BEIとは何か:インフレ期待を「市場価格」から逆算する
BEI(Break-even Inflation:ブレークイーブン・インフレ率)は、名目金利と実質金利の差から推計される「市場が織り込むインフレ率」です。最初に押さえるべきは、これはアンケートや政府見通しではなく、実際にお金が動いた価格から逆算される点です。相場の温度感を読む上で、BEIはかなり強い武器になります。
基本式はシンプルです。
- BEI ≒ 名目国債利回り − 物価連動国債(TIPS)利回り
たとえば、米国10年名目国債利回りが4.2%、10年TIPS利回りが1.9%なら、BEIは約2.3%です。これは「今後10年平均で約2.3%のインフレが起きるような価格になっている」と市場が言っている、という読み方になります。
注意:BEIは「純粋なインフレ期待」ではない
BEIは便利ですが、万能ではありません。BEIには少なくとも次の要素が混ざります。
- 期待インフレ(本来見たいもの)
- インフレ・リスクプレミアム(インフレ不確実性への上乗せ)
- 流動性プレミアム(TIPS側の流動性が劣る局面で歪む)
- 需給要因(国債発行、年金・保険の買い、ETFフロー)
つまりBEIが上がった=必ずインフレ期待が上がった、とは限りません。だからこそ、後半で示す「分解して判断する手順」が重要になります。
なぜBEIが効くのか:株・債券・為替・コモディティをつなぐハブ指標
インフレは金利を動かし、金利はバリュエーション(株式の割引率)を動かします。さらに、インフレは為替(実質金利差)やコモディティ(名目価格)にも直結します。BEIは、その起点となる「インフレ期待」を市場価格から即時に抽出できるため、複数資産を横断した判断の軸になります。
実質金利と株式の関係:なぜTIPS利回りを見るのか
名目金利は「実質金利+インフレ期待」です。株式の理屈上の重心を動かすのは、名目金利よりも実質金利(TIPS利回り)であることが多いです。実質金利が上がる局面は、将来キャッシュフローの割引が厳しくなり、長期成長株に逆風になりやすい。一方でBEIが上がるだけで実質金利が横ばいなら、いわゆる「名目成長(インフレ+実質成長)期待」局面として、景気循環株や資源株が優位になりやすい。
だからBEIを使う時は、必ず「名目金利」「TIPS利回り(実質金利)」「BEI」を三点セットで見ます。
BEIの読み方:3ステップの実務フレーム
ステップ1:期間を選ぶ(2年・5年・10年で意味が変わる)
BEIは年限で意味が変わります。短期は政策やエネルギーに引っ張られ、長期は制度や信認に影響されます。
- 2年BEI:足元のインフレ、ガソリン・食料、政策の即効性を反映しやすい
- 5年BEI:景気循環と金融政策の中心(市場が最も気にしやすい)
- 10年BEI:長期の物価目線、財政・生産性・人口動態、中央銀行への信認
初心者が最初に触るなら「5年」と「10年」を優先し、短期のノイズに振り回されないことが現実的です。
ステップ2:BEIの変化を分解する(BEI↑でも意味が逆になる)
同じBEI上昇でも、名目金利と実質金利のどちらが動いたかで、マーケットの文脈が変わります。
ケースA:BEI↑、実質金利↓(または横ばい)
「インフレ期待が上がったが、実質の引き締めは進んでいない」状態です。市場は名目成長を歓迎している可能性があり、株式全般にとっては追い風になりやすい局面です。資源・金融・バリューが相対的に強くなることが多い一方、極端なインフレ再燃だと後で政策が追いついて実質金利も上がるため、追随は慎重に。
ケースB:BEI↑、実質金利↑(名目金利はそれ以上に↑)
「インフレも織り込むが、同時に引き締め(または実質成長)も織り込む」状態です。ここは難所で、株はセクター間の格差が大きくなりやすい。短期では金利高に弱い領域(高PERの長期成長株)が圧迫され、相対的にキャッシュフローが早い銘柄、財務が強い銘柄、価格転嫁力のある銘柄が優位になりやすい。
