本稿は、固定金利と変動金利のどちらを選ぶべきかを、スプレッド構造、金利カーブ、ヘッジ手段、キャッシュフロー管理の観点から“定量的・実務的”に解きほぐします。住宅ローンの選択は、単なる金利の見通し当てではありません。金利リスクの定義、許容度、ヘッジ可能性、流動性制約、そして将来の繰上返済オプションの価値までを体系的に評価することが重要です。
- 結論の要約:意思決定フレーム
- 用語の最小セット
- 固定金利と変動金利の“本質的な違い”
- スプレッドを数式で見る:損益分岐の考え方
- デュレーションで家計耐性を定量化する
- 擬似固定化:個人でも可能なヘッジ設計
- 繰上返済は“利回り商品”とみなす
- 実践モデル:家計シミュレーションの作り方(Excel/Sheets)
- 金利カーブの読み方:どこに“保険料”が埋まっているか
- 市場リスクと個別リスク:家計版の分解
- ケーススタディ:3,500万円/35年、可処分600万円の世帯
- チェックリスト:契約前に確認すべき10項目
- よくある誤解を正す
- 実行プラン:今日からできる3ステップ
- 補論:投資家視点の応用(債券・為替との連動)
- まとめ
- 数値例:金利1.0%上昇時の影響(概算)
- Q&A:よくある状況別の最適解
結論の要約:意思決定フレーム
結論はシンプルです。①自分のキャッシュフロー耐性(実効デュレーション許容度)を把握し、②金利上昇シナリオの下で返済比率(年間返済額/手取り収入)がしきい値を超えない設計にし、③必要ならヘッジ(擬似固定化)を併用する、です。つまり“変動=博打”“固定=安全”という単純化は誤りで、可変リスクを管理下に置けるかどうかで優劣が分かれます。
用語の最小セット
・基準金利:短期プライムレートや無担保コールレート等、変動金利の連動指標。
・スプレッド:基準金利に上乗せされる利ざや。審査属性や商品特性で決まる固定的成分。
・金利カーブ:短期〜長期の満期ごとの金利を連ねた曲線。一般に右上がりだが、局面によりフラット/逆イールドも。
・デュレーション:金利変動に対する返済額(または債務価格)の感応度。返済期間や元利均等/元金均等で変化。
・擬似固定化:変動ローンを保ちつつ、先物やスワップで金利上昇リスクをヘッジして実効固定のように扱う考え方。
固定金利と変動金利の“本質的な違い”
固定は“価格の確定”を外部に委ねた商品、変動は“リスクの管理”を自分で引き受ける商品です。固定金利の割高さは、将来の金利上昇リスクを貸し手が引き受ける対価(保険料)と捉えると理解が早い。反対に、変動は保険料を払わない代わりに、上昇局面で自分が痛みを負います。重要なのは“保険料の水準”が妥当か、そして“自分でヘッジできるか”です。
スプレッドを数式で見る:損益分岐の考え方
想定:元利均等、借入3,500万円、期間35年、変動=基準金利+0.6%、固定=1.85%。基準金利は現在0.9%と仮定。変動の初期実効金利は1.5%(=0.9+0.6)。
固定の“保険料”はおおざっぱに 1.85% − 1.5% = 0.35% です。これは“当面の差”であり、将来の基準金利上昇で縮む/逆転もします。損益分岐は“契約期間のうち何年、何bp分の上昇が起きるか”で決まるため、シナリオ分析が不可欠です。
簡易シナリオ例
S1:基準金利が2年据え置き、その後+0.5%上昇して以後横ばい。
S2:基準金利が毎年+0.25%で4年上昇(合計+1.0%)、以後横ばい。
S3:12ヶ月で+1.0%、さらに12ヶ月で+0.5%上昇、その後+1.5%高止まり。
各シナリオでの総返済額差は、Excel/スプレッドシートでPMT関数を用いて算出可能です。ポイントは、“上昇速度×持続期間×残高”の掛け算で効き方が決まること。特に前半の上昇は残高が大きく、家計インパクトが強い。
デュレーションで家計耐性を定量化する
“何%まで耐えられるか”を感覚でなく数値化します。手順は簡単です。
