この記事では、株式のベータ値を軸に、市場全体の値動きを相殺して個別株の超過収益(アルファ)だけを取りにいくベータ・ニュートラル戦略を、計測・設計・執行・管理・検証のフルスタックで解説します。裁量派でもシステム派でも再現できるよう、具体的な数値例と実務の落とし穴まで踏み込みます。
なぜベータ・ニュートラルなのか
相場の多くは「市場要因」によって説明されます。指数が大きく下げた日に優良株も一緒に下がるのは、個別ニュースではなく市場因子のショックに巻き込まれるからです。もし個別銘柄に固有の優位性(アルファ)があるなら、市場因子をヘッジしておく方が、ドローダウンの浅さ・リスク当たり収益の両面で実務的に優れます。
ベータの定義と直感
銘柄iのリターンR_iと、ベンチマーク指数R_mの線形関係は、古典的には次式で表現できます。
R_i = α_i + β_i · R_m + ε_i
ここでβ_iは市場に対する感応度(傾き)です。統計的には、β_i = Cov(R_i, R_m) / Var(R_m)。直感的には「指数が1%動いた時、この銘柄は何%動く傾向か」。
実務的なベータ推定:窓、頻度、外れ値
ベータは動くパラメータです。よって「いつのデータで、どの頻度で、外れ値をどう扱うか」で推定値は変わります。
- リターン頻度:日次が標準。短期なら15分や5分でも可。ただしノイズが増える。
- 窓長:60~252営業日が定番。短いほど機敏だが不安定、長いほど安定だが遅い。
- 外れ値処理:Winsorize(上位下位1~2%をクリップ)やロバスト回帰で影響を抑える。
- 配当・権利落ち:トータルリターンベースで計算(配当込み指数を使う)。
- 指数の選定:トヨタならTOPIX/日経平均、商社ならTOPIXやセクター指数など、経済的妥当性を優先。
ヘッジ比率の設計:株式ロング × 指数先物ショート
個別株ロング金額をL、指数先物ショート金額(建玉の想定元本)をS、銘柄のベータをβとすると、市場因子を打ち消す近似の第一案は
S ≈ β × L
先物は証拠金取引なので名目金額の把握が必須です。例えばTOPIX先物(ラージ)の名目は「価格 × 取引単位」。価格2,800、取引単位10,000円なら名目約2,800万円/枚。ミニならその10分の1。目的のSに最も近づくように枚数を整数化します。
数値例(仮定):大型株ロング + TOPIX先物ショート
・銘柄Aの推定β=0.9。ロング金額L=3,000万円。
・求めるショート名目S=0.9×3,000=2,700万円。
・TOPIX先物ラージ1枚=約2,800万円 → 1枚売ると過剰ヘッジ(S>目標)。
・ミニなら約280万円/枚 → 2,700/280≒9.64 → 10枚売りで近似。
・ネット・マーケットエクスポージャー≈ L − S ≈ 0(市場中立)。
過剰/過少ヘッジは常に発生します。実務では最小二乗的に誤差を最小化するか、指数先物とETFなどを組み合わせて近似精度を上げます。
実装フロー(チェックリスト)
- 対象銘柄の日次リターンとベンチマーク指数リターンを用意(配当込み)。
- 窓長N(例:126日)、頻度(日次)を決め、ロバストな回帰でβを推定。
- ロング金額LからS=β×Lを算出、先物の名目/枚数へ変換。
- 執行:ロング→ヘッジ(同一セッション内で完了)。スリッページを管理。
- モニタリング:βのドリフト検出(例:週1回更新、±0.15超で再ヘッジ)。
- リスク管理:残差εのボラ管理、損切り/利確ルール、証拠金・金利・配当調整。
- 検証:ウォークフォワード、手数料・金利・配当・先物ロールコスト込み。
残差(アルファ)の取り方:イベントと因子の分離
ベータを消すと残るのは固有要因です。決算サプライズ、ガバナンス改善、自己株買い、M&Aなど、会社固有のニュースで動いた分だけが残りやすくなります。これを狙うアイデア:
- イベント・ドリブン:決算発表や自社株買いの発表確率が高い銘柄に先回り。
- クオンツ因子:品質(ROE/利益率)、モメンタム、低ボラ、バリュー(PBR/PER)など。
- 需給:信用残の偏り、指数入替、配当・優待権利取り/落ちのフロー。
ドローダウン耐性の作り方