ケースC:BEI↓、実質金利↓(名目金利も↓)
「景気不安・ディスインフレ懸念」局面です。株は一時的に金利低下で持ち直すこともありますが、利益予想が下方に引っ張られやすい。債券は追い風になりやすい一方、クレジット(社債スプレッド)に警戒が必要です。
ケースD:BEI↓、実質金利↑
「引き締めが効いてインフレが沈むが、実質の負担が重い」状態です。最も株に厳しくなりやすい組み合わせの一つです。ここは守りが必要で、キャッシュ比率、短期債、ディフェンシブの比率を上げるなど、ポジション管理が重要になります。
ステップ3:しきい値でルール化する(感覚ではなく運用)
BEIは「上がった/下がった」で語ると、必ずノイズに負けます。そこで、運用ルールとしては次が扱いやすいです。
- 5年BEIが一定幅(例:0.20〜0.30pt)以上、短期間で動いたら「レジーム変化」とみなす
- 10年BEIが中期で上昇トレンドなら、ポートフォリオにインフレ耐性枠(資源・短期TIPS・バリュー)を常設
- BEIの変化と同時に、実質金利の方向が逆ならリスクを小さくする(だまし対策)
ポイントは「勝ちに行くより、やられない」です。BEIは先行指標として使える反面、誤差要因があるため、ルール化で過剰反応を抑えます。
具体例1:FOMC前後でBEIが動いたときの読み替え
金融政策イベント前後は、名目金利と実質金利が別方向に動くことがあります。ここでBEIを挟むと「市場が何を怖がっているか」が見えます。
例えば、FOMC後に名目金利が低下したのにTIPS利回りがあまり下がらず、結果としてBEIが低下した場合、これは「成長鈍化・需要減速」を市場が強く織り込んだ可能性が高い。こういう局面では、株の反発があっても追いかけるより、債券やディフェンシブを厚めにする方が合理的です。
逆に、名目金利が横ばいでもTIPS利回りが下がってBEIが上がるなら、政策の信認が維持されつつ、インフレが粘る(あるいはエネルギーショック)を織り込んだ形です。この場合は「物価上振れに強い枠」を作っておくと、ポートフォリオ全体の振れが小さくなります。
具体例2:米国株のセクター配分にBEIを使う
BEIは「どの株を買うか」の直接シグナルというより、「どのタイプが優位になりやすいか」のレジーム認識に向きます。実務的には、次のような対応が分かりやすいです。
BEI上昇トレンド:価格転嫁と名目売上の恩恵
BEIがじわじわ上がる局面では、売上が名目で伸びやすい業種(資本財、エネルギー、素材、金融)や、価格転嫁力が強い業種が優位になりやすい。反対に、長期の割引率に弱い領域は、実質金利が上がるかどうかで明暗が分かれます。
BEI低下トレンド:ディスインフレ・需要鈍化を警戒
BEIが低下する局面は、需要が弱い可能性があるため、景気敏感の高ベータ領域は慎重に。ここで「金利が下がるから成長株」と短絡しないことが大切です。BEI低下が利益予想の下方修正につながるなら、バリュエーション要因の追い風を相殺します。
具体例3:債券ETF・TIPS ETFを使った「インフレ枠」の作り方
BEIを見て「当たりそうな方向に賭ける」より、インフレが外れたときのダメージを減らす設計が初心者には有効です。日本からでも米国上場ETFなどで実装しやすいので、概念だけでも整理しておきます。
インフレ枠の基本
- 名目債(例:中期〜長期国債ETF):ディスインフレに強いが、インフレ再燃に弱い
- TIPS(物価連動債ETF):インフレに連動するが、実質金利上昇には弱い
- 短期TIPS:実質金利リスクを抑えつつインフレ耐性を持たせる
運用の感覚としては、BEIが上昇トレンドで、かつ実質金利が急上昇していないなら「短期TIPSを厚め」、BEIが低下トレンドで景気不安が強いなら「名目債を厚め」にする、という切り替えが筋が通ります。
やりがちな失敗:TIPSは万能と思い込む