①家計の可処分所得と必須支出から、年間の安全返済上限を決める(例:手取600万円、上限25%→150万円/年)。
②変動ローンの金利を+1.0%、+1.5%、+2.0%と階段状に上げ、年間返済額(12×月額)を再計算。
③上限を超える金利水準が“しきい値”。その手前までがあなたの実効デュレーション許容度です。
この“しきい値”が低いなら、固定比率を上げるか、スワップ等で擬似固定化するべきです。
擬似固定化:個人でも可能なヘッジ設計
ここでは概念理解のためのモデルケースを示します。実務では手数料、スリッページ、課税、信用リスク等の摩擦が存在します。
ケースA:変動ローン+短期固定の組み合わせ
家計側:借入3,500万円のうち、1,500万円は10年固定(1.6%)、残り2,000万円は変動(基準+0.6%)。固定比率≈43%。固定の“保険料”を最小化しつつ、上昇初期の痛みを緩和します。
ケースB:変動ローン+金利先物の保険(概念)
個人が直接、国債先物/金利スワップにアクセスできない場合でも、同等の考え方は実行可能です。例えば“固定期間付きのローン”や“固定と変動のミックス”を使い、実質的にデュレーションを短縮/延長してリスクを肩代わりさせます。
ケースC:変動ローン+繰上返済のオプション価値を活かす
変動の最大の強みは“柔軟性”です。手元流動性を厚めに保ちながら、金利上昇局面でタイミング良く繰上返済を打てば、固定より総支払額が小さくなるシナリオも珍しくありません。逆に固定は“前倒しの妙味”が薄い一方で、上昇局面でも支払いは一定でキャッシュフローの安定性を提供します。
繰上返済は“利回り商品”とみなす
ローン金利が2.0%なら、繰上返済は“リスク無しの2.0%確定利回り”に等価。固定と変動の差を議論するだけでなく、“手元資金をどのタイミングでどれだけ元本に充当するか”という配分問題として最適化します。
原則:①流動性バッファ(生活費6〜12ヶ月+緊急資金)を確保、②期待収益とボラティリティ、課税、機会費用を加味、③返済比率しきい値を超えそうな局面では優先して繰上を実行。
実践モデル:家計シミュレーションの作り方(Excel/Sheets)
1) 入力ブロック:借入額、期間、ボーナス併用、変動スプレッド、固定金利、所得、必須支出、繰上返済計画。
2) 金利シナリオブロック:基準金利パス(年毎/半年毎の変化率)。3〜5パスを用意。
3) 計算ブロック:各シナリオでの月返済額、年間返済額、返済比率、残高推移、総支払額。
4) 意思決定:返済比率が上限超過するシナリオに対して、固定比率や繰上計画、借入額自体を調整して“どのシナリオでも破綻しない”領域へ。
金利カーブの読み方:どこに“保険料”が埋まっているか
固定金利には、長期ゾーンの不確実性が価格に含まれます。短期が低く長期が高い通常局面では、固定が相対的に高く見えますが、それは“長期の変動リスクを前払いしている”からです。逆イールドやフラット化の局面では、固定の相対価格が下がることがあります。商品選択の適切なタイミングは、カーブ形状に強く依存します。
市場リスクと個別リスク:家計版の分解
市場リスク=金利のマクロ変動。個別リスク=あなたの収入や支出の変動、ライフイベント。固定は市場リスクを一定化する代わりに、個別リスク(失業、病気等)には直接効きません。よって、保険(就業不能保障、医療保険)、緊急資金など“個別リスク対策”と固定/変動の選択はセットで設計すべきです。
ケーススタディ:3,500万円/35年、可処分600万円の世帯
前提:固定1.85%、変動=基準+0.6%、初期基準0.9%。上限返済比率=25%。
A案(全期間固定):月額およそ129,000円、年間約154.8万円。返済比率25.8%でやや上限超過。別途、生活費の見直しや頭金増で調整が必要。
B案(変動100%):初期は約117,000円/年140.4万円で余裕。ただし基準+1.0%で返済比率が上限に接近、+1.5%で明確に超過。