市場暴落時、指数ショートが緩衝材になります。ただしベータの非線形性や相関の崩れでズレが出ます。暴落期はボラが上がりβも上振れしやすいので、危機時のβ(ベア相場での条件付きβ)を過去データで別途チェックしておくと良いでしょう。
実務の落とし穴(重要)
- βの時変性:銘柄・地合いでβは動く。固定だとヘッジがすぐズレる。
- 金利・配当・ロール:先物ショートは配当を受け取れない一方、先物価格にはコスト・オブ・キャリーが織り込まれる。配当落ち期は乖離に注意。
- 実効レバレッジ:現物ロング+先物ショートは総名目が膨らむ。証拠金・逆行余力の管理は厳格に。
- セクター因子:市場βを消してもセクターβは残る。場合によってはセクター先物/ETFで二段ヘッジ。
- ティックサイズ・板厚:ミニ先物やETFの流動性が足りない時間帯は避ける。
検証の最低限:Excel/Googleスプレッドシートでも可能
複雑な環境がなくても、以下で十分に検証できます。
- 日次終値からリターン系列を作る(対数リターン推奨)。
- 関数や回帰でβを計算(COVARIANCE.P/VAR.P等)。
- 日次P&L=(銘柄P&L)− β×(指数P&L)で残差を近似。
- 手数料・貸株料・金利・先物ロールコストを日次で引く。
- シャープレシオ、最大DD、カルマ―レシオ、勝率、平均利幅などを評価。
発展:マルチ銘柄と最小分散ヘッジ
複数銘柄のロング・バスケットを組み、ベータ総和=0を満たすようにウェイト最適化する方法も有効です。制約付き最小二乗(リッジ/LASSO)や、ボラ目標(ターゲット・リスク)を組み合わせると、資金効率と安定性が上がります。
応用:暗号資産とFXのベータ直観
暗号資産では「BTCベータ」、アルトはBTCの動きに対する感応度で表現できます。アルトをロングしてBTC先物をβだけ売る構図は、株式の個別株×指数先物とまったく同じ発想です。FXでも、個別通貨ペアのリターンをDXYやクロス中心通貨に対して回帰し、ヘッジ比を導くことが可能です。
運用ルール例(テンプレート)
- β推定:126日・日次、外れ値は上下1%Winsorize。
- 新規建:銘柄スコア(品質×モメンタム×バリュー)が閾値超でロング。
- ヘッジ:同日中に指数先物ショート。S=β×L、整数枚数へ丸め。
- 再ヘッジ:毎週月曜、β変動が±0.15超で調整。
- 損切り:残差ドローダウンが−8%で一部縮小、−12%でクローズ。
- 利確:残差が+10%で半分利確、イベント通過で全利確。
- ポジション上限:単銘柄Lは純資産の8%以内、先物名目Sは純資産の70%以内。
ケーススタディ(架空データ)
銘柄B(β=1.2)を2,000万円ロング。日経225ミニの名目が約270万円/枚とすると、S=2,400万円→9枚ショートが目安。決算サプライズでBが+8%、指数+3%だった場合、残差は概ね8%−1.2×3%=+4.4%前後。市場上昇に乗らずともアルファが抽出されます。
コンプライアンスと運用体制の要点(実務)
社内規程がある場合はヘッジ先物の上限、ロールカレンダー、イベント時の建玉方針を事前に明文化。個人でも約款・売買ルール・ロスカットレベルを紙にしておくと、運用がぶれません。
まとめ
ベータ・ニュートラルは「市場の風」を消して、銘柄固有のドライバーだけを取りにいく設計です。β推定とヘッジ比の管理さえ丁寧に行えば、DDを抑えつつシャープを底上げできます。まずは小さく、1銘柄×指数先物ミニで検証・実装から始めるのが最短ルートです。
付録:簡易疑似コード(説明用)
# 日次リターンからβを推定し、必要な先物枚数を返すイメージ # inputs: ret_stock[], ret_index[], L (long notional), notional_per_contract beta = cov(ret_stock, ret_index) / var(ret_index) S = beta * L contracts = round(S / notional_per_contract)


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