TIPSは「インフレ連動」なので強そうに見えますが、価格は実質金利で大きく動きます。つまり、インフレが上がっても、実質金利がそれ以上に上がればTIPS価格は下がり得る。ここを理解せずに「インフレだからTIPS一択」とすると、局面によってはストレスを抱えます。
データの取り方:誰でもできるBEIチェックの手順
難しい統計は不要です。必要なのは「同じ年限の名目利回り」と「同じ年限のTIPS利回り」です。見える化の手順は次で十分です。
- 2年・5年・10年の名目利回りを確認
- 同年限のTIPS利回り(実質金利)を確認
- 差分(名目−実質)でBEIを計算
- 直近1週間・1か月・3か月の変化幅を見る
- BEIと実質金利の方向が一致か逆かを判定
これだけで「インフレが怖いのか」「景気が怖いのか」「政策が怖いのか」の切り分け精度が上がります。
BEIを使った売買アイデア:狙うより、配置を変える
ここから先は、売買のヒントとしての「使い方」です。特定銘柄の推奨ではなく、意思決定の型として捉えてください。
アイデア1:BEI上昇+実質金利横ばい=名目成長レジーム
この組み合わせは、インフレを織り込みつつも実質負担が増えていないため、株のリスク許容度が落ちにくい。ここで意識するのは、「価格転嫁できる企業」と「バリュー寄りのキャッシュフロー」です。資源、金融、インフラ、生活必需の強者など、指数の中でも差が出やすいところに寄せます。
アイデア2:BEI低下+実質金利低下=防御と債券の質
景気不安が強い可能性があるため、株で無理に取り返しに行くと、下げ相場のボラに巻き込まれます。ここは、債券のデュレーション(期間)を意識しつつ、クレジットリスクを取りすぎないことが重要です。BEI低下が「ディスインフレ」か「景気後退」かで対処が変わるため、失業率やクレジットスプレッドも併用します。
アイデア3:BEI急上昇=イベントリスク(エネルギー・供給制約)に備える
急騰は、地政学や供給制約など、ショック要因が絡みやすい。ここで「インフレが来る!」とレバレッジを上げるのは危険です。むしろ、短期のヘッジ(コモディティ比率の見直し、短期TIPS、現金)でダウンサイドを管理し、落ち着いてから構造判断に入る方が再現性が高いです。
日本の個人投資家がハマる落とし穴:為替と税制の影響
日本から米ドル建て資産を触る場合、BEIだけ見ていても結果がズレることがあります。理由は「円建ての最終損益」に為替が大きく効くからです。米国インフレ局面はドル高・ドル安のどちらも起こり得ます。一般に、米国の実質金利が上がる局面はドル高になりやすい一方、インフレが上がっても金融政策が追随できない(信認低下)局面ではドル安圧力がかかることもあります。
したがって、BEIを軸に資産配分を変える場合でも、円ヘッジの有無、ドル資産比率の上限、キャッシュフローの通貨をセットで設計する方が事故が減ります。
チェックリスト:BEIを週1で運用に落とす
最後に、行動に落としやすいチェックリストを提示します。これを固定ルーチンにすると、ニュースに振り回されにくくなります。
- 5年BEIと10年BEIの水準と、1か月変化幅は?(±0.20pt以上の変化は要注意)
- 実質金利(同年限TIPS利回り)は同方向に動いている?逆方向?
- 名目金利は上がった/下がった。その主因は実質かBEIか?
- 株の中身は?(景気敏感が強いのか、ディフェンシブが強いのか)
- クレジットスプレッドは拡大していない?(景気後退の匂いチェック)
- ポートフォリオの「インフレ枠」「ディスインフレ枠」は偏りすぎていない?
BEIは、未来を当てる魔法ではありません。しかし「市場の織り込み」を早めに把握し、配置を調整するための、非常に実用的なコンパスになります。最初は5年・10年のBEIと実質金利をセットで眺め、上のチェックリストで運用を回してください。情報の洪水の中でも、判断がブレにくくなります。


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