C案(固定43%+変動57%):初期は約122,000円/年146.4万円。基準+1.0%でも返済比率はほぼ上限内に収まる想定。
示唆:しきい値超過しない“安全域”に入るまで固定比率を上げるか、手元流動性を積み増す。
チェックリスト:契約前に確認すべき10項目
1. 返済比率上限(%)と、上限を超える基準金利水準(bp)。
2. 変動の見直し周期(半年/年)と適用ラグ。
3. 固定特約の再固定条件(手数料、再固定時の金利水準)。
4. 一部繰上返済の手数料、最小単位、回数制限。
5. 団信の範囲(ガン特約等)と保険料上乗せ。
6. 保証料/事務手数料の総額(実質金利に影響)。
7. ボーナス併用時の変動幅(賞与カット耐性)。
8. 変動→固定への乗り換え時の費用と条件。
9. 元利均等/元金均等での総支払額・利払カーブの違い。
10. 変動金利に連動する指標の定義(短プラ/コールレート等)。
よくある誤解を正す
誤解①:固定は必ず損。→金利上昇の“尾の厚さ(テール)”を過小評価している可能性。破綻確率の低減は価格が付く。
誤解②:変動は初期コストが低いから安全。→上昇初期の数年は残高が大きく、家計ダメージが最大化する。
誤解③:繰上返済はいつでも得。→手元流動性が不足し、突発支出で高利の借入をすると逆効果。
実行プラン:今日からできる3ステップ
ステップ1:自分の“返済比率しきい値”を算出(スプレッドシート雛形を作る)。
ステップ2:3〜5本の金利シナリオを設定し、固定/変動/ミックスの比較表を作る。
ステップ3:安全域に入るように固定比率、繰上計画、頭金、借入額の4変数を調整して最終決定。
補論:投資家視点の応用(債券・為替との連動)
金利感応度の大きい投資(長期債、債券ファンド、REIT等)を保有するなら、住宅ローン側で逆方向の感応度を持たせて全体のボラティリティを抑える“バランスシート設計”も有効です。たとえば、長期債ロングの比率が高いなら、住宅ローンは固定よりも変動を厚めにし、金利上昇時に投資側の評価損を、ローン支払いの増加で自然ヘッジする発想もあります(総合リスク最小化)。
まとめ
固定か変動かの答えは“人それぞれ”ではなく、“あなたの家計のデュレーション許容度とヘッジ手段の有無”で決まります。正しい設計手順を踏めば、“どのシナリオでも破綻しない”範囲が必ず見つかります。
数値例:金利1.0%上昇時の影響(概算)
借入3,500万円、残存30年、元利均等、実効金利1.5%→2.5%へ上昇。PMT近似では月額はおよそ121,000円→138,000円(+17,000円)。年換算で+204,000円。手取り600万円の世帯なら返済比率は約23.9%→27.3%へ。しきい値25%なら赤信号です。
一方、固定を選んでいれば月額は約129,000円で一定。差額は固定の“保険料”ですが、上昇局面での家計安定性というリターンを得ています。上昇が起きなかった場合は変動優位となり、これは“保険が不要だった”という事後結果にすぎません。
Q&A:よくある状況別の最適解
今後1〜3年で売却/住み替えの可能性が高い
短期で繰上・全額返済の可能性があるなら、初期コストの低い変動優位。違約金や事務手数料の総額を確認し、固定の保険料は回収困難。
子どもの教育費ピークが5〜8年後に重なる
その期間に金利上昇が来ると家計圧迫。固定比率を引き上げ、ボーナス併用を抑える。変動は固定特約やミックスで“天井”を作る。
共働き・収入の分散が効いている
個別リスク耐性が高い。変動比率をやや高めてもよいが、上昇初期の繰上資金は確保。
自営業で収入ボラが高い
キャッシュフロー安定を重視し固定優位。ただし緊急資金を厚めにし、繰上は慎重に。
資産運用で長期債を多めに保有
ポートフォリオ全体で金利リスクが高い。住宅ローンは変動を厚めにして自然ヘッジする設計も選択肢。


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