレンドの変化」に絞って、過剰な売買回転を避けることが重要です。
2つ目は「税金」です。配当や分配金、売却益には税金がかかります。どの口座(一般口座・特定口座・NISAなど)を使うかによって、税務上の取り扱いが異なります。税制は頻繁に変わる可能性があるため、最新の制度やルールについては、必ず公的な情報源や金融機関の説明資料を確認する必要があります。
3つ目は「商品ごとのリスクの違い」です。短期債ファンドやMMFとひとくちに言っても、保有している債券の期間や信用リスクは商品によって異なります。目論見書や運用報告書を読み、「どのような債券に投資しているのか」「どの程度の信用リスクをとっているのか」を確認することが重要です。
初心者が陥りやすい落とし穴と回避策
この種のヘッジ戦略で初心者が陥りやすい落とし穴は、「シグナルを頻繁にいじりすぎる」ことです。日々のニュースや短期的な値動きに影響されて、株式⇔T-Billsの比率をコロコロ変えてしまうと、逆にリターンを損なう原因になります。
相場転換ヘッジの目的は、「一度の大きな下落で致命的なダメージを受けないようにする」ことであって、「短期的な上下をすべて取りに行く」ことではありません。シグナルは、月に1回〜四半期に1回程度の頻度で冷静に確認し、ルールに従って淡々とリバランスする、というスタンスが重要です。
また、「一度ルールを決めたら、しばらくは変えない」ことも大切です。運用を開始してすぐに結果が出ないからといって、シグナル条件や比率を次々に変更してしまうと、どのやり方が機能しているのか、検証のしようがなくなってしまいます。
段階的な導入ステップ
最後に、この戦略を実際に取り入れるためのステップを整理します。
ステップ1:現状の資産配分を把握する
まず、自分のポートフォリオにおいて、株式・債券・現金がどの程度の比率になっているかを整理します。すでに債券ファンドを保有している場合、その中に短期債がどの程度含まれているかも重要です。
ステップ2:利用可能な商品を調べる
自分が利用している証券会社や銀行で、どのような株価指数ファンドや短期国債ファンド、MMFが利用可能かを確認します。それぞれの商品概要や目論見書、コスト、リスクをチェックし、候補を絞り込みます。
ステップ3:シグナルと比率ルールを決める
「どの指標を使って相場のトレンドを判断するか」「トレンドごとに株式とT-Billsを何対何にするか」をあらかじめ決めておきます。最初はシンプルに、200日移動平均線だけを使い、3パターン程度の比率ルールから始めると分かりやすいです。
ステップ4:少額で試す
いきなり資産全体で運用を始めるのではなく、まずはポートフォリオの一部(たとえば10〜20%程度)で試し、半年〜1年ほど運用してみると、自分にとっての心理的な負担や運用の手間が見えてきます。
ステップ5:定期的に振り返る
一定期間運用したら、「相場環境に対してこの戦略がどのように機能したか」「自分のリスク許容度と合っているか」を振り返ります。そのうえで、必要であればルールや比率を見直していきます。
まとめ:T-Billsは「逃げ場」であり「次のチャンスへの待機場所」
短期国債(T-Bills)と株価指数を組み合わせた相場転換ヘッジ戦略は、派手さはありませんが、「大きく勝つこと」よりも「致命的に負けないこと」を重視する発想に基づいています。
株価指数が上昇している局面では、一定の株式比率を保ちながらリターンを取りに行き、トレンドが崩れたときには、値動きの小さいT-Billsに資金を逃がすことで、ドローダウンを抑える。T-Billsは単なる逃げ場ではなく、「次の上昇相場に備えるための待機場所」として機能します。
相場の上下に振り回されず、長く投資を続けていくためには、「リスクを抑えつつ市場に居続ける仕組み」を自分なりに持っておくことが重要です。本記事の内容を参考にしながら、自分の資産状況やリスク許容度に合ったT-Bills+株価指数の組み合わせ方を検討してみてください。


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